ミルウォーキー・バックス(Milwaukee Bucks)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキーに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、セントラル・ディビジョン所属。チーム名のbuckとは一帯に棲息する牡鹿のこと。牡鹿の躍動感から命名された。現在のオーナーは、ウェズリー・エデンスとマーク・ラスリー。ミルウォーキーには1950年代にNBAのチーム、ミルウォーキー・ホークス(のちのアトランタ・ホークス)が存在したが、4年間ミルウォーキーでプレーしたのちに移転した。その10年あまりにのちに、NBAはウェズリー・パバロンとマービン・フィッシュマンの立ち上げた企業にチーム創立を承認し、1968年にミルウォーキー・バックスがリーグ入りし、チーム名には公募で寄せられた中から雄鹿を意味する「バックス」が選ばれた。同じ年にフェニックス・サンズも設立されている。1年目にはジョン・マグロクリンなどが活躍したが、新設チームだったバックスは27勝55敗と負け越しを余儀なくされた。シーズン終了後、バックスはフェニックス・サンズとともに1位指名権獲得を巡るコイントスを行った。この賭けに勝ったバックスはその年のドラフトの目玉だったルー・アルシンダーを獲得した。2年後にカリーム・アブドゥル=ジャバーと改名するアルシンダーは1年目からチームにインパクトを与え、1969-70シーズンのバックスは56勝26敗と勝ち数を倍以上に増やした。オスカー・ロバートソンを加えた翌シーズンはさらに躍進し、66勝16敗とリーグ最高の成績。アブドゥル=ジャバーはMVPを受賞し、バックスはプレーオフをNBAファイナルまで勝ち進んでワシントン・ブレッツを破り優勝した。新設チームが3年目で優勝するのは今もリーグ史上最短の記録である。その後もバックスは60勝前後の高い勝率を上げ続け、アブドゥル=ジャバーは2度MVPを受賞した。1973-74シーズンには再びNBAファイナルに進出し、ボストン・セルティックスと対戦した。シリーズは最終の7戦目までもつれ込み、その内第6戦は延長2回まで続く激戦だったが、バックスは3勝4敗で優勝を逃した。ロバートソンが引退した影響で翌1974-75シーズンは38勝44敗と失速し、シーズン終了後には出身地のニューヨークや大学を過ごしたロサンゼルスでのプレーを望んでいたというアブドゥル=ジャバーもトレードでチームを去った。以降数年間のバックスは勝率5割を前後する中堅どころのチームとして過ごした。この1970年代後半に、チームはクイン・バックナー、ブライアン・ウィンターズ、シドニー・モンクリーフ、ボブ・レイニア、テリー・カミングスなどを獲得し、1976年からはドン・ネルソンが監督として指揮を執った。1979-1980シーズンにミッドウェストディビジョンで地区優勝を果たした翌シーズンからイースタン・カンファレンスのセントラル・ディビジョンに移り、さらに6年連続地区優勝を果たした。この間の1981年にはリーグ3位の60勝22敗にまで勝ち星を増やし、以後数シーズンに渡り地区有数のチームだったが当時の強豪チームであるボストン・セルティックスやフィラデルフィア・セブンティシクサーズの陰に隠れがちだった。1980年代末頃から主力選手の引退などで勝率が下がり始め、1993年には勝ち数30を切った。バックスは1993年にビン・ベイカー、1994年のNBAドラフトいの一番指名のグレン・ロビンソン、1996年にはレイ・アレンを獲得したがチームは低迷したまま7年間プレイオフに出場できなかった。1998年にジョージ・カール監督を迎えるとティム・トーマス、サム・キャセールを加えたバックスの成績は浮上し始めた。2001年には52勝30敗にまで復調し、プレーオフではイースタン・カンファレンス決勝まで進み、第7戦までもつれたが、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに敗れた。2001-02シーズン開始前にディフェンスを強化するためにアンソニー・メイスンを加入させたが、彼の加入によってチームケミストリーは逆に崩壊してしまい、一時はカンファレンス首位を走っていたが、主要メンバーの怪我やロビンソンとアレンの確執が表面化するなどあり勝率5割に落ちてプレイオフ出場を逃した。シーズン終了後、ロビンソンはアトランタ・ホークスに、アレンは2002-03シーズン途中にシアトル・スーパーソニックスに、キャセールは同シーズン終了後にミネソタ・ティンバーウルブズにトレードに出されてカールヘッドコーチは解任された。2003-04シーズン以後は2000年にチーム入りしていたマイケル・レッドがチームの中心となった。2005年のNBAドラフトで全体1番目に指名する権利を得てアンドリュー・ボーガットを指名した。その後もトレード等でチーム改革に乗り出したがチームは低迷。プレーオフに出場できた年は1回戦で敗退というシーズンが続いていた。2009年のNBAドラフトにおいて、ブランドン・ジェニングスを指名。ジェニングスやボーガットを中心にチームはシーズン序盤から好調を維持。シーズン中にジョン・サーモンズをトレードで獲得。サーモンズは、怪我で欠場中のレッドの穴を埋める活躍を見せ、46勝36敗という好成績を収めた。2013-14シーズンはオフにジェニングス、モンタ・エリスを放出しO.J.メイヨを獲得したが、補強面での裏目もあり、チーム創設から最低の15勝67敗で終えた。2014年4月16日、長らくオーナーであったハーブ・コールがバックスをニューヨークに基盤を置く資産家ウェズリー・エデンスと、マーク・ラスリーに5億5千万ドルで売却することに合意した。新オーナーはチームをミルウォーキーに残し、1億ドルで新アリーナを建設すると見られている。NBAによる認可は1か月後の5月16日に下りた。新オーナー陣は、リーグ最低の成績に終わったチームの立て直しに、積極的に動いた。まずは、ブルックリン・ネッツのヘッドコーチだったジェイソン・キッドを、2015年と2019年のドラフト2巡目指名権と引き換えにヘッドコーチ招聘に成功。更に2014年のNBAドラフトで、デューク大学のジャバリ・パーカーを指名するなど、体制を整えた。新生バックスは、前シーズンに15勝しか挙げられなかったチームが、11月中に10勝を記録。その後12月16日のフェニックス・サンズ戦で、バックス再建の一角を担ってきたジャバリ・パーカーが、左膝の前十字靱帯断裂の重傷を負いシーズン全休となるアクシデントに見舞われ、更にラリー・サンダースがトラブルを連発し、怪我人が続出するという戦力が整わない中、ヤニス・アデトクンボ、クリス・ミドルトンら若手選手が奮起し、2015年2月11日のサクラメント・キングス戦に勝利し、前シーズンの倍の勝ち星(30勝目)を記録。オールスター戦後は苦しんだが、4月11日のブルックリン・ネッツ戦の勝利で、2009-10シーズン以来のシーズン40勝目を挙げ、2年振りのプレーオフ出場を決めた。シカゴ・ブルズとの対戦となった1回戦は、3連敗から2連勝で返したものの、2勝4敗で力尽きた。グレッグ・モンローを獲得し、チーム力強化を図ったはずのバックスだったが、2015-16シーズンは開幕ダッシュに失敗。11月14日のクリーブランド・キャバリアーズ戦は、第2オーバータイムの末に108-105で8連勝中だったキャバリアーズに勝利し、更に12月11日にゴールデンステート・ウォリアーズ戦では、前シーズンのNBAチャンピオンに108-95で勝利し、開幕24連勝中だったウォリアーズの快進撃を止める大金星を挙げたものの、結局は波に乗れず、3月にプレーオフ不出場が決定し、33勝49敗と、シーズン当初の期待を大きく裏切る結果に終始した。!通算勝敗 || 1,983 || 1,905 || .510 || ||!プレイオフ || 106 || 122 || .465 || 優勝1回 ||太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代2010年代ミルウォーキー・バックスのチーム記録
出典:wikipedia
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