恐山(おそれざん、おそれやま)は、下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場である。また、霊場内に数種類の温泉が湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されている。最高峰は、標高879mの釜臥山。恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。古くは宇曽利山「うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、恐山「おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。「恐山」という名称の単独峰はない。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。寺名は菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。本尊は地蔵菩薩。恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、古くから崇敬を集めてきた。下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。一方、近代においては山中に硫黄鉱山が建設され、硫黄の採掘が行われていた時期もあった。恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せが行われる。なお恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。また恐山菩提寺はイタコについて全く関与していない。イタコは、八戸や、青森から恐山の開山期間中にのみ出張してきており、むつ市には定住していない。高野山、比叡山と並んで、「日本三大霊山」とされることもある。恐山は火山であり、境内には温泉が湧いている。4つの湯小屋は無料(参拝料は必要)であるほか、宿坊にも温泉施設がある。なお、地理でいう恐山山地とは、下北半島のまさかり部分にある山地全体を指すので、いわゆる霊場恐山 とは区別される。伝承によれば、開山は貞観4年(862年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)であるという。文化7年(1810年)再刊の『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』によれば、円仁が唐に留学中、「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけた。円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、恐山にたどり着いたといわれる。その中に地獄をあらわすものが108つあり、全て夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵大士(地蔵菩薩)を彫り、本尊として安置したとされている。恐山には史料に残された噴火記録はなく、地質調査の結果からも、最後の噴火は1万年以上前と見られている。しかし、カルデラ内の一部には水蒸気や火山性ガスの噴出が盛んで、気象庁が2007年12月1日より開始した「噴火災害軽減のための噴火警報及び噴火予報」の対象になっている。ただし、現在のところ、噴火警戒レベルを導入した16火山には含まれていない。恐山の「地獄」付近には火山性ガス(亜硫酸ガス)が充満していて特有の硫黄臭が鼻を突く。恐山を参拝した際、頭痛、倦怠感を発症する者がいるが、これは霊的な現象ではなく、有毒ガスによる軽い中毒症状である。体力的に弱い高齢者や、身長が低く有毒ガスを吸い込みやすい幼児は、注意が必要である。恐山霊場には、鳥がほとんどおらず、草木も生えず、賽銭がひどく腐食しているのは、心霊現象ではなく、すべて火山ガスの影響である。また、川や湖の水が異常に透明であるのも、水に火山ガスが溶け込み、酸性値が高いため、生物の生育に適していないからである。むつ市市街地でも、北西風のときは恐山の火山ガスによる硫黄臭を感じる時がある。むつ市街から恐山霊場に至る恐山街道(青森県道4号)には途中、湧き水恐山の冷水(ひやみず)がある。飲めば若返る名水と言い伝えられるが、濾過や殺菌処理をしていない生水であるため、一度煮沸してから飲用したほうが良い。恐山は江戸期以前より、地域の住民の信仰の対象であったと考えられるが、近代に入ってもそうした信仰は継続していた。この土地の様子を伝える、明治期の早い時期の記録の一つとして、作家幸田露伴が明治25年(1892)に訪れたおりに記した、紀行「易心後語」がある。それによれば、寺の西側はすでに現在と同様、白い岩石が露出する荒涼とした風景だったとのことで、露伴は「何と無く不気味なる」「怪異なる此山の景色」などと記している。集まった人々が死者を思い、念仏を唱えたり賽銭を投げたりしていた光景も詳しく記され、「血の池」では出産のおりに死んだ女性の、「賽の河原」では死んだ子の供養が行われていたことも知られる。また、露伴は境内に湧く温泉も利用しているが、2年後に博文館から刊行された『日本名勝地誌』「東山道之部下」によれば、粗末ながら5ヶ所の浴場が設営されていたとのことである。また、この場所の岩石について、「易心後語」には「岩にさへ赤鬼青鬼等の名ある」としか記されておらず、『日本名勝地誌』も「血ノ池」「畜生道」ほか八大地獄などの称があることを伝えるのみだが、明治44年(1911年)に円通寺が刊行した『奥州南部恐山写真帖』によって、現在も見ることができるような露岩に「鬼石」「剱之山」「修羅地獄」「大王石」といった名前がつけられていたことがわかる。なお、その後この宇曽利湖北岸には硫黄鉱山が設けられ、寺の境内も鉱区に含まれていた。寺の東側に下北鉱山区(現在温泉がある場所)、地蔵山西側に宇曽利鉱区、東側に八滝鉱山があり、県道周辺に飯場や遊郭などがあった。当時、硫黄は火薬の原料として貴重であり、硫黄の産出は軍事機密に直結することから、高い秘匿措置がなされていた。当初は三井鉱山によって採掘が行われ、後に王子製紙の所有となっていた。『日本名勝地誌』に「本道なるを以て甚だ嶮ならず」と記され、明治期からよい道であったことがうかがえる恐山街道も、鉱石運搬用道路としてさらに整備が進められ、現在は観光の便に益している。しかしながら、これらの鉱山は戦後、石油から硫黄分を大規模に抽出する方法が実用化されたことにより、硫黄原石の価値が暴落したため、昭和44年(1969)に廃坑とされた。現在でも、山内には鉱山の遺構が存在し、土木工事の痕跡も残っている。また、恐山山地は火山活動の影響で鉱物資源が豊富に存在していたため、恐山の硫黄鉱山のほか、川内町の安部城鉱山(金、銀、銅)、陸奥鉱山(金、銀)、葛沢鉱山(金、黄鉄鉱)、西又鉱山(鉛、亜鉛、黄鉄鉱)、大揚鉱山(黄鉄鉱)、大畑町の大畑鉱山(砂鉄)、大間町の青森鉱山(銅)、佐井村の佐井鉱山(チタン)、千国鉱山(マンガン)など多数の鉱山があったが、現在はすべて閉山している。また、先に述べた温泉の沈殿物として金の異常濃集体が発見されており、2007年、日本の地質百選に選定された(「恐山の金鉱床」)。地質調査によると、その金の含有量は鉱石1トン当たり平均約400グラム、場所によっては6500グラムにも達し、世界でも最高の品質を誇る金の鉱脈である。ただし、恐山一帯を国定公園に指定した後に金鉱脈を発見したので、新規の開発は法律で禁止されていた。また、土壌には高濃度の砒素と硫化水素が含まれており、ここの地面を掘れば作業者の生命に危険が及ぶ。恐山近辺では砂金が取れるため、恐山霊場内でお土産として販売している。霊場内には多数の積み石が見られ、独特の景観を形づくっているが、これは地面から噴出する有毒な火山ガスを空気と効率よくなじませる意味合いも持っている。また風車も数多く置かれているが、これにも火山ガスの風下に入らないための工夫の意味合いがある。ちなみに線香、ろうそく、タバコ等は、火山ガスに着火する危険性があるため、所定の場所以外で使用してはならない。
出典:wikipedia
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