『今夜は最高!』(こんやはさいこう! / 副題:"〜WHAT A FANTASTIC NIGHT!〜")は、日本テレビ系列局で1981年4月4日から1982年4月3日(第1期)、1982年9月4日から1989年10月7日(第2期)まで毎週土曜日の23:00 - 23:30(JST)に放送されていた、タモリが司会を務めた、トーク・コントバラエティ番組。ステレオ放送、文字多重放送を実施していた。スポンサーはパイオニアの一社提供番組。お笑いタレント・タモリがメイン司会を務めた、30分間のトーク・バラエティ・コントショー。毎回、多彩な豪華ゲスト(タレントはもちろんのこと、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家に至るまで様々)1人とそのゲストと関係するパートナーゲストを1 - 2人ほど呼び、メイン司会のタモリとのトークやコント、ミュージカル、生歌・演奏などを織り交ぜた番組内容で放送が行われていた。当番組、最終回までに出演したゲスト総数は302人、パートナー総数は173人を数えた。番組前半は、メイン司会のタモリとゲストらによるオープニングコントからトークコーナー、後半のコントを経てのクライマックスでは、メイン司会のタモリ自らが、トランペットやフルートで伴奏(「コルゲン」鈴木宏昌率いるザ・プレイヤーズの演奏が主体)に加わってゲストが歌うコーナーがあり、歌い終えた後に女性ゲストの「ところで○○さん、今のご気分は?」を受けて、ゲストが「今夜は最高!」と答えるのを例とした。オープニングは、マンハッタンの夜景をイメージしたセット(美術セット)として作られ、建物の間からメイン司会のタモリ自ら、顔を覗き出す演出が毎回行われていた。これらの件は「タイトル撮り」と呼ばれ、毎回スタジオ内で撮影されVTR収録を行っていた。尚、「タイトル撮り」の部分を含めたオープニングがCGに移行したのは1989年の半期を過ぎた頃からである。愛染恭子の出演回では、彼女が全身金粉塗れのヌード姿で登場し、ダンスなどを披露した。また、メイン司会のタモリの名キャラクターのひとつ「大魔神子」は当番組で誕生した。これを気に入った、中村吉右衛門は、ゲスト出演の際に自ら「大魔神子」に扮し、持ち歌の「恋の大魔神」を歌うといったサプライズもあった。1982年4月10日から8月28日までの半年間は当番組の放送を一時中断。その間は、穴埋め番組として、女優の桃井かおりとコーラス・グループのダークダックスによる同趣向のバラエティ番組『日曜はダメ!!』が放送されていた。番組構成は、タモリと交友が深い高平哲郎が担当していた。タモリ以外のレギュラー出演者には、九十九一や番組後半期から参加した久本雅美、柴田理恵、渡辺信子らのWAHAHA本舗メンバーらがいる。中村誠一をはじめ、伴奏の担当ミュージシャンもコントのコーナーに多数登場した(バンマスの鈴木宏昌はもちろん、スタジオミュージシャンとして有名な松木恒秀、岡沢章、渡嘉敷祐一がコントをするという、普通では見られない姿が当たり前のように流れていた)。女性ゲスト(テロップでは「パートナー」の表記<形式上はメイン司会者であるタモリの週替わりパートナーという位置付けであったためであり、トークコーナーの部分では男性ゲストを真ん中に挟み両端を、タモリとパートナーの女性ゲストが座ってコーナーを展開していくという体裁が採られていた>)は2週続けて出演、男性ゲスト(テロップでは「ゲスト」の表記)は毎回変更する形式だったが、名前だけで男性と勘違いされた戸川純が男性ゲストの代わりに呼ばれ、女性ゲストが2人になった回が一度だけある。番組の撮影と収録は麹町・日本テレビの「Gスタジオ」で主に行われていた。各回の収録は木曜日から土曜日までの最低3日間はかかっていて、タモリによると週4日かかっていた事も多かったとのこと。当番組では、タモリがサングラスを取る姿は珍しくなかった。女装やモノマネでは、素顔、普通のメガネ顔、かつてのアイパッチ姿の名残のある片方のみのサングラスメガネなど、サングラス無しの顔が頻繁に見られた。斎藤晴彦と和田アキ子がゲストの1985年2月9日放送分の「オペラ昭和任侠伝」が、同年の民間放送連盟賞のテレビ娯楽番組部門最優秀賞を受賞した(後述)。当番組には芸能人だけではなく、当時タモリのマネージャーをしていた田辺エージェンシーの前田猛などのタレントマネージャーやフジテレビの社員である名プロデューサー横澤彪(当時)・三宅恵介・小林豊(『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系列)の当時の番組スタッフ)も度々当番組にゲスト参加していた。こうした内容が大人の視聴者層から人気を呼び、全盛期の1986年には年間平均視聴率が14%台に達し、20%を超えることも度々あった。前述の通り、当番組はパイオニアの一社提供で放送された。パイオニアは、それまで山城新伍と芳村真理が司会を務めた『金曜娯楽館』のスポンサーを務めていたが、同番組の終了を受けて金曜22時台からスポンサー枠を移動し、以後は土曜枠のこの『今夜は最高!』でスポンサーを務めることになった。提供の読み上げは、後期に入るまで松永二三男(当時日本テレビアナウンサー)が担当していた。ほか1985年2月9日に放送された(ゲストは斎藤晴彦と和田アキ子)「昭和残侠伝シリーズ」のパロディコント。ヤクザ映画をクラシックオペラ風にし、ほんのわずかだが当時「トルコ風呂」を「ソープランド」と改称する騒動を揶揄する風刺等が評価され、昭和60年度民間放送連盟賞、テレビ娯楽番組部門最優秀賞受賞をした。最優秀に限定すればホームドラマ、社会派ドラマ、ドキュメンタリーが獲得する傾向の同賞において、一介のバラエティコントが受賞するのは非常に珍しく一際異彩を放っている。1985年12月28日には再放送も行われた。流れ者のやくざ斎藤秀次郎(斎藤晴彦)は兄弟分の東雲組親分下河原重蔵(タモリ)を尋ね客人となる。東雲組の縄張りはかつて緋牡丹のお竜(和田アキ子)の父の物で一人前になったお竜がいつまでも居座る東雲組に手を引いてもらおうと交渉する中、秀次郎はお竜に「重蔵は信用してはならない」と説得する。美空ひばりがパートナーとなった放送回(1987年4月11日・18日放送分)には、坂上二郎・団しん也・斎藤晴彦・所ジョージなど大勢の男性ゲストが出演する「ひばりスペシャル」として放送された(この回にも「大魔神子」が登場し、お約束のようにひばりの顰蹙を買い、タモリが恐縮していた)。その後のひばりの急逝に伴い、1989年6月24日放送分では、急遽「美空ひばり追悼」と題し、1987年4月11日・18日放送分を編集して再放送した。ひばりは普段バラエティ番組には滅多に出演しなかったため、この出演回が後年に貴重映像として取り上げられるようになり、日本テレビでひばり特集が組まれると必ずと言っていい程、本番組での姿が流れる。1987年頃から、視聴率が10%を切る回も出てきた。それでも23時台にしては視聴率的にまだ悪くはなく、タモリは「これからも続けていきたい」と語っていた。そんな中、スポンサーであるパイオニアの一部社員や番組スタッフから「もうタモリだけじゃ(視聴率の)数字は稼げないだろう?」という発言が飛び出し、これを耳にしたタモリが激怒して「だったらこっちから願い下げだ!」と揉めてしまったために終了したといわれる。ただし高平哲郎著『今夜は最高な日々』(新潮社刊)にはそうした事実は一切ないと記述されている。しかしながら、タモリの所属事務所である田辺エージェンシー側が番組の打ち切り経緯に激怒し「今後、タモリを日テレに出さない」と通告したという。こうして1989年10月7日放送分を以って『今夜は最高!』は累計8年・413回の歴史に幕を下ろした。以降タモリは日本テレビ系列でのレギュラー番組を持っておらず、日テレ系の番組に出演する機会も後述する特別番組以外ほとんど存在しない。尚、日本テレビに於ける本放送時の放送マザーは、番組開始当初は2吋スーパーハイバンドVTRで1983年頃から1吋CタイプVTRに切り替わりステレオMAが施された完パケが使用された。
出典:wikipedia
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