トロント・ラプターズ(Toronto Raptors)は、カナダのオンタリオ州トロントに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、アトランティック・ディビジョン所属。チーム名の"Raptor"とは恐竜の一種ラプトルを表す。チーム設立当時は映画「ジュラシックパーク」が大ヒットしていたためこの名前が付けられた。NBA30チーム中、現在アメリカ合衆国以外の国に拠点のあるただ一つのチーム。1990年代にNBAが成長を続ける中、カナダでの市場開拓を意識して1995年に2チームが新設され、その1つがトロント・ラプターズである。ラプターズの所有はNHLのトロント・メープルリーフスも所有するメープルリーフ&エンターテインメント社。また、同時期にもう1つバンクーバーに本拠を置くバンクーバー・グリズリーズが作られた。カナダに出来たNBAチームとしては、1946-47年のトロント・ハスキーズ以来であった。1995年ゼネラルマネージャーに任命されたアイザイア・トーマスのもと、拡張ドラフトで得た選手によってトロント・ラプターズは結成された。コイントスの結果、先に指名権を得たラプターズは、まずシカゴ・ブルズのポイントガードで3ポイントシュートの名手、B.J.アームストロングを指名。しかしアームストロングはチームに加わることを拒否、そのためにトーマスはゴールデンステート・ウォリアーズのパワーフォワード、カルロス・ロジャーズ、ヴィクター・アレクサンダー、ドラフト2巡目指名権と引き換えにアームストロングをトレードした。他に拡張ドラフトではベテランのジェローム・カーシー、ウィリー・アンダーソン、トーマスのピストンズ時代のチームメートのジョン・サリーを指名した。ラプターズが拡張ドラフトで先に選手を指名する権利を得たため、その年のNBAドラフトではバンクーバー・グリズリーズに次ぐ指名権を与えられることとなった。そのドラフトの1巡目ではデーモン・スタウダマイアーを指名。この年のドラフトは地元トロントのスカイドームで開催されたがスタウダマイアーが指名されたとき、ブーイングが沸き起こった。AAのその年最優秀選手、NCAAのファイナルフォーMVPのUCLAのエド・オバノンが指名されることを期待していた。(ちなみにオバノンはニュージャージー・ネッツに指名されたが、その後NBAで活躍することなく引退した。)1995-96シーズン、スタウダマイアーは1試合あたり19得点、9.3アシストで新人王を受賞した。ラプターズの1年目は21勝61敗で終わったが、シーズン72勝10敗だったシカゴ・ブルズを破ったことが知られている。前季より9つ勝ち星を増やし、30勝52敗でシーズンを終えた。順調に観戦客数も伸ばし、専門家がチームが何年かのうちに、プレーオフに進出、ひょっとしたらチャンピオンシップまで行くのではないかと予想するほどであった。しかし、花の世代と言われるこの年の1996年のNBAドラフト1巡目2位で指名されたマーカス・キャンビーは期待外れに終わった。チームは多くの負傷者を出し、チームに対する楽観主義は消滅。デーモン・スタウダマイアー、マーカス・キャンビーに続いてトレイシー・マグレディを指名するなど、優秀な若手選手の獲得に力を発揮したがアイザイア・トーマスであったが、チームは彼を解雇しグレン・グランウォルドを同職に就けた。また、1998年2月13日には、スタウダマイアーを大型トレード(※)でポートランド・トレイルブレイザーズに放出するなど改革を進めていったが、この年は16勝66敗で終わった。※トレードで加入するはずのケニー・アンダーソンが移籍を拒否したことで、最終的にボストン・セルティックスのチャンシー・ビラップスなどを含めた3チーム間の大型トレードが2月18日に行われた。1998年のNBAドラフトで1巡目全体5位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されたヴィンス・カーター(トレイシー・マグレディのいとこでもある)を、全体4番目に指名していたアントワン・ジェイミソンとのトレードで獲得。さらにこのオフに、タフでプレーオフの経験豊富で若い選手の助けとなるチャールズ・オークリーをキャンビーとの交換で、またケビン・ウィリスをトレードでそれぞれ獲得した。このトレードは将来の成長が見込まれる若手と先の短いベテランをトレードとしたと理解され、周囲からは大きな損失であると考えられたが、オークリーの優れたリーダーシップはまもなく証明されることとなった。一方でダグ・クリスティが守備を重視するためのポイントガードへと成長し、アルヴィン・ウィリアムスによる攻撃力もアップした。もう一人のベテラン、ケビン・ウィリスもセンターをがっちりと埋めた。ポイントガードとセンターに穴のあったチームはそれまで以上に勝てるようになり、新任のヘッドコーチ、ブッチ・カーターはマグレディたち若手の成長も大いに助けた。チームはプレーオフには進出できなかったが、新人王になったヴィンス・カーター、大きく成長したマグレディによって将来に期待をもたせた。ロックアウトで短くなったこのシーズンは23勝27敗と5割目前だった。ドラフト全体5位の指名権と交換でアントニオ・デイビスを獲得し、さらにインサイドを補強した。カーターを中心にチームは躍進し、45勝37敗と初めて勝率5割を超え、チーム初のプレーオフ進出を果したが、ニューヨーク・ニックスに3戦全敗。そしてカーターとマグレディの主導権争いが泥沼化するなど、実りの多いシーズンとは言いがたかった。マグレディがフリーエージェントでオーランド・マジックへ、クリスティはトレードによりサクラメント・キングスへとそれぞれチームを離れるが、監督にレニー・ウィルケンズ、ガードにベテランのマーク・ジャクソンを加える(シーズン途中にクリス・チャイルズとトレードした)という変化があり、47勝35敗と好成績を残した。プレーオフでは2回戦まで進み、NBAファイナルまで進出したフィラデルフィア・セブンティシクサーズと好勝負を演じたが3勝4敗で敗れた。第7戦はわずか1点差での敗戦だった。“ドリーム”の異名を持つ名センターアキーム・オラジュワンを獲得するも、そのオラジュワンは衰えと腰痛で戦力にならず、カーターは膝の負傷でシーズンアウト。それでもチームは42勝40敗でプレイオフ進出するも、1回戦で敗退した。リーグトップクラスのスコアラーに成長し、チームの顔でもあるヴィンス・カーターが怪我で長期離脱し24勝58敗と大きく負け越した。2003年のNBAドラフトでクリス・ボッシュを4位で指名するも、このシーズンもチーム成績は5割以下と低迷し、ゼネラルマネージャーのグランウォルドは解雇された。数年にわたりチームの中心だったカーターは、やる気のないチームにトレードを要求し、その年12月にニュージャージー・ネッツに放出された。ラプターズはアロンゾ・モーニングらを獲得したものの、そのモーニングはラブターズでのプレーを拒否したために、直ぐ様契約を解消するなどメリットは無きに等しく、結果的にカーターを失っただけの失敗トレードであり、NBA史上最悪のトレードと酷評されてしまった。クリス・ボッシュやモリス・ピーターソンらが主力としてチームを引っ張った。ボッシュは体格・スキル共に着々と成長を続け、ラプターズ不動のエースとしてNBAオールスターゲームにも出場。アメリカ代表にも選ばれている。シーズン途中の2月、前フェニックス・サンズゼネラルマネージャーのブライアン・コランジェロがGMに就任。チームの大改革が始まる。以降、コランジェロはサンズを強豪チームへと仕立て上げた手腕を発揮させ、チーム再生のキーマンと評価されるまでになっている。2006年オフには、2006年のNBAドラフト全体1位でアンドレア・バルニャーニを指名するなどの補強を行い、リーグ有数の多国籍軍となった。そしてミルウォーキー・バックスからトレードで獲得したPGのT・J・フォードがチームに完全にフィットし、チーム史上初のディビジョン優勝に輝いた。ヘッドコーチのサム・ミッチェルがNBA最優秀コーチ賞、GMのブライアン・コランジェロがNBA最優秀役員賞を獲得している。2007年オフに、前年度の3ポイントコンテスト・チャンピオン、ジェイソン・カポノをマイアミ・ヒートから獲得。非常に若いチームで前年度躍進したこともあり、それ以外に目立った補強はなくシーズンを迎えた。しかし、シーズン途中にクリス・ボッシュやT・J・フォードを怪我で欠いたり、課題のディフェンス面に向上が見られなかったりと、結局昨年度を下回る5割ちょうどの勝率でシーズンを終了する。プレイオフもオーランド・マジックに1勝4敗。昨年同様、初戦敗退という結果となった。2008年オフに、T・J・フォードやラドスラフ・ネステロヴィッチらをインディアナ・ペイサーズに放出し、見返りにジャーメイン・オニールを獲得した。オニールが加入したことで、ボッシュとの強力なフロントコートが形成され前年度よりも躍進するかに見えた。しかし、シーズンインすると期待されたほど成績が上がらず、ヘッドコーチのサム・ミッチェルはシーズン途中で解任された。さらに、オフで獲得したオニールも、ショーン・マリオンとマーカス・バンクスとのトレードでジャマリオ・ムーンとともにマイアミ・ヒートに放出された。その後、移籍してきたマリオンがチームに溶け込み、シーズン終盤に巻き返しをみせたが、2シーズンぶりにプレーオフを逃す結果となった。40勝42敗、イースタンカンファレンス9位で2年連続プレーオフを逃し、FAとなるクリス・ボッシュをチームに残留させることが困難な状況となった。大方の予想通り、FAとなったクリス・ボッシュはマイアミ・ヒートに移籍し、2年目のデマー・デローザンの躍進は見られたものの、残されたベテラン勢と中堅の活躍は月次で、22勝60敗と大敗を喫し、同じく主力、レブロン・ジェームズを失ったクリーブランド・キャバリアーズと最低成績を競った。ロックアウトにより短縮されたシーズンを若干のディフェンス力向上によって、23勝43敗の成績で、勝率を昨年の2割台から3割台まで戻したが、イースタン11位で、プレーオフへの道のりは依然厳しい状況が続いた。主要メンバーの転出などは殆どなく、オフェンス強化に向けカイル・ロウリーを獲得し、シーズン中にメンフィス・グリズリーズからルディ・ゲイを獲得、34勝48敗と勝率は4割台にはなったものの、またしてもプレイオフの進出はならなかった。これまでの主要メンバーを、若手成長株のデマー・デローザン、テレンス・ロス、ヨナス・ヴァランチューナスを残しながら、ルディ・ゲイをサクラメント・キングスに放出するという大胆なトレードを敢行するなど、戦力を大きく大きく入れ替え、また前年の補強のカイル・ロウリーもチームに溶け込んだことが功を奏し、48勝34敗と大きく戦績を伸ばし、カンファレンス3位でプレーオフ進出。地区優勝も果たした。1stラウンドはブルックリン・ネッツとの対戦になったが、7戦の末、敗退した。イースタンカンファレンスで全盛を誇っていたマイアミ・ヒートが、レブロン・ジェームスのクリーブランド・キャバリアーズ復帰に伴うチーム再編や、カンファレンス全体の低調に上手く乗じて、開幕ダッシュに大成功し、チーム史上最高の開幕スタートを切った。途中デマー・デローザンやカイル・ロウリーを怪我で失うハプニングもありながら、アトランティックディビジョンの低調にも助けられ、2年連続でディビジョン優勝を決めたが、プレーオフ1stラウンドでワシントン・ウィザーズに4戦全敗のスイープ負けを喫し、2年連続でセミファイナル進出はならなかった。2014-15シーズンプレーオフで惨敗したことを反省した上で、2015年夏はデマール・キャロル、ルイス・スコラ、ビスマック・ビヨンボ、コーリー・ジョセフなどを獲得し、脇役陣を強化した2015-16シーズンは、難なく3年連続でディビジョン優勝。デマー・デローザンとカイル・ロウリーのガードコンビは揃ってエア・カナダ・センターで開催されたNBAオールスターゲームに出場するなど良いとこずくめで、チーム史上最高の56勝26敗で終了。プレーオフは1stラウンドでインディアナ・ペイサーズを4勝3敗で退け、2001年以来のカンファレンスセミファイナルに進出。更にマイアミ・ヒートも4勝3敗で下し、初のカンファレンスファイナルに進出した。初のカンファレンスファイナルでクリーブランド・キャバリアーズに2勝4敗で敗れ、初のファイナル進出はならなかった。!通算勝敗 || 678 || 914 || .426 || ||!プレイオフ || 14 || 28 || .333 || || 太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人1990年代2000年代 2010年代監督のレニー・ウィルケンズはラプターズに加入する前に殿堂入りを果たしていた。ラプターズの選手で殿堂入りした者はまだない。:なしトロント・ラプターズのチーム記録
出典:wikipedia
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