寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(ともひとしんのうはい・せかいせんしゅけんきねんトーナメント)は、競輪のGI競走である。通称「親王牌」。大会のタイトルになっている寬仁親王牌は、寬仁親王が1990年(平成2年)に日本で開催された世界選手権自転車競技大会の名誉総裁だったことに由来しており、寬仁親王は1992年(平成4年)から優勝者に贈呈されるトロフィーを下賜している。贈られるのがトロフィーなのにタイトルが「牌」(プレート)である理由は不明。前橋競輪場で初めて開催されたことから、前橋競輪場で開催されることが多いが、2001年(平成13年)・2005年(平成17年)・2009年(平成21年)は青森競輪場で、2011年(平成23年)から2015年(平成27年)は弥彦競輪場でそれぞれ開催されるなど、必ずしも固定開催とはなっていない。初日特選は日本競輪選手会理事長杯、2日目優秀競走はローズカップ。大会のベースとなった世界選手権記念競輪は、1990年(平成2年)に群馬県前橋市のグリーンドーム前橋(前橋競輪場)で行われた「世界選手権自転車競技大会・日本大会」の開催を記念して、同年5月に旧・前橋競輪場を舞台に「スーパープロピストレーサー賞」(1989年(平成元年)に行われる予定であったが中止となったKEIRINグランプリ出場選手によるレース)をメインとした単発開催でスタートした(優勝は波潟和男)。なお「スーパープロピストレーサー賞」自体は1991年もこの大会で開催され(優勝は滝澤正光)、その後1995年(平成7年)から2002年(平成14年)まで全日本プロ選手権自転車競技大会の直前に開催される「全日本プロ選手権自転車競技大会記念競輪 (FII)」のメインレースとして行われた。1992年(平成4年)から準特別競輪(現在のGII相当)に格上げされ、1994年(平成6年)から特別競輪(現在のGI相当)に格上げされた。1999年(平成11年)から7月開催となる(2016年大会から10月に戻った)。2008年(平成20年)大会は瑶子女王が、退院直後の寛仁親王の代わりに、表彰式に出席した。なお2012年(平成24年)6月6日に寛仁親王が薨去したことにより、2012年(平成24年)の開催は寛仁親王を追悼する大会として開催され、開会式において黙祷の実施、開催期間中の半旗掲揚、出場選手及び関係者による喪章の着用を行った。2014 - 2016年大会の、優勝者へのトロフィー下賜は彬子女王によるものだった。以下は、決勝戦における各着順の賞金額。1〜3着は副賞を含んだ金額。寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントの出場選手は、自転車競技で活躍している選手を中心に選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手108名、補欠選手8名を選抜する。なお、補欠選手は正選手を除く全プロまたは地区プロ出場者のうち平均競走得点上位者からさらに順次選抜される。また、正選手のうち、以下の条件を満たした合計27名については、日本競輪選手会理事長杯または特別選抜予選に出走できる。日本競輪選手会理事長杯(9名)特別選抜予選(18名)初日〜3日目は12レース、4日目(最終日)のみ11レースが行われる。その他、2日目以降に予選敗退者を対象とした「特一般」(2日目)、「一般」、「選抜」、「特選」(3日目以降)が開催される。最終日の競走が全11レースしか設定されないため、3日目「一般」各レース7〜9着9名が最終日を待たずに強制的に(失格はなくても)途中帰郷(「お帰り」)させられる。
出典:wikipedia
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