ハヤシライスは、薄切り牛肉とタマネギをドミグラスソースで煮たものを米飯の上にかけた料理。海外の料理をもとに日本で変化した洋食に分類される。近畿地方ではハイシライス、略してハイライとも呼ばれる。地域によっては豚肉で代用されることもある。マッシュルームやその他の具材を加えることもある。即席の固形ルーやソースが市販されている。ハヤシライスの「ハヤシ」の語源は以下のように諸説あり、定かではない。日本における発祥の店においては諸説あって現在数多くの店が元祖を名乗っており、定かではない。食文化研究家の小菅桂子は、元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵が考案した宮内庁版ハヤシライスが元祖としている。これを聞いて、上野精養軒のコックをしていた「林」が、従業員の賄い飯として作ったところ、好評であったことからこれをメニューにした説がある。また、いくつかの説が組み合わさった複合的な説として丸善創業者の早矢仕と上野精養軒のコックである林の共作であるとする説もある。1980年発行の『丸善百年史』には、丸善創業者の早矢仕が野菜のごった煮にご飯を添えたものを友人に饗応し、それが有名となって人にハヤシライスと称され、いつしかレストランのメニューにもなったとの説が書かれている。しかし、書中ではこれをあまりに話ができすぎていると指摘し、明治初年以来の洋食屋である神田佐久間町の三河屋にてハッシュ・ビーフが流行った旨を言い、「これとライスと合せて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない。しかし三河屋も有的が贔屓にした料理屋であるから、間接に関係があるといえば、いえないこともあるまい」とも記載されている。1935年発行の『季刊明治文化研究 第五輯』(明治文化研究会)に掲載された『早矢仕有的傳』(蛯原八郎著)においても同様の説が唱えられており、有的の長男である早矢仕四郎の言葉として、「ハッシュ・ビーフ」が「ハヤシ・ビーフ」にいつの間にか転訛したのだ、と述べられている。これに対し早矢仕の子孫は、『早矢仕有的年譜』においては彼が幕末より西洋医術を学んで1868年に医院を開業し、そこで栄養失調患者に治療として食べさせたのが始まりと記述されている、と反駁している。また、この記述と関係なく、丸善は店内のレストランでハヤシライスを「早矢仕ライス」の名で提供し、ハヤシソースの保存食品を自社ブランドで製造販売している。1881年にアメリカ合衆国で発行された家事のガイドブックには、"Hashed Beef, Plain"と命名された日本のハッシュドビーフに近い料理のレシピが掲載されている。1888年には、『軽便西洋料理法指南: 実地応用一名・西洋料理早学び』(、洋食庖人〈松井鉉太郎〉著)に、「ハヤシビフ」という名の"Hashed Beef, Plain"に似たレシピの料理が掲載されている。その後、1909年発行の『女道大鑑』、1912年発行の『洋食のおけいこ』といった書籍に、「ハヤシビーフ」のレシピが掲載されている。書籍『にっぽん洋食物語大全』では、元宮内庁大膳課の料理人である渡辺誠が、ハヤシライスのルーツは東欧料理のグヤーシュであると自説を述べるくだりがある。これはドイツでは、「グラッシュ」と呼ばれる料理である。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。