マイネルキッツは日本中央競馬会 (JRA) の元競走馬。勝ち鞍に2009年天皇賞(春)・2010年日経賞・2011年ステイヤーズステークス。馬名の由来は冠名+ドイツ語で「子鹿、子カモシカ」。ラフィアンターフマンクラブにおける募集価格は17万×100口の1700万円。2003年3月18日、北海道新冠郡新冠町のビッグレッドファームにて生まれる。日本中央競馬会美浦トレーニングセンターの国枝栄厩舎に入厩し、2005年9月24日の第4回中山競馬第5日第5競走のサラブレッド2歳新馬戦で後藤浩輝を鞍上に据えデビューを果たし5着となった。2005年10月15日、次走の10月15日に東京競馬場で出走したサラブレッド2歳未勝利戦で初勝利を記録。2006年9月30日、第2回札幌競馬第7日目第10競走の恵庭岳特別(500万円下条件)で2勝目をあげた。その後1年間勝ち星から遠ざかったが、2007年9月22日に前年に勝利をあげた恵庭岳特別(札幌競馬場)で3勝目を記録。2007年の神奈川新聞杯、2008年の早春ステークス(1600万下条件)と勝利した。2008年夏競馬の七夕賞(福島競馬場)で3着、新潟記念(新潟競馬場)で2着となり、その年の秋の福島記念(福島競馬場)でも2着に入る。2009年3月28日の日経賞(中山競馬場)では、アルナスラインの2着に入った。2009年5月3日、松岡正海騎手の進言により出走した第139回天皇賞では18頭中単勝12番人気という低評価であったが、レースは1番人気アサクサキングスや2番人気スクリーンヒーローを退け勝利した。なお、重賞未勝利馬が天皇賞(春)を制すのは1980年のニチドウタロー以来29年ぶり。その後宝塚記念に出走したが、ドリームジャーニーの7着に敗れた。秋競馬の緒戦は京都大賞典。5番人気に推されたものの、7着に敗れた。その後、11月29日のジャパンカップでは出走18頭中の最後方18番手に位置取ってレースを進め8着に終わった。続く有馬記念では三浦皇成が騎乗して18頭中の10番手から追い上げ5着へ入着した。2010年1月24日のアメリカジョッキークラブカップから始動、11番手から最後の直線で追い上げるも届かず4着に終わった。2ヶ月の間を挟んで3月27日の日経賞に出走、エアシェイディに3/4馬身差をつけて勝利、前年春の天皇賞以来の重賞2勝目となった。しばらく勝利の無い状況が続いたが、2011年12月3日のステイヤーズステークスで勝利した。2012年2月18日のダイヤモンドステークスで始動したが見せ場無く10着。再び勝ちをあげられない状況が続き、10歳となった2013年も現役を続行したが惨敗が続き、11月30日のステイヤーズステークス11着を最後に現役を引退した。引退後は神奈川県横浜市の根岸競馬記念公苑内のポニーセンターで、マイネルキッツは乗馬として第2の馬生を過ごしている。馬の博物館のホームページに設けられた「マイネルキッツ写真館」では、マイネルネオスと仲良く過ごす姿や、鞍上を務めていた松岡がマイネルキッツを乗馬として手綱を操る姿を確認できる。上記「競走成績」は、netkeiba.com「マイネルキッツの競走成績」に基づく。
出典:wikipedia
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