レッドブル・レーシング(Red Bull Racing)は、2005年からF1に参戦しているレーシングコンストラクター。イギリスに本拠を置くが、国籍登録はオーストリアとなっている。オーストリア資本の飲料メーカーレッドブルは、1995年から2004年までザウバーの、2002年はアロウズのスポンサーとしてF1との関わりを深めていた。特にメインスポンサーであったザウバーでは1995年から2001年までチームエントリー名はレッドブル・ザウバー・ペトロナスであった。元ワールドチャンピオンのジャッキー・スチュワートが率いて1997年からF1に参戦していたスチュワートからの歴史を持つジャガー・レーシングは、2004年11月15日にフォードグループの再編によりF1から撤退することを宣言した。フォードはチームをレッドブルに売却し(金額は1ドルと言われた)、レッドブル・レーシングが設立された。プライベートチームながら、限られたF1のエントリー枠を、兄弟チームであるスクーデリア・トロ・ロッソとともに2つも占有するなど、F1界の新興勢力として新進著しい存在となっている。親会社であるレッドブルの豊富な資金力を背景に、トップドライバーや有力デザイナーを獲得して短期間でチームの戦力を上げつつ、多数ある下部組織(F3などのジュニアチーム)から若手の育成ドライバーを参戦させるチーム方針を執っており、自動車メーカーが闊歩するモータースポーツ界でも異色の存在として一大勢力を形成している。2009年にセバスチャン・ベッテルが加入すると、チーム力も常に優勝争うレベルまで向上する。エイドリアン・ニューウェイが手掛ける斬新な空力設計、ルノーエンジンとの強固なパートナーシップなどを武器に、2010年から2013年にかけてドライバーズ・コンストラクターズ両部門4連覇を達成する成功を収めた。F1参戦初年度となる2005年は、旧ジャガーから引き続きコスワースエンジンを搭載、シャシも旧ジャガーで「R6」として開発されたものを「RB1」と名称を変えて使用した。ドライバーは、2004年までマクラーレンに在籍していたデビッド・クルサードをエース待遇で獲得。セカンドドライバーには、旧ジャガーから残留のクリスチャン・クリエンと共に、レッドブル社のスポンサードのもと2004年国際F3000チャンピオンを獲得したヴィタントニオ・リウッツィとも契約。第3戦のバーレーンGPまではクリエンが出走し、リウッツィはサードドライバーとして金曜日のフリー走行に参加、第4戦サンマリノGPから4戦はリウッツィが出走し、クリエンがサードドライバーとしてフリー走行に参加し、その後も交互に参戦レースを決めることとしていた。しかし2005年レギュレーションでは、前戦に出走していないドライバーは予選セッションの走行順が1番目となることから不利になるとして、第8戦以降は開幕時と同様にクリエンをレースに出走させ、リウッツィはサードドライバーの役目を務めた。ただし、マーケティング上の理由からカナダ・アメリカの両GPではサードドライバーに、同じくレッドブルのスポンサードを受けているアメリカ人のスコット・スピードを起用した。2004年シーズンオフ、レッドブルは買収に関する話題はともかく、マシン性能面においてはほとんど注目されていなかったが、開幕からクルサードは3戦連続、クリエンは2戦連続でポイントを獲得し周囲を驚かせた。その後もクルサードを中心にシーズンを通してコンスタントにポイント獲得を続け、最終的にB・A・Rの38ポイントに迫る34ポイントを獲得し、コンストラクターズランキング7位となった。2006年からはフェラーリと2年間のエンジン供給契約を結んだ。ドライバーは前年からのクルサード、クリエンに加え、ロバート・ドーンボスを起用しサードドライバーに据えた。また、マクラーレンより移籍したエイドリアン・ニューウェイがチーフテクニカルオフィサーに就いた。シャシはフェラーリV8エンジンに対応して製作された「RB2」を投入。第7戦モナコGPにおいてクルサードが3位に入賞し、チーム初の表彰台を獲得した。第16戦から残り3戦はセカンドドライバーをクリエンからドーンボスに代えた(クリエンはレッドブル陣営から離脱し、2007年からホンダF1のテストドライバーとなった)。それと同時に、レッドブルの育成ドライバーとして、テストドライバーを務めながらGP2に参戦していたミハエル・アメルミューラーがドーンボスに代わってサードドライバーに昇格した。2007年はフェラーリとのエンジン供給契約が継続していたが、これをジュニアチームであるトロ・ロッソヘ移譲。レッドブルはルノーのエンジンを搭載した。マシンは「RB3」。レギュラードライバーはクルサードに加え、新たにマーク・ウェバーを起用。リザーブドライバーには、テストドライバーのアマミューラー、ドーンボス、セバスチャン・ブエミを、各レース毎に変則起用した。今季途中から導入したクイックシフトタイプのトランスミッションなどの信頼性不足もあって、速さはあるものの結果が出ない状態が続いていた。しかし、第10戦ヨーロッパGPでは、豪雨で赤旗中断などの混乱の中で見事に走り切り、ウェバーがレッドブルで初めての表彰台3位(チームとしては2度目)、クルサードも5位に入賞した。ドライバーは引き続きクルサードとウェバーが務め、テストドライバー兼リザーブドライバーにブエミを起用。マシンは「RB4」。カナダGPでは、クルサードが2008年シーズン唯一となる表彰台(3位)を獲得した。クルサードはこの年をもって現役を引退することを7月3日にシルバーストンで発表した。最終戦となる第18戦ブラジルGPでは、脊髄損傷を受けた人々をサポートするチャリティー団体「Wings for Life」の特別カラーリングを纏ったマシンをドライブした。その後、2009年以降もアドバイザーとしてチームに残留することが発表された。2008年イタリアGPで史上最年少で初優勝を遂げたセバスチャン・ベッテルがトロ・ロッソから移籍。ウェバーが残留している。マシンは「RB5」。少々タイヤに厳しいマシンとの評価があるが、スタートから終盤まで安定した速さをもっているのが特徴であった。リザーブドライバーにはブレンドン・ハートレイを起用する予定だったが、スーパーライセンスが発給されなかったため、第2戦までは2008年いっぱいで引退したクルサードが登録される。第3戦中国GPにおいてウェットコンディションの中、ベッテルがポール・トゥ・ウィンで自身2勝目となる優勝を飾り、チームに初優勝をもたらした。なお、この時の表彰式では、本来なら優勝したベッテルの出身国であるドイツの国歌の後、チームの国籍であるオーストリアの国歌が流されるはずであったが、主催者の手違いでドイツ国歌のあとチームの本拠地のあるイギリスの国歌が流されてしまう、という珍事があった。また、ニュルブルクリンクで開催されたドイツGPではマーク・ウェバーが自身にとって初優勝を獲得した。第15戦日本GPにおいて、セバスチャン・ベッテルがポール・トゥ・ウィン。マーク・ウェバーはピットスタートで最下位に終わったが、ファステストラップを記録するなど、チームとして好成績を収めた。ドライバーは前年に引き続きウェバーとベッテル。マシンは「RB6」。RB6に採り入れられた「ブロウンディフューザー」(吹き付けディフューザー)は、マクラーレンのMP4-25が搭載したFダクトとともに2010年のトレンドとなった。第7戦トルコGPにおいて、チームメイト同士のクラッシュを演じた(ベッテルはリタイア、ウェバーは3位)。また第10戦イギリスGPにおいて、チームは新型のフロントウイングを2つ用意していたが、そのうちの1つをベッテルが金曜日のフリー走行時に破損し、決勝でチームが残り1つの新型ウイングをウェバー車から外しベッテル車に装着する。しかし、結果はポールのベッテルをスタート後の1コーナーでパスしたウェバーが優勝。快勝後のウィニングランで「ナンバー2ドライバーにとっては悪くない結果だね」と無線で皮肉った。波風の立つ話題が目立ったGPだった。マレーシアGP、モナコGP、日本GP、ブラジルGPではワンツーフィニッシュを達成している。また第18戦ブラジルGPにおいて、チーム初となるコンストラクターズタイトル獲得を決めた。続く最終戦アブダビGPにてセバスチャン・ベッテルがポールトゥウィンを獲得。チャンピオン争いで前戦まで首位に立っていたフェルナンド・アロンソが7位入賞に終わった為、ポイントランキングを逆転しドライバーズチャンピオンに輝き、ダブルタイトルを獲得した。ドライバーは変わらずウェバーとベッテル。マシンはRB7を使用する。シーズン開幕前には、エンジン供給元のルノーと連合を組む日産自動車のインフィニティ部門とマーケティング契約を交わしたことを発表した。当初噂されていた「エンジン名のバッジネーム」契約ではなかったものの、マシンやドライバーのレーシングスーツ等に「Infiniti」のロゴが掲出される。将来的にはレッドブル・テクノロジーとインフィニティの研究開発部門との間での技術供与等に発展する可能性も示唆した。前半戦はベッテルがオーストラリアGPとマレーシアGPをポール・トゥ・ウィンで連勝し勢いに乗ると、抜群の安定感と速さを発揮。ウェバーも安定して2桁ポイントを獲得し続けた。ドイツGP以降の後半戦はライバルのマクラーレンやフェラーリの戦闘力が増したことで苦戦する場面もあったが、ベッテルはその後も勝利を重ね日本GPで史上最年少2年連続ワールドチャンピオンを獲得、韓国GPでチームの2年連続コンストラクターズチャンピオンが決定した。勝ち星に恵まれなかったウェバーもブラジルGPで優勝し、ドライバーズポイント3位を獲得した。この年は優勝12回(ベッテル11回、ウェバー1回)、表彰台18回(ベッテル17回、ウェバー10回)と前年を大きく上回る好成績を残した。この年もドライバーはベッテルとウェバーで、マシンは段差ノーズが特徴のRB8を使用する。この年からエンジン排気の空力的利用(ブロウンディフューザー)が規制され、この分野をリードしていたレッドブルは不利になった。ベッテルはシーズン序盤はブロウンディフューザーの禁止などのレギュレーションの変更の影響もあり、レッドブルは不調が続いたが、確実にポイントを獲得していった。シーズン後半は徐々に巻き返し、コアンダエキゾーストの導入やダブルDRSの導入を契機として、強さを取り戻し、フェルナンド・アロンソを逆転。最終的に優勝5回、ポールポジション6回、ファステストラップ6回(内ハットトリック2回)を記録し、281ポイントでシーズンを終えた。ウェバーは開幕戦オーストラリアGPでは4位入賞を果たす。第2戦マレーシアGP、第3戦中国GP、第4戦バーレーンGPにおいてもベッテルが苦戦するのに対し、安定した走りを見せ開幕から4戦連続4位入賞を果たした。第6戦モナコGPではポールスタートからロズベルグやアロンソらの追撃を振り切りモナコ2勝目を達成した。また、モナコ2勝以上達成した初のオーストラリア人ドライバーとなった。ヨーロッパGPは予選19番手に沈んだが、そこから追い上げを見せ4位を獲得した。イギリスGPではトップのアロンソを残り5周で抜きシーズン2勝目を挙げたが、これがF1での最終勝利となる。同グランプリ後、チームとの契約を2013年まで延長し残留を決めた。ドライバーはこの年もウェバーとベッテルで、マシンは段差ノーズを隠す短いバニティパネルが装着されたRB9を使用する。ベッテルは第11戦ベルギーGPから最終戦ブラジルGPまでのグランプリ9連勝という記録を打ち立てた。第9戦ドイツGPでは悲願の母国初制覇を果たした。ウェバーは開幕戦オーストラリアGPでは6位とこの年も表彰台を逃した。第2戦マレーシアGPでは終盤に差し掛かりピット戦略でベッテルをかわし首位を走行。レッドブルの2台に争わないようチームオーダーが出るが、従ったウェバーに対し無視したベッテルが暖まらないタイヤで走るウェバーに勝負を仕掛け、ウェバーは優勝をさらわれる。ウェバーはイギリスGP前に今シーズン限りの引退・及び来年からポルシェからWECに参戦する事を発表。その後は度々表彰台に上るも勝利には至らず、終盤9連勝を達成したベッテルの影に隠れる形でF1のキャリアを終えた。ラストレースとなった最終戦ブラジルGPではレース後のインラップでヘルメットを外して走行し、観衆の声援に応えた。ドライバーはベッテルとトロ・ロッソから昇格したダニエル・リチャルドで、マシンはV6シングルターボエンジンが搭載されたRB10を使用する。しかしこの年のレッドブルは昨年までの勢いは一気に無くなってしまい、ほとんどのレースでメルセデスの後塵を拝することとなった。ベッテルにおいてはパワーユニットのトラブルが多発し終盤にはエンジン交換ペナルティを受けた。結局、レッドブル加入以来はじめて、1勝もあげることができないままシーズンを終えた。一方、リカルドは母国での開幕戦オーストラリアGPで2位を獲得しながら失格となる屈辱も味わいながらも、カナダGPで初優勝。その後さらに2勝をあげる活躍をみせ、この年のメルセデス以外のドライバーで唯一勝利をあげた。最終的にリカルドはランキング3位、ベッテルはランキング5位となった。コンストラクターズランキングは2位を確保したがメルセデスには大きく差をつけられる結果となった。この年限りでベッテルはレッドブルを離れ、フェラーリへ移籍した。ドライバーはリカルドとトロ・ロッソから昇格したクビアトで、マシンはRB11を使用する。前年以上にルノー製パワーユニットのパフォーマンス不足と信頼性の低さに悩まされる。前年に、唯一のメルセデス以外のドライバーで勝利をあげたリカルドでさえ優勝はおろか表彰台にも立てないレースが続き早くも第8戦オーストリアGP(レッドブルのホームグランプリ)でリカルドとクビアトの両者ともこの年の規定を超える5基目のエンジンに交換したため、グリッド降格ペナルティを受けた。ハンガリーGPで2人揃って表彰台に上るレースもあったが、このほかの表彰台はシンガポールGPのリカルドの2位表彰台のみに留まり、最終的に、フェラーリ、ウィリアムズに抜かれコンストラクターズ4位でシーズンを終えた。最終的にパワーユニットの改善の兆しは見られず、ルノーとの関係も悪化の一途を辿り、ルノーとの供給契約を2015年一杯で打ち切ることを決断したが、他のエンジンメーカーからの供給を拒否されたため、結局ルノーエンジンに「タグ・ホイヤー」のバッジネームを付ける形で2016年シーズンを戦うことが決定した。またこの年限りでメインスポンサーを務めていたインフィニティとのスポンサー契約が終了となった。ドライバーはリカルドとクビアトが残留。マシンは「タグ・ホイヤー」ブランドのルノー製PUを搭載したRB12を使用する。マシン性能は前年と比較すると向上し、予選ではフェラーリをしばしば上回り第3戦中国GPではクビアトが3位表彰台を獲得した。しかしクビアトは母国グランプリとなる第4戦ロシアGPで1コーナーでフェラーリのベッテルに追突。その弾みでベッテルがリカルドにも接触したことにより、レッドブルの2台はマシンにダメージを受け結果的にチームはノーポイントに終わる。この結果にレッドブル首脳陣はクビアトに激怒し、翌戦のスペインGPでクビアトと入れ替わりにトロロッソからマックス・フェルスタッペンを昇格させるという采配を見せ大きな物議を醸した。その中、フェルスタッペンは移籍初戦のスペインGPでいきなり初優勝を成し遂げ史上最年少記録(18歳227日)を樹立。チームにとっても2014年ベルギーGP以来となる優勝を成し遂げた。モナコGPではアップデートしたルノーエンジンを搭載したリカルドが自身初のポールポジションを獲得。しかし決勝ではピットのミスでハミルトンに逆転され2位に終わった。それでも2014年のようなパフォーマンスは復活し、リカルド、フェルスタッペン共に安定したパフォーマンスを見せ、ドイツGPでフェラーリをコンストラクターズランキングで逆転し2位に浮上した。マレーシアGPでは3年ぶりのワン・ツー・フィニッシュを果たした(リカルドは2年ぶりの勝利)。5月にレッドブルは、ルノーのパワーユニットの進歩を評価し、ルノーとエンジン契約を2018年まで結んだと発表した。同チームの開発部門は法人格上は「レッドブル・テクノロジー」という別会社となっており、最高技術責任者(CTO)のエイドリアン・ニューウェイを始め開発部門の主だったスタッフの大半は名目上同社所属という扱いになっている。これは元々コンコルド協定において、あるF1チームが開発したシャシーに関する設計情報などを他チームと共有することが認められないのに対し、F1チーム以外の企業が持つシャシー設計情報を複数のF1チームが利用することにはかつて制限がなかった、という一種の抜け道を利用することが狙いで、同チームと兄弟チームのトロ・ロッソはレッドブル・テクノロジーを介することでシャシー設計を事実上共有していた(実際スーパーアグリF1チームも、似たような手法でホンダF1のシャシー設計を流用していた)。2010年よりこのような抜け道的なシャシー設計の共有は認められなくなったため、トロ・ロッソは現在自社デザインによるシャシー設計を行っている。現在は同社からレッドブル・レーシングやトロ・ロッソ以外のF1チームへのパーツ供給も行っており、その第1弾として、2011年からはレッドブルと同じルノーエンジンを使用するチーム・ロータス(後のケータハムF1チーム)に対しギアボックスや油圧システム等を供給していた。レッドブルは豊富な資金力とユニークな発想で、広報活動においても注目を集めている。
出典:wikipedia
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