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ゾクチェン

ゾクチェンは、主にチベット仏教のニンマ派(古派)と、チベット古来の宗教であるボン教に伝わる教えである。ゾクチェンという言葉はチベット語で「大いなる完成」を意味する「ゾクパ・チェンポ」の短縮形であり、人間を含むあらゆる生きもの(一切有情)の心性における本来の様態、またはあるがままで完成された姿のことを指している。また、その姿を理解することにより、速やかに優れた覚醒の境地に至ることができるとされている。漢訳は「大円満」あるいは「大究竟」、英語では Great Perfection などと訳される。アティヨーガとも呼ばれる。日本や欧米ではゾクチェンの修行者をゾクチェンパと呼称することもあるが、チベット仏教では一般的用法ではない。学術的には、9世紀頃までにニンマ派のゾクチェンの原型が成立していたと推察されている。その成立には中国の頓悟禅の影響があったのではないかと指摘されることもあるが、それとは異なる見解をとる学者もいる。ゾクチェンの三部、セムデ(心部)とロンデ(界部)とメンガクデ(秘訣部)の内、特にセムデとロンデにおいて禅に通ずる面があると言われているが、修行法の面ではロンデと禅との関連性は見出し難く、また、メンガクデは禅より密教的で、発想面でもきわめて独特であるという。ニンマ派ではこれらの伝承方法は密教の三原則である「法身説法」の上に成り立つものであり、そのことはゾクチェンが法身普賢(クントゥサンポ)の教えとされる所以の一つでもある。「法身説法」の意味は一般にはなかなか理解が難しいが、両者の教義上に「法身説法」が有るか無いかということにより、単純ではあるがゾクチェンが禅とは異なるものと考えられ得るまた、禅宗には他の顕教の教えと同じように「経典や書物を理解する」ことによって覚りを得たとする『日本達磨宗』のような宗派もあったので、本来、文字によらない教えである密教に属するゾクチェンとは異なる教えであるといえる。いわゆる、ゾクチェンに禅の影響があるとする主要な説には、次の3つがある。これらのうち、はじめの2説についてはいずれも有力とされるが、後述するようにサムイェー寺の建立を771年とし、摩訶衍禅師の「サムイェー寺の宗論」は792年のことであるから、いずれもニンマ派における歴史上のグル・パドマサンバヴァが説いたとされる、ニンマ・カマのゾクチェンにはそれらの説はあてはまらない。また、3番目の説については高度な密教の教えをインドで学び、そのゾクチェンの伝法が行なわれるまでの滞在期間の数年間(767-771)をサムイェー寺の建立と密教経典の翻訳に費やされ、チベット語が堪能であったかも不明なグル・パドマサンバヴァ個人には、敦煌文献に見られるような未成熟な禅思想が影響を与えたとは考えにくい。ただし、テルマのゾクチェンは歴史の流れの中で無数の教えが発見されているので、今後は、その時期と説かれた地方や発見者についての詳細な研究が待たれる。ゾクチェンの起源はボン教にあるという説もあり、この説を採る僧はボン教とニンマ派の双方に存在する。ニンマ派の伝承では、インド北西にあったと言われるで生まれたが人間界においてゾクチェンの教えを伝えた重要な祖師とされる。一方、ボン教の経部(カンギュル)に属する『シャンシュン・ニェンギュ』は、ゾクチェンを西チベットにあった古代シャンシュン王国より伝来した教えとしている。これについて、東チベット出身のゾクチェンのラマであり、長年イタリアでチベットの言語と文化の教育・研究に携わってきたは、ボン教文献を調査して両者の起源を考察し、ウディヤーナ国はシャンシュン王国の属国であったか、両国には何らかのつながりがあったのではないかという仮説を立てた。ヴィパッサナー瞑想の実践家でもあるスリランカの比較宗教学者ナンディスヴァラの報告した、数万年の古さをもつオーストラリア・アボリジニーの精神伝統の中には、ゾクチェンで行われる青空を見つめる瞑想に類似した営みがみられる。このことから宗教人類学者の中沢新一は、『三万年の死の教え』の中で両者の共通性にふれ、アボリジニーの「ドリームタイム」の思想には仏教の空性の思想と相通じるものがあるとして、人類学的な見地から、ゾクチェンがニンマ派のゾクチェンの伝統を超えたきわめて古い人類の精神文化に連なっているのではないかと指摘した。さらに、ゾクチェンのテーマである心の本性(セムニー)の探求においては禅と密教の両者のアプローチが結合されていると論じ、禅と密教はともに中央アジアで発達した如来蔵思想を源流の一つとするものと仮定して、仏教そのものよりも素朴ではるかに古い中央アジアの精神伝統にゾクチェンの淵源を求めうる可能性を示唆した。アボリジニーの瞑想との比較は今後の研究成果を待たねばならないが、付言すれば、ゾクチェンにおいては青空を見つめる瞑想の他に、空間を見つめる瞑想「アカーシャー」、睡眠中の瞑想「ミラム」(夢見)、暗闇の瞑想「ヤンティ」等々、さまざまな実践法があることが知られている。ゾクチェンは他の宗派や学派に類を見ない哲学的見解を有する独特な瞑想体系である。ニンマ派のゾクチェンとボン教のゾクチェンに大別され、それぞれの宗派(教派)の教義の中心をなしている。また、ゾクチェンとは原初の境地を指す言葉であって、特定の宗派だけに内属するものではないと主張する向きもある。リメー運動(超宗派運動)が盛んであった東チベットで生まれ育ち、後にイタリアやその他の国でゾクチェンの伝授を行うようになったナムカイ・ノルブ・リンポチェは、かつてチベットでは自分の帰依する宗派や根本ラマ以外に別の派からも教えを伝授されるのはよくあることであった、ということを強調し、チベット仏教の主要宗派のすべてにゾクチェンの系譜を受け継ぐ人がいたとしている。チベット仏教のゾクチェンの教えはニンマ派の真髄の一つであり、ニンマ派の教義に深く結びついていて、その開祖グル・パドマサンバヴァがその信仰の源であると考えられてきた。今日セムデの一部を構成している最初期のゾクチェン文献は8世紀頃にまで遡ることができる。それはチベット仏教のいわゆる前伝期に当たり、新訳諸派の台頭とともにパドマサンバヴァの信徒たちがはじめてニンマ派(古派)と呼ばれるようになるずっと前のことである。チベット仏教の僧は他宗派の師からも灌頂や教えを受けている場合があり、ゾクチェンはチベット仏教の長い歴史の中でサキャ派やカギュ派、ゲルク派に属する人に伝えられることもあった。新訳諸派ではニンマ派が伝える古いゾクチェン・タントラ類は、チベットでは、かってはシャンシュン語で書かれた資料を中心としたために、インドのサンスクリット経典に含まれない偽経であるとして批判的な学者が多かったが、ゾクチェンに関わりのある人物も輩出している。カギュ派では、ロンチェンパと同じ師のクマラーザの下で学んだと伝えられ、ロンチェンパにも成就法を授けたカルマパ3世ランジュン・ドルジェ (1284-1339) が殊に著名である。ランジュン・ドルジェはカギュ派のマハームドラー(チャクチェン)とニンマ派のアティヨーガを統合し、その教えはカルマ・ニンティクと呼ばれている。ゲルク派ではダライ・ラマ5世、13世、14世もゾクチェンの師として知られているが、ゲルク派の座主ではないが高位のラマであるダライ・ラマがゾクチェンを取り入れることは、かねてよりゲルク派の保守層の一部で論争の種となっている。ゾクチェンは、ニンマ派の伝統では歴史上のグル・パドマサンバヴァ(蓮華生大師)が伝えた教えの一つに数えられ、ニンマ派の六大寺院に大別される六大流派には、それぞれに異なる流れのゾクチェンが伝わっている。14世紀にゾクチェンの教えをまとめて体系化した学僧ロンチェン・ラプジャムパが明確化したニンマ派の「九乗教判」によると、無上瑜伽タントラの頂点であるアティヨーガ乗に位置づけられ、法身普賢(クントゥ・サンポ)を主尊とする。ニンマ派においては、このアティヨーガ乗の境地がゾクチェンと等しいとされ、ゾクチェンはアティヨーガの異名であり、同時にその教えの法流の名称でもある。現在のニンマ派では中観派の空性の教義に付随して教えが説かれ、チベットでの呼び名が同じであるため、ニンマ派の『大幻化網タントラ』を依経とする密教的境地のゾクチェンと、太古からのスタイルを守るとされるボン教のゾクチェンが同一視されることが多いが、仏教的見地からはそれぞれの伝統は別のものだと理解すべきかもしれない。ニンマ派のゾクチェンは「如来蔵」の無我説に基づき仏教に分類される。なお、「如来蔵縁起説」とはインド学において主に真諦三蔵の訳経に見る思想を指して言うが、上田義文の著作ではこれを「性相即融」の唯識古説とする。ただし、日本においては空海の著作に法華思想とは異なる密教の「本覚」が説かれた。この問題に関連して『大幻化網タントラ』の持つ思想と唯識により、かつてドゥジョム・リンポチェがチベット亡命政府主催のチベット仏教者会議において、ニンマ派はボン教と異なるインドの仏教であるとしてニンマ派を純粋な仏教として主張した経緯がある。また、サテル(地下の埋蔵経)の『ドゥジョム・テルサル』によるゾクチェンは、『宝性論』等を主とした如来蔵と唯識の説を背景とするインドのヴィクラマシーラ大僧院の僧院長であった密教の大学者ラトナーカラシャーンティ(980-1050)の説を引用することがある。こうしたことを背景として、チベット仏教におけるニンマ派でも伝統の理解と専門的な知識を必要とし、現時点ではニンマ派のゾクチェンはボン教のゾクチェンと用語は等しいがやや異なる教えによって構築されていると見てよい。ちなみに、こうした問題を避けるためにも、ニンマ派の各大学の密教クラスではロンチェン・ニンティクのゾクチェン文献や、大学者ミパム (1846-1912) やパトゥル・リンポチェ(1808-1887)等の著作を教養として学んでいる。そのテキストの主なものは以下のようになり、いずれも既に英訳・中国訳が存在する。また、ロンチェン・ニンティクにおけるゾクチェンの系譜では、ニンマ派六大流派とは別に直系の血脈を持つドドゥプチェン・リンポチェ (1927-) や、「リメ」(超宗派)運動の思想とともにゾクチェンの核心を今に伝えるジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥ (1893-1959)、ディンゴ・ケンツェ・リンポチェ (1910-1991)、トゥルシク・リンポチェ (1924-2011) への流れの教えとテキストは今日のチベット僧の好んで学ぶところである。ダライ・ラマ14世は、ロンチェン・ラプジャムパの『法海の宝蔵』の註釈や、ジグメ・リンパの直弟子の3代目に当たるトゥルクであるドドゥプチェン・ジグメ・テンペ・ニマ (1865-1926) の著述などを基に、主に中観帰謬論証派の見地から、ゾクチェンのいう原初の清浄性は顕教とは空性の意味が異なるが、ある意味で空(くう)であると説いている。ロンチェンパや近世の学僧ミパム・ジャムヤン・ギャツォ(1846-1912)のゾクチェンにおける空性の理解は、中観帰謬論証派の見解とほとんど合致している、もしくは両者の見解が相補的なものであることを主張している。また、ミパムの『宝性論註』等は、ゾクチェンにおいて第二転法輪の『般若経』の空性の教えと第三転法輪の『如来蔵経』の教えを結びつけている。かれらは「他空」(シェントン:gzha stong)という言葉を使用しているが、ダライ・ラマ14世によれば、そのほとんどは「土台」(シ:zhi)としての心である「リクパ」(rigpa:純粋意識)のことを指しており、過去のチベットでチョナン派のトゥルプパ・シェーラプ・ギェルツェンが唱え、梵我などの非仏教の教説に通じるものと批判された『他空説』でいうところの他空とは意味が異なる。ボン教においては「アティ」、「ゾクチェン」(ここではボン教の一系統としての狭義のゾクチェンを指す)、「シャンシュン・ニェンギュ」という3つの独立したゾクチェンの伝統が認められ、受け継がれている。ボンの創始者であるの説いたとされる教義は「四門五蔵」と「ボンの九乗」の2系統に分類され、ボン教のゾクチェンもその中に位置づけられている。ボン教のゾクチェンについてはまだまだ謎が多い。仏教のゾクチェンの系統には、ニンマ派の教法に合わせて3つの系統がある。チベット仏教では、根本ラマ(ツァエ・ラマ)や歴代のラマからの加持が最も重要で神聖なものとされるため、いずれの教えも伝授の際には『伝承祈願文』のテキストを授かるので、各流派ごとではあるが、誰が誰に伝えたかの系統が分かるようになっている。「ニンマ・カマ」(アーガマ:口頭伝承経典)の系統とは、いわゆる古タントラに付随するゾクチェンの系統である。最も早期のものは、歴史上のグル・パドマサンバヴァが伝えた『大幻化網タントラ』(梵名:グヒヤガルバ・タントラ)を皮切りとして、前行(ンゴンドゥ)の発展系である「グルヨーガ」を中心とするゾクチェンの修行・瞑想法である。前行は『金剛頂経初会』をベースとした行法で、無上瑜伽タントラの主要な五タントラのそれぞれにあり、チベット仏教四大宗派おのおのが独自の前行を伝えている。ゾクチェンと前行との深い関係は、ドゥジョム・リンポチェの講演録『ゾクチェンへの道』に詳しい。『大幻化網タントラ』の伝承系統の解明はドゥジョム・リンポチェの『ニンマ仏教史』に始まるが、1959年に亡命先のインドにおいて、ドゥジョム・リンポチェが外国人に対して世界で初めて『大幻化網タントラ』の大灌頂と伝授(全伝)を行なった際の伝授録『大幻化網導引法』の中でも、この系統のゾクチェンについて触れている。また、ニンマ派では密教の伝承そのものがゾクチェンの系統の解明に繋がり、この系統のゾクチェンにおいては伝授に関わるグル・パドマサンバヴァの「3つの秘密の名前」:(1)「ペマ・サンバヴァ」(パドマサンバヴァ)、(2)「ペマ・ジュンネー」(ツォチィ・トゥディ)、(3)「シャカ・センギェー」(シャカ・シンハ)等に由来する。なお、ニンマ派には密教の伝承として、日本密教における『大日経』の「南天鉄塔」説話と同様の系統伝承がある。ソギャル・リンポチェとギェーパ・ドルジェ・リンポチェの日本講演によると、密教は大日如来が教えを説き、それを金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ:憤怒相)へと伝え、さらにそれを(密教における)仏陀もしくはガラップ・ドルジェに伝えてインドにおいて説かれたとする。ゾクチェンの主尊の法身普賢(クントゥサンポ)は金剛手菩薩の異名であるので、密教の龍猛菩薩(ナーガールジュナ)と同時代の人として、この系統ではガラップ・ドルジェの実在を考えることができる。旧来のニンマ派では、ガラップ・ドルジェは釈迦滅後15年に生まれたとの伝承から、チベット仏教では釈迦滅時を紀元前150年〜紀元後150年に設定するため様々な誤解が生じていたが、ニンマ・カマの系統によるゾクチェンの理解からはそのような問題は生じない。また、釈迦についても、先述の伝承における密教の教主の仏陀であれば、龍猛菩薩(=龍樹菩薩)と同じくインド密教史上に釈迦(シャカ)もしくは仏陀(ブッダ)の名の付く人物が数多くいる。いずれにせよ『大日経』の成立年代からたどると『大幻化網タントラ』の成立も密教学では既に比定され、その曼荼羅も解明されていて、それらを日本人が重ねて伝授を受けているので、この系統では、先行経典も含めてガラップ・ドルジェは7世紀〜8世紀に実在した無上瑜伽タントラの伝承者であってもかまわないことになる。事実、この系統のゾクチェンのタンカ(仏教絵画)には、インドのパンディタ(大学者)の姿をした僧形のガラップ・ドルジェが描かれるのを見ることができる。ニンマ派において『大幻化網タントラ』のテキストはマハーヨーガに、本尊「大幻化金剛」の成就法(秘密本尊法)はマハーヨーガとアティヨーガとに分類される。伝承系統の一例(ミンドルリン寺流)を挙げると以下のようになる。「テルマ」(埋蔵経)の系統とはニンティク(心髄、真髄とも訳す)と呼ばれるゾクチェンの教えの系統のことである。「カンドゥ・ニンティク」(「空行心髄」と漢訳)、「ビィマ・ニンティク」(「卑摩心髄」と漢訳)、「ロンチェン・ニンティク」(「龍清心髄」と漢訳)の3つが代表的なもので、日本でゾクチェンの系統といえば「ロンチェン・ニンティク」が有名である。「カンドゥ・ニンティク」はニンマ派の「テルマ」に基づくゾクチェンの系統である。カンドゥ(ダーキニーのこと、空行母と漢訳)によって秘されていた教えとするところから「カンドゥ・ニンティク」と呼ばれ、六大流派それぞれが独自のニンティクを備えている。「テルマ」というと日本では創作と思われがちであるが、「サテル」(地下の埋蔵経)の中には歴史的な資料性の高いものが含まれている。ちなみに、ニンマ派では尊挌としての「イェシェ・ツォギャル仏母」はカンドゥの代表の一尊とされ、そのため歴史上のグル・パドマサンバヴァから直弟子のイェシェ・ツォギャルへと伝えられたとされる教えの多くは、「テルマ」として一応は「カンドゥ・ニンティク」に収められている。その名の通り「カンドゥ・ニンティク」はニンマ派の教えの母体であり、大きく言うと北のテルマ・南のテルマ・中央のテルマ・東のテルマ・西のテルマの五系統がある。このうち北のテルマが有名であり、東のテルマは量が少ないが古い伝承を伝えている。「カンドゥ・ニンティク」の系統は、ドゥジョム・リンポチェ、弟子のニョシュル・ケンポ・リンポチェ、その弟子のイェシェ・サンポ・リンポチェらによって解明され、イェシェ・サンポ・リンポチェの『紅宝珠錬』(ルビー)に詳しい。「ビィマ・ニンティク」の系統は、途中グル・パドマサンバヴァを介さずにインドの成就者からビィマラ・ミトラを経て直接チベットへと伝えられたゾクチェンの系統である。なお、チベット僧の中には「ビィマ・ニンティク」も「カンドゥ・ニンティク」の中に含めて考える人もいる。「ロンチェン・ニンティク」の系統はチベットの大学者ロンチェンパ (1308-1364) の教えをジグメ・リンパ (1729-1798) が深い瞑想の中で学んだ「ゴンテル」(御心の埋蔵経)の教えの系統を指している。そして、「ロンチェン・ニンティク」はインドで密教を学んだ中国人の成就者シュリー・シンハから弟子のヴァイローチャナ、ビィマラ・ミトラ、グル・パドマサンバヴァの三者に別々に伝えられたものを一つにまとめた系統の教えで、ロンチェンパまではニンマ派の伝承に基づくものであり、そしてジグメ・リンパ以降はほぼ史実を伝えていると見てよい。現在、この「ロンチェン・ニンティク」の系統は六大流派の伝統の壁を乗り越えたドゥジョム・リンポチェと弟子のニョシュル・ケンポ・リンポチェによって解明され、ニョシュル・ケンポ・リンポチェの『藍宝石』(ラピスラズリ)に詳しい。「タクナン」とは、瞑想や夢の中で教えを得ることを意味する。1959年のチベット動乱や文革以降、チベット本土や欧米において、チベット人や外国人の僧侶の中には、ガラップ・ドルジェやグル・パドマサンバヴァ、ブッダ等から直接教えを聞いて独自の教えを得たとする系統がある。これらの人々は往々にしてチベット仏教の伝統の学問や修行の期間も短く、霊感そのものを重視する傾向があり、まだ、ニンマ派の宗義との一致を検討するのに必要な歴史の淘汰やチベット仏教の教判(教相判釈)にさらされていない。なお、ニンマ派では、伝統の立場に立つ高名なリンポチェが得た「タクナン」の教えは、それぞれの流派の教えに照らし合わせて順次「カンドゥ・ニンティク」の系統に入れられる。チベット仏教のニンマ派におけるゾクチェンの教義は、今日ではその教えの始まりや内容・伝授の流れも明確になってきている。以下は「ニンマ・カマ」と、それに付随するゾクチェンの教えについてである。西暦771年にサムイェー寺が完成した後、グル・パドマサンバヴァは自らサムイェー寺の東北の地にあるティンプーの地においてイェシェ・ツォギャルをはじめとする25人の弟子たちを集めて、マハーヨーガとアティヨーガに関する『大幻化網タントラ』の教えを伝授した。いわゆるチベット仏教における密教の教えは、『大幻化網タントラ』から始まったと言っても過言ではない。一般にはあまり知られていないが、グル・パドマサンバヴァの弟子の数を25人とするのは、この時に無上瑜伽タントラに属する『大幻化網タントラ』の正式な伝授の際に灌頂を受けることのできる人数が、最大で25人までと経典に記されているからである。他の無上瑜伽タントラの主要な経典の場合も同様で、参加人数が25人を超えた場合には、全ての灌頂と教えとが無効とされる。この『大幻化網タントラ』の教えを伝授し終わった上で、聖地タクマル(赤い洞窟)に場所を移して、現時点で考証できるものとしてはチベット史上初めてのゾクチェンの教えが弟子たちに説かれた。そのテキストは古タントラに、講義録は「カンドゥ・ニンティク」に残されている。この考証ということは現在の日本仏教では常識となっているが、チベット仏教にはまだまだ伝統の壁があり、チベット僧の間では年代考証も文献学的研究も未だ認知されているとは言い難いため、1959年のチベット動乱以前に亡命されたラマに個人的な伝授を受ける際や、伝統的な寺院で学習をする際は注意を要する。チベット仏教の考証家でもあったドゥジョム・リンポチェが亡命チベット人のニンマ派の長に就任後、ニンマ派の各仏教大学の改革に着手し、その後を引き受けたディンゴ・ケンツェ・リンポチェがサムイェー寺の再建と西洋的な学習方法の導入に努め、さらにペノル・リンポチェが外国人も同時に学ぶことのできるシステムの仏教大学を建立したが、考証学の浸透には至っていない。日本が「廃仏毀釈」の影響を拭い、今日の世界の最高水準に近い仏教研究を確立するのに150年ほどかかったので、亡命政府に支えられるチベット仏教が近代化を成し遂げるにはまだ時間がかかる。それ故、ゾクチェンの歴史的な考証には仏教学等の研究成果を取り入れる必要があり、チベット密教の主要な無上瑜伽タントラの経典である五大タントラの学問的研究を含めた解明も急がれる。古くから大乗経典や密教経典には「五成就」という原則がある。今日的に言い換えるならば 5W、すなわち「いつ、何処で、誰が、何を、どうした」が分からなければ、その教えは正しく説かれたものではないとされている。いわゆる大乗仏教等の顕教とは違って、密教やゾクチェンは人から人への伝承であるから、文献学だけではなく、歴史学や考古学をも含めた今日的な考証方法も必要で、それらの条件を一応は満たしているのが先の聖地タクマルでのゾクチェンの伝授である。以上の点で、ニンマ派ではグル・パドマサンバヴァの伝授をゾクチェンの教えの先峰としているが、ボン教の教えのゾクチェンが起源である場合のボン教からの考証は、ボン教の文献の専門的な成立過程の研究や史跡の発掘が始まったばかりなので、さらに時間が必要である。ニンマ派においては、ゾクチェンは十三の界位〔世界・浄土〕において説かれ、いまも説かれているとされる。原初仏である法身普賢(クントゥサンポ)は、円満なる密厳浄土の法界において自性の顕現として五智の変化の光を常に放ち、ゾクチェンの教えをあるがままに説いている。その五色の虹の光は報身の諸菩薩に届き、五種姓(仏部・金剛部・宝部・蓮華部・羯磨部)の個々の曼荼羅を現出した。やがて、その虹の光は娑婆世界(この世の世界)へと到達して、一切衆生を六道輪廻の苦しみから解放するために、法身普賢は報身の金剛手菩薩(ヴァジュラ・パーニ)となって菩薩の世界や娑婆世界へと降臨し、化身である様々な仏陀(ブッダ:覚者)の姿をとってゾクチェンの教えを説いた。その数は13とされ、13の界位のうち、1から12番目までを「勝者(ジナ:如来)による心の伝承」、13番目のみを「持明者による象徴(灌頂)の伝承」、14番目以降に当たるガラップ・ドルジェからは「化身による口頭伝授」という。その十三の界位と、そこにおける説法者の如来の名前と、その時の人類の寿命は以下のようになる。初期仏教においては、『本生経』(ジャータカ)に釈迦の「前世物語」を説き、大乗仏教においては「過去七仏」を説いたように、金剛乗のゾクチェンにおいてはガラップ・ドルジェを第二の仏陀として「過去十三仏」を説く。それらはすべて法身普賢(クントゥサンポ)の化身であると同時に、釈迦の生涯を描いた『ブッダチャリタ』の物語になぞらえており、さらには『大幻化網タントラ』の先行経典や当時流行していた密教経典に説く如来と浄土を採用している。これにより、先行経典の世界観をゾクチェンの教えに取り込むとともに、小乗仏教(声聞・縁覚乗)や大乗仏教に対するゾクチェンの優位性を主張しているのが、この「十三の界位でゾクチェンが説かれた」という教義である。この教義をさらに詳しく説明したものには、それぞれの如来の時代に説かれたとする大乗経典や、密教経典、タントラ経典の名前や教えも挙げられているので、それらの文献研究が行なわれることによって、今後はゾクチェンの成立年代が解明される可能性のある重要な教義とも言える。いわゆる9世紀頃のインド人やチベット人は、かつての日本人と同様に諸仏・諸菩薩や神々が人間と同じように生活していると考えていたため、今でもチベット僧たちはこれらの如来がゾクチェンの教えを説き、太古の時代には寿命が10万歳や1000歳の人間がいたと信じている。しかしながらここでいう年齢には意味はなく、無限歳から50歳まで末法(まっぽう)の時代に近くなると人類の寿命も短くなり、苦しみが増えるということを、この教義は主張している。界位の梵語はダートゥ (dhatu) 、仏教語では「駄都・界」と訳し、意味は性質や原因・種族を表す言葉で、用法としては界会(かいえ)や界外(かいげ)、三界(さんがい)等がある。ゾクチェンでは、この「界位」以外に「説時」とする場合もあるが意味するところは本来変わらない。しかし、これを梵語からシャンシュン語、シャンシュン語からチベット語、チベット語から英語、英語から日本語へと重訳を重ねることによって、現在の日本では、メンガクデの「十七タントラ」のひとつ『ダテルギュル』に説かれる13の浄土が銀河宇宙や太陽系と訳されたり、インが次元と訳されたりして、「13の次元」や「13の宇宙」でゾクチェンが説かれているかのように誤読されている。また、仏教の伝統がない欧米人の間では、先の年齢を実際の年齢としたり、宇宙人の年齢とする説もあり、欧米経由のゾクチェンの教義には様々な疑問点が残るものがある。仏教が未だ説かれていないか、異教徒の多い土地でゾクチェンを説く際には、初めは仏教徒以外を対象とするため「方便のゾクチェン」が説かれる。まずは仏教的な講話とともに、主にターラー仏母や観音等の柔和尊の「結縁灌頂」を授け、死後に生まれ変わって仏教の説かれた土地に生まれることができるようにする。また、これを機会に仏教に改宗したとしても環境が整わないので、本人のために「方便のゾクチェン」を授ける。その内容は、ゾクチェンの教義に関する話や、ゾクチェンの境地がいかに素晴しいものであるかの説法と、ゾクチェンの入門段階から奥義にも通じる瞑想である「阿字観」の初歩のバリエーションや、密教の諸尊の供養法、死後に迷わずに人間に生まれるように「シトー」のマントラ(真言)や護符、声明(しょうみょう)を授ける。伝統的な観点からは、正式な仏教の教えを受けるための前段階に当たるので「方便のゾクチェン」と呼ばれる。チベット仏教ではゲルク派のツォンカパ大師以降、ニンマ派においても出家の僧院化や実質的な専門化が進み、一般の在家がゾクチェンの本格的な修行をすることはない。であるから、伝統では在家行者(ンガッパ)とは還俗した僧侶や、寺に入って修行をしない在家のトゥルク(転生者)や、一部の専門家を指していう。かつてのチベット社会では一般の在家の場合には文盲率も高く、「大蔵経」を読む機会も稀なので、ゾクチェンを学ぶといっても具体的な内容を伴わなかった。ここでは、修行を半ばにして還俗した僧侶やトゥルク、外国人が特例としてゾクチェンを学ぶ場合を意味している。ただし外国人の場合には、最初に寺院内で集団生活をする出家僧となる意志があるかないかを尋ね、一生涯その流派や、金剛阿闍梨としての伝統の正しい資格と戒律を有する師個人に仕えるつもりがあるかどうかについて、本人の自覚と同意とに加え、その指導者の判断が「面授口訣」を重視する密教においては、在家がゾクチェンを教わるための修行内容の重要な鍵となる。最初に仏教についての教えと、観音や菩薩などの柔和尊の灌頂やテキストを2・3種類授かり、その際に密教に必要な諸戒律である三帰依戒・在家の五戒・八斎戒・十善戒・菩提心戒・菩薩戒に加えて、基礎の三昧耶戒である十四根本堕・八支粗罪戒等を授かる。これらの諸戒を授からなければ正式な密教の教えを聞くことはできないので、その上で『前行』の教えが始まり、『前行』のうち、前段となる「共通の加行」である種々の「訓戒」や「四転心法」を教わり具体的な伝授に備える。ここで大切なのは、仏教の諸戒律は「心地の戒」なので、それらをいかに良く理解し、その上で「四転心法」をいかに深く行じるかということにある。また、「四転心法」は、それだけで悟りの見解を得て、加えて「無常観」と「出離」の理解を得ることができるので、在家にとっては根本の修行の一つとなる。この後、『前行』の後半となる密教の瞑想や所作からなる「特別な加行」と呼ばれる「礼拝加行」、「曼荼羅供養法」、「金剛薩埵法」、「グルヨーガ」の四加行や、別行立ての「チュウ」や「ポワ」を合わせた六加行を教わるが、正式な伝授の際にはそれぞれ灌頂を伴い、特に「金剛薩埵法」の場合の灌頂の本尊はニンマ派では必ずヤブユム(父母尊)でなければならないので、正式な伝授であるかどうかが授かる側にも分かるようになっている。この「前行」の密教の行法は、在家用のテキストは出家のテキストに比べると、約半分の長さにも満たないのほとんどであるが、各十万回を終了するのには約6ヶ月かかる。更にまた、「金剛薩埵法」は実際には回数に限りはなく、「グルヨーガ」は生涯にわたって続けることになる。これらを終了した時点で、師の判断により護法尊や守護尊(イダム:プルパ金剛や馬頭観音)法を授かり、十分な修行が重ねられた時点で、諸尊やゾクチェンための「プジャ」(供養の法要)の伝授と、「ゾクチェン」の詳細な講義と「導き入れ」が行なわれる。この後、本人が希望するならば、ゾクチェンの「阿字観」の手ほどきから、例えば「ヤンティ」や、ナーローパ伝「マハームドラー」の部分的な教えや、「ナーローの六法」の教えの中から選んで、夢見(ミラム)や光明(ウーセル)等の、本来はゾクチェンに付随する補助的な教えを「ゾクチェン」として教える。受ける側がその資格(さらなる戒律と灌頂・修行)を伴わない伝授であるため伝統ではそれ以上のことが教えられず、出家に伝える本行の「ゾクチェン」の代替の法であるので、これは「在家のゾクチェン」と呼ばれる。伝統には良い面がたくさんあるが、マイナス面として閉鎖的であることも事実である。チベット仏教においても同様で、表面的にはオープンであっても、知った上で質問しなければ実質的な返答も正しい教えも受けることは難しい。外国人や日本人は西洋的な学習方法になれているので、知らずに質問して知ろうとするため、伝統的なスタイルにおいてはカルチャー・ギャップ以上の壁に遭遇する。ゾクチェンについてもこの例に漏れず、師から教えを受けたつもりで何も教わっていないことがしばしばあるので、仏教である前に自分自身の謙虚な精進がものをいう。なお、『ドゥジョム・テルサル』に限って言うならば、アメリカに在住されていたチャンドゥ・トゥルク・リンポチェのように、出家の「チュウ」である「ゾクチェンのチュウ」を伝授する場合もある。また、日本で一般に虹の身体を得ることで知られる「ジャルー(漢訳:虹光身)」の瞑想法は、三根本法の本尊「ツォチィ・トゥディ」と、「蓮華生大師八大変化法」(グル・ツェンゲー)の第一の化身である「ツォキィ・ドルジェ(漢訳:不死金剛)」の瞑想法である『不死の瑜伽』のことであり、共にゾクチェンに付随する教えの一つであって、ゾクチェンそのものではない。本行のゾクチェン(智慧のゾクチェン)とは、別名「出家のゾクチェン」とも呼ばれるものを指す。その実際の修行階梯の体系は伝統の流派では閉鎖的で複雑ではあるが、一応の目安となる簡単な項目を、流派に偏らない形で段階的に挙げると以下のようになる。なお、トゥルク(転生者:化身ラマ)の場合は、通常3歳〜5歳ぐらいで自身の所属する寺に入り、複数の師からマンツーマンで専門的な教育を受け、たとえ在家であっても出家以上の修行を10年〜30年ほど重ねる。ただし、現在は亡命中で仏教大学に行くのが普通となり、各流派の専門的な教育を受けられないトゥルクも数多く存在する。チベット仏教のニンマ派は他の三宗派と違って諸派連合であり、その教えや系統も一様ではない。ただし、古くはロンチェンパの指摘したように、それぞれの「ゾクチェン」の教えによって統一した教義を持ち、そのおかげで、現在では「ロンチェン・ニンティク」は六大流派の全てに共通する教えとされている。また、ドゥジョム・リンポチェ(1904-1987)が新たに指摘した歴史上のグル・パドマサンバヴァの教えである「ゾクチェン」・「大幻化網タントラ」・「八大ヘールカ法」・「前行」の4つは、一応は検証に耐えうる教えを伝承している。上に挙げた項目は全ての流派が伝承するものではなく、例えば「四大タントラ」は、「リメ」で知られるジャムヤン・ケンツェ・ワンポ(1820-1892)以降にニンマ派に伝えられたもので、伝承しない流派もある。ニンマ派に「マハームドラー」が有るか無いかは問題とする研究者もいるが、ニンマ派の代表的な祈祷文である『祈祷七品』(レイトンマ)にある、25人の弟子の一人による「ナナン・ドルジェ・ドゥジョム品」に、「(グル・パドマサンバヴァは)この地においてマハームドラーの成就と覚りをもたらし」とあり、また、四大宗派に共通する『五智如来の三昧耶戒』の中に「マハームドラーを修します」との一文がある。さらに『大幻化網タントラ』は松長有慶の研究にもあるように『金剛頂経』系と『大日経』系の両方の内容を持つ教えであり、「前行」は『金剛頂経初会』に基づくものであるので、カトック寺第2世カトック・レンチェン・ツェワン・ノルブ(別名:黒い行者)が『大持明者の教法興隆祈願文』の中で「ゾクチェンとマハームドラーの双修」を述べているように、古伝の「マハームドラー」は実際に現在も脈々と継承されている。清朝末期から民国年間にかけてチベット人に直接教えを受け、後にアメリカに渡って今日のアメリカにおけるチベット学の基礎を築いた陳健民の『大手印教授抉微』によると、当時はカギュ派の「マハームドラー」(大手印)とニンマ派古伝のものを区別するために、ニンマ派古伝のものは「カルマムドラー」(羯磨手印)と呼ばれていたという。なお、古伝の「マハームドラー」や、特別な「風と脈管のヨーガ」、「イェシェ・ツォギャルの六法」、「大幻化網タントラ」のヨーガ行法、本行の「ゾクチェン」等、高度な密教のヨーガを含む実践法は、宗派としては伝承しているが実際に知る指導者は極めて少ない。「カンドゥ・ニンティク」に残されている、歴史上のグル・パドマサンバヴァによる「ゾクチェン」の教えは以下のようになる。

出典:wikipedia

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