新田金山(にったかなやま)は、群馬県太田市金山町にある山である。別名「金山」「太田金山」。ぐんま百名山に選定されている。 八王子丘陵の東南にある標高235.8mの独立峰である。山頂には「新田神社」や「金山城(国の史跡)」があり、足尾山塊、赤城山、榛名山、浅間山、富士山、筑波山、秩父連山らが眺望できる 。南側下に太田市街地、北側下に北関東自動車道と同自動車道の太田桐生IC、東側下にイオンモール太田、西側下にはぐんまこどもの国が見え、さらには桐生市、邑楽郡大泉町、埼玉県熊谷市、栃木県足利市まで見渡すことができる。麓には「子育て呑龍」で親しまれている大光院がある。日本オリエンテーリング協会のパーマネントコースに指定されている。上毛かるたでは「お・太田金山子育て呑龍」の名で知られている。金山は八王子丘陵等とともに、足尾山地から渡良瀬川の断層によって切り離された分離丘陵群のひとつと考えられている。地質は山頂を中心とした部分が新生代第三系の金山流紋岩類で、これを北から取り囲むような形で馬蹄形に中生代の足尾層群が取り巻いている。金山北西端には中新世の強戸礫岩層・新第三系の薮塚累層湯ノ入凝灰岩部層が分布している。金山流紋岩類は流紋岩質火砕岩類で、熔結凝灰岩を含む火砕流堆積物から成りたっており、金山の主体部は金山流紋岩類3と呼ばれる熔結凝灰岩から形成され、金山各所の石切場跡などで柱状節理を見ることができる。金山の北東部、菅ノ沢遺跡で須恵器窯跡13基、鉄製炉(タタラ)3基とそれに関連する炭窯や工房跡、および7世紀中頃の古墳3基が見つかっている。製鉄炉は、半地下式であり、タタラによる鉄製鉄が行われていたのは、平安時代中期の10世紀頃と推定されている。新田次郎の小説『新田義貞』では、タタラを使用し新田義重の時代から武器を作っている説が取られている。金山山麓は古墳時代から平安時代にかけて全国的にも有数の窯業地帯であり、須恵器や埴輪の一大生産拠点であった。小動物ではリスやホンドキツネ、ホンドタヌキ、イタチ、アナグマ、キュウシュウノウサギ、ホンシュウヒミズなどが確認されている。 両生類は、ニホンアカガエル、ヤマアカガエル、シュレーゲルアカガエル、アオガエルなどが生息している。 鳥では、メジロ、キジ、シジュウカラ、ショウビタキ、モズ、ハヤブサ、アオバスク、フクロウ、ウグイス、カッコウ、アオゲラ、カルガモ、カイツブリ、カワセミ、セキレイなど約100種類の野鳥が見られる。 魚類・甲殻類は、ヨシノボリ、サワガニ、ヌマエビが確認されている。 全体的に赤松林に覆われているが、春にはヤマザクラ、ヤマツツジ、カタクリ、水芭蕉。夏にはクズ。秋にはキキョウ、ヤマハギが見られる。他には、ヒカサキ、シラカシ、アラカシ、クヌギ、コナラも群生している。以前はマツタケも取れ徳川将軍家や皇室へ献上されていたが、1964(昭和39)年を最後に途絶えている。山頂付近には軍用植物が植えられており、タケ(矢竹用)、ウメ(食用)、みかん(食用)、カシ(槍柄用)、サイカチ(馬薬用)などが残っている。標高差は約200m。一年を通して登山ができる手軽な初級者向けのハイキングコースとなっている。東山ハイキングコース、西山ハイキングコース、北山ハイキングコースなどがあり、その他ルート上分岐はいくつも見られるが、登山の難易度は高くない山である 。など東武太田駅(徒歩30分)大光院(徒歩5分)金龍寺(徒歩25分)モータープール(徒歩15分)山頂。
出典:wikipedia
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