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コンテンポラリー・ダンス

コンテンポラリー・ダンス()は、フランス語の「ダンス・コンテンポランヌ」(danse contemporaine)の英訳語。1960年代以降の前衛的なダンスがルーツとも言われているが、現在コンテンポラリー・ダンスといわれている舞踊芸術運動の発祥の地は、1980年代前半のフランスである。もともとは、イサドラ・ダンカン、マーサ・グラハムのモダン・ダンスや、マース・カニンガムらがつくりあげた「ポスト・モダンダンス」以降のダンスをさしていたが、ドイツのタンツテアター()や日本の暗黒舞踏、ストリートダンス、ヌーボーシルク()(現代サーカス)、各国のエスニック・ダンス、武術の型、映像やコンピューターなどの機材をつかった実験的パフォーマンスなど、考えうる限りのあらゆるパフォーマンスが取り込まれる状態が現在も進行している。この現状をもって、定義づけできないことがコンテンポラリー・ダンスの本質であるかのような言説がなされることもあるが、むしろ定義づけが積極的に試みられること自体があまりなく、静観されている、という言い方がより正確だろう。今のところ、現在行われているダンスのうち「非古典的かつ前衛的で、時代の先端を体現している」と考えられるダンス作品およびダンステクニックを指す曖昧な概念である。バレエやモダンダンス、ポスト・モダンダンスなどの舞踊芸術を実践している人々のうち、クラシックな伝統を解体し脱構築を目指しているダンサーやダンス・カンパニーには、「コンテンポラリー・ダンス」を標榜しているケースが多い(ただし、革新的なダンスを実践していてもコンテンポラリー・ダンスをあえて名乗らない、というケースも稀にある)。近年は、ダンスの定義そのものに挑戦するような作品が増加する傾向にあり、ダンスにカテゴライズするべきかどうか判断に苦しむような場合もある。1970年代後半、フランスでは国策として文化の地方化(デサントラリザシオン)()が図られ、大きな文化予算が組まれるようになった。その一環として舞踊部門にも積極的に資金が投下されるようになり、皮切りとして1978年にアンジェの国立フランス現代バレエ団 (CNDC) が設置された。これは文化省のイゴール・エイスナーというダンス担当役人の働きによるもので、エイスナーは各地に地方振付センターを作って上からダンスのネットワーク形成を図った。首都パリのオペラ座にも現代舞踊部門が設置され、その指導者としてフィンランド系アメリカ人ダンサー、カロリン・カールソン (Carolyn Carlson) が招聘された。このカールソンがコンテンポラリー・ダンスの母だとされている。折りしもフランスにアメリカのモダンダンスやポスト・モダンダンスが紹介された時期と重なっていたこともあり、カールソンの新しい振り付けは衝撃を持って受け入れられた。ほどなくしてフランス発の前衛舞踊が振付けられるようになったが、当初は「コンテンポラリー・ダンス」ではなく「ヌーヴェル・ダンス」とよばれた。は反バレエ、あるいは脱バレエ的な試みであった。その形成にはマース・カニンガムやピナ・バウシュ、フランスで「グループMA」をつくって活動した矢野英征(1943年 - 1988年)らの影響があると考えられている。1990年代に入ると革新的なムーブメントの追求よりも、むしろ新しい表現方法の追求にこだわる振付家が増え、映像、音響、照明、美術、ITを大規模かつ複合的に導入する事例がみられるようになった。同時にストリートダンスや日本の舞踏、ヌーボーシルク、タンツ・テアター的手法が取り入れられるに至り、名称もコンテンポラリー・ダンスへと変化した。前述の通りコンテンポラリーダンスの定義は多様であり、その受け止められ方は地域、国によって様々である。現在(21世紀初頭)における海外での傾向は次の通りである(日本での受け止められ方は後述)。ヨーロッパのコンテンポラリーダンスは、主としてバレエテクニックを母体としたプロダクション-集団芸術の方向性と、個人作家によるより実験的な方向性の二つにその傾向を大別することが可能である。前者は公立劇場のバレエ団や、モダンダンスカンパニー、コンテンポラリーダンスカンパニーなどを母体として、これまでのダンスと同じコンテクスト、身体の躍動性を観客に訴えかけることを主たる目的(あるいは作品において欠かすことのできない基盤)として有する。上演される場所も歌劇場など、伝統的劇場施設において主に発表される。対して後者は、テクスト、ビデオ、ファッションなど、様々なメディアを用いて、観客とユーモアや知性を共有することを目的としていて、決して特権的身体(訓練されたダンサーの身体による躍動性)は必要ではない。また、個人作家による作品のため、ソロやデュオなど、少人数による作品が目立つ。上演場所もより小規模な劇場や、ギャラリー、あるいはしばしば屋外など、オルタナティヴなスペースで積極的に発表されている。ただしこの分け方は絶対的ではなく、例えばジェローム・ベルのように、両者どちらの傾向性を持った作品に関わるアーティストやダンサーも少なくない。特に西欧、フランス、ポルトガル、オーストリア、ドイツ、ベルギーなどにおいては、後者の作品群が前者に劣らず盛んに上演されている。一方で、オランダ、イギリス、ギリシャ、またポーランド、エストニア、ブルガリアなどの東欧では前者の方が依然盛んである。概してアジアではコンテンポラリーダンスを西洋舞踊の新しい型(テクニック及び方向性)として受け止めている傾向がある。したがってヨーロッパにみられるような実験的作品よりも、それまでのコンテクストにしたがい、身体的な躍動性を作品の主軸に置いていることが多い。ただし上演作品は、決して西洋舞踊をフォローしていると一概に言えるものではなく、作品のモチーフは各国独自の文化の影響を受けたものをみることができる。例えば、伝統舞踊を母体としたコンテンポラリーダンスの表現も試みられている。複雑な政治的状況の影響を受け、中東のコンテンポラリーダンスは決して盛んとはいえない。例えばイランではダンスそのものが非合法で、アーティストはこれをあくまでも演劇として呼称することで、社会的な実現をなんとか果たしている。イスラエルにおいては、バットシェバ、インバル・ピント&アブシャロム・ポラック・ダンスカンパニーの両カンパニーがその優れた身体能力を駆使した振り付けによって、国際的にも高い評価を受けている。1990年代日本では、それまでの「現代舞踊」「舞踏()」出身でありながらその枠におさまらない独自の活動をするダンサーの存在が顕著になり、その総称として「日本のコンテンポラリーダンス」の語が使われたようである。特に、JCDN(NPO法人Japan Contemporary Dance Network 代表:佐東 範一)が、本来のContemporary Dance(≒Nouvelle Danse)とは関係が薄いにもかかわらず、そのような名称のみを原義を離れてあてはめたことによって、日本国内で名称が普及したと言える。「日本のコンテンポラリーダンス」と、コンテンポラリー・ダンスとは、別ジャンルであったと考えるべきであろう。ただし21世紀に入り、欧米・日本とも、観客の存在をもって成立する創作的なダンスの総称として「コンテンポラリー・ダンス」の語が使われていきそうな傾向がみられ、意図的な区別は無意味であると思われる。

出典:wikipedia

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