ふれあいは、日本国有鉄道(国鉄)が改造、所有した団体臨時列車用の和式客車で、ジョイフルトレインと呼ばれる車両の一種である。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承、1990年(平成2年)まで使用された。国鉄では1960年頃より団体客用にスハシ29形やオハ61形など旧形客車を改造した和式車両を登場させ使用してきたが、車両自体の老朽化に加え構造上冷房が搭載不可能であったり、乗り心地が悪いなどサービス面で満足の出来ない車両が多かった。そこで1972年に冷房搭載車であるスロ62形、スロフ62形を改造した6両編成の和式客車が金沢鉄道管理局に登場。以降、静岡、門司、長野、名古屋、大阪、東京南の各管理局下へと配置した。この東京南鉄道管理局の品川客車区(→品川運転所→現在の東京総合車両センター田町センター)に配置された編成は、鉄道ファンの間で「シナ座」と呼ばれ1986年に同区へ新しい和式客車「江戸」が登場するまで活躍を続けた。この「江戸」の登場により余剰となった「シナ座」は水戸鉄道管理局へと転属することとなり、転属先の水戸客車区では愛称が付けられ、ここで初めて「ふれあい」となったが、「シナ座」の例に倣って「ミト座」と呼ばれることも多かった。「ふれあい」時代の編成は以下の6両で構成される。各車の愛称は、水戸鉄道管理局管内の著名な観光地から採られている。()内は旧車号。東京南鉄道管理局(品川客車区)時代の各車の愛称は以下のとおりで、江戸下町の地名から採られている。「ミト座」時代とは各車号と号車番号が逆転していた。登場時の車体塗装は青15号地の窓下にクリーム10号の帯を2本。水戸運転所に移動後の1988年4月に側面中央部に白で動輪マークが入れられた。1989年4月の検査入場の際にぶどう色2号に淡緑6号の帯1本へと変更された。各車畳敷きとなっており、天井には欄間が取り付けられ意匠を凝らした作りになっていた。基本的に種車であるスロ62形とスロフ62形の鋼体を利用。デッキ横の便、洗面所はそのまま利用されたが車端部の便、洗面所は撤去し収納スペースを作った。冷房装置は種車と同じ角型のAU13形が各車5台搭載される。種車の関係上自車に暖房用熱源を持たないため、冬季は蒸気暖房や電気暖房熱源を持つ機関車による牽引が必要であった。スロフ81形の編成端は貫通扉や幌などが外され愛称表示機と柵が取り付けられた。他の区所に配属された81系和式客車のスロフ81は簡単な柵が付けられたものがほとんどであり、中には幌もそのままの車両もあった。これらに比べて「シナ座/ミト座」は完成度が高かった。全車、国鉄の大宮工場(現在の大宮総合車両センター)で改造され、品川客車区(現在の東京総合車両センター田町センター)に配置された後に水戸客車区(廃車時は水戸運転所)へと転属。水戸地区を中心とした関東各地や上越線、奥羽本線などにも使用された。特異な例として、鹿島鉄道や関東鉄道にも入線した事例がある。中間の1両を外した5両編成での運用も多かった。老朽化により1990年7月に引退、廃車となった。この「ふれあい」の後継として485系電車を基本とした「リゾートエクスプレスゆう」が登場した。
出典:wikipedia
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