モン・ヴァントゥ (Mont Ventoux) は、フランス南部、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にある山。標高1912m。「プロヴァンスの巨人」という異名を持つ。"vent" はフランス語で「風」を意味し、その名の通りに山頂部は風が強く、ミストラルの季節ともなると45m/sを越す突風が吹き荒れ、山頂へ至る道路が閉鎖されることも間々ある(実際、後述するツール・ド・フランスの2016年大会では当初山頂まで登ってフィニッシュする予定だったコースが短縮されている)。この山はアルプスにもピレネーにも属さず、リュベロン山地の西方に立つ独立峰である。ちょうど西側山麓の丘陵地帯にはダンテル・ド・モンミライユがある。山頂部は木立どころか潅木すらなく、むき出しの石灰岩が転がる荒涼とした景観が広がる。頂上部近くは非常に温度が低く、そのためスカンジナヴィア半島の北に浮かぶスピッツベルゲン島(北緯78度)地方の植物、例えばスピッツベルゲンユキノシタやグリーンランドの罌粟(けし)などが生育しているという珍しい山である。山には、針葉樹林の森が散在している。これは数世紀前から造船のために木が切り出されてきた結果である。この不毛のピークは、遠方から望むと一年中雪を抱いているかのように錯覚させる。ローヌ渓谷を睥睨する孤立した姿はこの地域一帯を威圧し、晴天時には何マイルも彼方から観望を可能にする。山頂からの眺望は期待違わず素晴らしい。ファーブルはこの山に、カルパントラやセリニャンに住んでいた時(1842-1890年)には、前後25回も上っている。この山の植物や昆虫が彼を引きつけた。彼は自分はヴァントゥ山の生き字引だと言っている。山頂近くには相当古くから陸軍の観測所があり、近年(2000年代)ではラジオやテレビのための巨大なアンテナが立てられている。また、スキー熱で中腹のサン・スランやシャレ・レイナールはスキーの好適地になっている。さらに、ペトラルカが、1336年に登山したことを記す記念碑がある。自転車ロードレースの最高峰「ツール・ド・フランス」では、この山は最高難度の山岳ステージの舞台として知られ、幾多の伝説に彩られてきた。1951年に初めてルートに登場してから現在までに山頂ゴールとして9回、ステージ途中の峠として6回使われている。山の南側に位置するベドアンから頂上へ至る21.1kmの道のりの平均斜度は7.6%、標高差1617mである。ただし、ベドアンからサン・テステーヴまで5.8kmの平均斜度は3.9%と比較的緩やかであり、残りの16kmの平均斜度は8.9%となっている。ツールにおいて幾多のドラマを生み出してきた。歴代優勝者にはレイモン・プリドール、エディ・メルクス、ベルナール・テブネ、マルコ・パンターニ、リシャール・ヴィランクなどその時代のスター選手が名を連ねている。1967年7月13日、イギリス人の著名なレーサー、トム・シンプソンが、服用していたアンフェタミンとアルコール、そして熱中症の複合作用によりレース中に死亡した。これがモン・ヴァントゥに悪評を招きよせ、今日に至るまで「死の山」「魔の山」と形容される所以である。山頂直下にはシンプソンの記念碑が建立されており、自転車ファンの聖地となっている。1970年には、かのエディ・メルクスがこの山頂ゴールを制したもののリタイヤ寸前にまで追い込まれている。彼はゴール後に酸素吸入を必要とするほどのダメージを受けていたが、その後のステージでも総合首位を守り、結局は総合優勝を勝ち取った。また、ツールのコースにない場合でも、6月にフランスで開催されるツールの前哨戦でもあるクリテリウム・ドゥ・ドーフィネでも頻繁に使われる。2008年3月のパリ~ニースでも取り入れられたが頂上は雪で覆われており、標高で500mほど下がったモンスラン峠がゴールとなった。現在の登坂記録は、2004年のドーフィネにおけるイバン・マヨの55分51秒である。
出典:wikipedia
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