キャサリン・ヌデレバ(Catherine Ndereba、1972年7月21日 - )は、ケニアのニエリ出身の女子マラソン選手。2001年10月7日にシカゴマラソンを2時間18分47秒で走り当時の世界記録を達成、この記録は2016年8月現在も世界歴代3位の記録である。日本のメディアでは、「ンデレバ」「デレバ」の表記も見られたが、アテネオリンピック以降はほぼ「ヌデレバ」で統一されている。序盤は先頭集団の後方にいることが多く、じっくり後ろから集団を観察していることが多い。また先頭集団から少し遅れた位置で先頭集団の様子を伺いながら、中盤過ぎから先頭集団についていき、終盤にスパートして勝利というパターンが多い。世界記録を打ち立てた2001年のシカゴマラソンでは、最初の5kmを17分41秒と1990年代以前の女子マラソン日本記録よりも遅いスローペースで入ってから、距離を踏むごとにみるみるペースアップし、ゴールでは1週間前に高橋尚子がベルリンマラソンで打ち立てた世界記録を約1分も更新するという驚異的な快走で圧勝している。また、2003年の世界陸上パリ大会、2007年の世界陸上大阪大会では、途中まで先頭集団の後方で様子を見ながら、終盤に機を見てスパートして勝利するというレースパターンで世界一の称号を勝ち取っている。その反面、中盤でのロングスパートにはついていけない傾向がある。実際、2004年のアテネ五輪では野口みずきに、2005年の世界陸上ヘルシンキ大会ではポーラ・ラドクリフに、2008年の北京五輪ではコンスタンティナ・トメスクに屈して、準優勝となっている。2004年のアテネ五輪では、25Km付近でスパートした野口についていけなかった。その後32Km過ぎの地点で、ラドクリフらをかわして2位に上がってからは、先頭を走る野口を猛然と追い掛けたものの、わずか12秒差で届かなかった。2008年の北京五輪では、先頭集団の後続にいたために、トメスクの独走を見逃していた。トメスクに気づいたのは40km過ぎの折り返し地点であったが22秒の差で届かず、結果的にはヌデレバの計算されたレース運びが裏目に出てしまった。それでも気落ちせずに周春秀との2位争いの一騎討ちでは、トラック勝負で差をつけて銀メダルを獲得した。2007年の世界陸上大阪大会では、自身の経験を元に、日本のマラソン選手がオリンピックや世界陸上で協力して戦っている戦略を発展させ、自転車ロードレースのような本格的なチーム戦でオリンピックや世界陸上を戦う戦略を初めて導入して戦ったとされる。その結果、自身は優勝し、同国の僚友2人も入賞して団体戦も優勝するという好成績を残した。このヌデレバが本格的に導入したチーム戦で戦う戦略は、以後のオリンピックや世界陸上などのマラソンでもスタンダードなものとなり、ケニアの他にも、この戦略を本格的に導入した中国、エチオピア、ロシアなどもオリンピックや世界陸上のマラソンで安定して結果を残すようになった。
出典:wikipedia
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