ミルフィーユ()は、フランス発祥の菓子の一種。歴史のある菓子であり、形状や製法も様々なものがあるが、現代では3枚のフィユタージュ()またはパート・フィユテ()と呼ばれるパイ生地にクリームをはさみ、表面に粉砂糖がまぶされたもの、あるいは糖衣がけされているものが基本とされている。ミルフィーユに用いられるクリームとしてはカスタードクリームがよく知られているが、生クリームやバタークリームなども広く用いられている。またクリーム以外にも、アプリコットジャムやリンゴのコンポートなどが使われる場合もある。薄切りの肉・魚や野菜を何層にも重ねた料理をミルフィーユまたはミルフィーユ仕立てと呼ぶことがある。フランス語で mille は「千」、feuille は「葉」を意味しており、一般的にmille-feuilleは「千枚の葉」という意味だと理解されている。ミルフィーユに用いるフィユタージュは、四角く広げた小麦粉生地に平らにしたバターを乗せ、何回も折りたたんで作るもので、折りたたむ工程を重ねるほど層が増し、パリパリとした食感になっていく。工程を5回繰り返し729層となったものや、6回繰り返し2187層になったものが主に用いられており、その層になった生地を何枚か重ね合わせて、さらに沢山の層をなしているという状態を「千」で表現し、また層になったフィユタージュの落ち葉をイメージさせるような独特の焼き上りを「葉」として表現し、mille-feuilleという合成語として文学的に言い表したものが名前となったとも考えられている。偉大なる古典と言われる菓子であり、1807年にはフランスの『食通年鑑』("Almanach des Gourmands")の食味鑑定委員会がミルフィーユを鑑定している。創造者は同時代の著名な菓子職人であり料理人であったアントナン・カレーム("Antonin Carême")だとも言われており、フランスのルージェ("Rouget")が得意としていたとも伝えられている。一説によれば、アラブの古い菓子である「パータ・フィロ」が、7~8世紀のヨーロッパ侵攻の際フランスに伝わり、その後今のかたちまで進化した説、17世紀に画家として名を成したクロード・ロランが見習いパティシエであった頃考案したとの説、同じく17世紀にコンデ公のお抱え菓子職人フィエ("Feuillet")が考案したとの説もある。ただ、当時はジャムなどが主に用いられていたようで、カスタードクリームも現代のものとは異なる製法であったと考えられている。また、初期のミルフィーユは上面にするフィユタージュ生地に卵を塗り、粉砂糖をふりかけオーブンで焼き、表面をカラメル化するといった仕上げ方だったとも言われている。現代の製法に見られるような、上面への糖衣がけは1822年頃になって用いられ始めたもので、今日に至るまで職人が様々に工夫を凝らし続けている菓子でもある。日本において苺のミルフィーユを指す「ナポレオン」ではあるが、「ナポレオン」を通常のミルフィーユの名称として使う国も多い。こちらの語源は、元はイタリアの都市であるナポリのフランス語形容詞変化ナポリタンとしていたのが、フランスの皇帝として活躍したナポレオン・ボナパルトに掛け合わせるために変化させたことから来ている。幕末から明治にかけて、フランス人のサミュエル・ペールが横浜で洋菓子店を営んでおり、ミルフィーユが日本に伝わったのはその当時ではないかと考えられている。1870年(明治3年)、御所の饗宴用フランス菓子御用として出仕し、サミュエル・ペールの元で在官のままフランス菓子製造技術を学んだ村上光保が、1874年(明治7年)にフランス菓子の製造と仕出しを行う村上開新堂を開業しており、同店では明治の後期にフランスの製法を研究し「ミルフェ」という商品名で販売も行っていた。ミルフイユが「千枚の葉」を意味する事から、千葉県ではオランダ家と地元ラジオ局 bayfmと共同開発した「千葉ミルフィーユ」と言うお菓子が作られたり、施設に「ミルフィーユ」と名付けるなど、県名との類似を利用し地域振興につなげようとする試みもなされている。ミルフィーユはパイが何層にも重なっているため、普通のケーキと同じように正立した状態で上からナイフを入れて食べようとすると、カスタードが横にはみ出して簡単に崩れ、食べにくい。上手に食べるには、まずミルフィーユを横に倒し、フォークで上から押さえてナイフを使うと良い。ナイフは上から押すようにするのでなく、横に挽きながらパイ生地を切れば、一口ごとに食べることができる。なお、ミルフィーユのパイ生地を一枚ずつ剥がして食べると、パイとカスタードのバランスが合わなくなる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。