第33回ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest 1988)は、1988年4月30日にアイルランドの首都ダブリン(1981年と同じ会場)で開催された。同年はダブリン建市1000周年記念の年に当たり、5日後にヨーロッパの日を控え祝賀ムード一色となった。製作:RTÉアイルランド放送協会。プレゼンターは、テレビ司会者とで、アイルランド語、英語とフランス語を使用。オープニング・アクトはジョニー・ローガンの前年優勝曲「ホールド・ミー・ナウ」。前年優勝曲が。オープニングで歌われたのは初。放送時間:2時間51分。RTÉは、若年層の視聴者の関心を引くように演出の刷新を図った。大会の監督として、ミュージック・ビデオ製作で有名なを起用。幕間演技には地元人気ロック・バンドホットハウス・フラワーズが" Don't Go"を演奏。同曲のビデオクリップはヨーロッパの11ヶ国で撮影され、当時のアイルランドでは史上最高の製作費用をかけたものとなった。従来、大道具として設置されていたスコアボードを廃止。これに代って、舞台の両脇の大型スクリーンにコンピュータグラフィックス化されたものが映し出されることになった。スクリーンには楽屋で控えているアーティストも映された。舞台も、過去最大にして精巧なものとなった。その分客席が削られることになったが、客席を暗くし全体を映さないことで、会場が実際より大きく見せる工夫をした。の失格により、1減で21ヶ国となった。ΡΙΚ キプロス放送協会はヤニス・ディミトルーの楽曲"Thimame"を代表として選出した。しかし、直前になって英国誌が「同曲は既に1984年の国内選考参加し3位となっていた」とすっぱ抜き、ユーロビジョンの規定違反だということが発覚したため。以下参加国の出場回数及び中継テレビ局一覧変更なし。 各国の審査員が気に入った他国の10曲に投票。お気に入り順に12,10,8-1点として採点。演目終了後、国際電話でつながれた各局のスポークスマンが出場順に口頭で発表。 プレゼンターが復唱確認し、スコアボードに加算された。優勝は、スイス代表セリーヌ・ディオン(カナダのフランス語圏であるケベック州出身)の「私をおいて旅立たないで」。最後から2番目のポルトガルからの配点時には、イギリスが次点スイスを5点上回っていたが、最後のユーゴの配点でスイスが逆転。劇的な勝利となった。当時セリーヌはフランス語圏でしか知られていなかった。スイスの優勝は1956年以来2回目。2015年時点では、これがスイスの最後の優勝となったばかりではなく、フランス語の楽曲の最後の優勝ともなっている。以下の表は、最高得点である12点がそれぞれどの国からどの国に与えられたかを示す:各曲の歌詞については以下を参照のことDiggiloo Thrush英語版・フランス語版left
出典:wikipedia
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