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阿倍王子神社

阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)とは大阪府大阪市阿倍野区にある神社。かつては阿倍王子(あべのおうじ)といい熊野神社の分霊社である九十九王子のひとつであった。『摂州東成郡阿倍権現縁記』によれば、仁徳天皇の夢の中に熊野三山の使いである3つの足の烏が現れ、仁徳天皇がそれを捜させると、同じものが当地(阿倍島という島があったとされる)にいたので、現所在地に神社を創建した。これとは別に、この地域を本拠した古代豪族の阿倍氏が建立したという説もある。
当地は四天王寺と住吉大社のほぼ中間の位置にあり、熊野参詣の街道筋の九十九王子のひとつ「阿倍王子」として、後鳥羽天皇が熊野御幸を行った平安時代には、窪津王子(大阪市中央区)、坂口王子(同)、郡戸王子(同)に次ぐ4番目の王子とされていた(「後鳥羽院熊野御幸記」)。後に郡戸王子と当王子の間に上野王子(天王寺区)が設置され、5番目の王子となるが、戦国時代の戦乱により途中の坂口、郡戸、上野の各王子が焼失。安土桃山時代には2番目の王子となっている。現在、大阪府内の九十九王子で唯一、旧地に現存している王子である。安倍晴明神社(あべせいめいじんじゃ)は、阿倍王子神社の北方約50mに鎮座する阿倍王子神社境外社(飛び地境内社・末社)。
社名の通り、祭神の安倍晴明はこの地で生まれたと伝えられている。社伝「晴明宮御社伝書」によると創建は1007年(寛弘4年)で、代々晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったが、幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と下記にある石碑のみになってしまったという。しかし、明治時代末期になると復興計画が持ち出され、1921年(大正10年)には阿倍王子神社の末社として認可された。社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工した。拝殿は三間社入母屋造で本殿は流造である。
境内には晴明の等身大の銅像が建ち、「産湯井の跡」(晴明の産湯に使われた井戸)、「葛之葉霊狐の飛来像」、「安倍晴明誕生地の石碑」がある。産湯は摂津名所図会の頃に既に登場している。石碑は1818~1830年(文政年間)に堺商人・神南辺道心の手によって建立された。晴明が占いの神として信仰されていることに因み、社務所内に「占い相談コーナー」も設けている。
戦時中、境内に焼夷弾が落ちたが爆発せず、本殿は被災をまぬがれた。この為、地元では「晴明さんが守って下さった」と評判になり、以来災難除けの神様としても信仰を集めている。
晴明宮御社傳書には、大彦命と彦太忍信命は同一人物で、両者が合体したような名「太彦忍信命(おおひこおしのまことのみこと)」で、阿倍氏の祖として記載されている。阿倍氏は氏族名を記載する際、阿閇氏の漢字を使っていたとも書かれている。本殿右側に鎮座。「泰名」とは伝説上の晴明の父親の名である。因みにご祭神は安倍泰名公ではなく宇迦之御魂大神である。阪堺電気軌道上町線「東天下茶屋停留場」から徒歩3分大阪市営地下鉄御堂筋線昭和町駅から、徒歩12分大阪市営バス62号63号64号67号系統、王子町停留所からスグ駐車場有6台分

出典:wikipedia

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