三賞(さんしょう)とは、一般には各業界における三種類の賞の総称を指す。ここで記述する三賞は大相撲の本場所において、横綱・大関以外の成績優秀な幕内力士に送られる三種類の賞の総称である。戦後、大相撲の人気回復策の一つとして考案され、1947年(昭和22年)11月場所から実施された。殊勲賞・敢闘賞・技能賞の3つが当初から制定された。第1号の受賞者は殊勲・出羽錦忠雄、敢闘・輝昇勝彦、技能・増位山大志郎である。当初は、各賞1名ずつが原則であったが、1949年10月場所に鏡里が殊勲・敢闘の両賞を受賞、1957年10月場所には初めて技能賞に該当者なしが出現、さらに1971年11月場所には敢闘賞が輪島・富士櫻の2人受賞、1973年7月場所には大受が全賞受賞と、受賞の様態は時代に沿って変化を見せている。三賞の選考は千秋楽の幕内取組前に(通例午後1時から)記者クラブで行われ、日本相撲協会の審判委員と記者らの投票で決定する。以前には14日目の取組前に「三賞選考予備会」が行われ、三賞候補を挙げていた。受賞するためには勝ち越していることが絶対条件であり、勝星数はもちろん、何より相撲内容が審査される。なお皆勤は条件として規定されていないが、過去に途中休場力士の受賞例はない。2015年3月場所では勝ち越し後途中休場で8勝3敗4休の安美錦が技能賞の候補にあがったが、投票の末見送られこの場所は技能賞なしとなった。三賞選考の基準は2段階になっており、片方だけを満たした場合には「千秋楽の取組に勝った場合」などの条件付きになることもある。また前述の「勝ち越しが絶対条件」により千秋楽の取組前の成績が7勝7敗の場合は必ず「勝てば受賞」という条件付となる。また、三賞受賞候補者同士の対戦が千秋楽に組まれている場合には両者とも勝てば受賞という条件付として実質的な三賞決定戦という形となったこともある。現在の賞金額は、各賞それぞれ200万円である。1人が複数の三賞を受賞(後述)した場合は、ダブル受賞であれば400万円、トリプル受賞であれば600万円が支給される。また、1つの賞に複数の人員が選ばれることもあるが、この場合も各個人それぞれに200万円が支給される。かつては巡業においても稽古報奨金としての三賞制度が存在しており、実際に1995年春巡業から「巡業三賞」が設けられた。関脇以下の力士を対象に最優秀賞(30万円)精勤賞(20万円)努力賞(10万円)が規定されていたが、1997年夏巡業からは優秀賞のみに改定され、1999年春巡業からは企業がスポンサーとなり、2001年冬巡業を最後に廃止された。なお、これから派生して他の大会でも殊勲・敢闘・技能の三賞を設けることがある(たとえば全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦、日刊スポーツ新聞社制定「競輪年間三賞」など)。優勝した力士や横綱から白星を挙げた力士に与えられる。仮に優勝した力士が14勝1敗の成績だった場所では、優勝力士に唯一の土を付けた力士が評価されて受賞対象となることもある。例として、2008年5月場所で大関・琴欧洲が14勝1敗で初優勝を果たしたが、その琴欧洲に唯一の黒星を付けた安美錦が殊勲賞を受賞している。ここ数年は朝青龍・白鵬と強い横綱の活躍が続いていることから金星を獲得できる力士が少ないこと、金星を得ることができても勝ち越しを収められるまでには至らないこと、横綱と大関との力の差が開いて大関に勝った星の価値が下がっていることなどから、該当者なしの場所が多くなっている。2009年は史上初めて年6場所通じて該当者が出なかった。また、関脇以下の力士が優勝した場合にも受賞することがある。興味深い記録として2009年1月場所から2011年5月技量審査場所の丸2年半において中止や該当者なしを含めて2010年1月場所受賞の把瑠都と同年11月場所及び翌2011年1月場所受賞の稀勢の里の2人が独占するというものが確認され、その2人は共に大関まで昇進している。なお、金星など重要な殊勲の星を挙げた場合には、8勝でも受賞できることがある。敢闘精神溢れる相撲を展開した力士に与えられる。10勝ないし11勝以上が目安とされるが、元大関や三役常連などはそれを満たしても受賞できないことが多い。逆に横綱や複数の大関を破る活躍をすれば8勝でも受賞できる。三賞の中でも最も受賞者が多くなりやすい傾向にあり、2000年1月場所から7月場所まで実に4場所連続で複数人受賞者が出る状況にあった。新入幕力士の場合は2桁の白星を挙げると選考の対象となることが多いが、近年は10勝では受賞できないケースが多かった。しかし、最近は10勝以上で受賞できるとみられる。現に2014年5月場所で新入幕(東前頭17枚目)だった佐田の海が14日目まで9勝5敗とし、千秋楽で10勝目を挙げ敢闘賞を受賞した。また、殊勲賞にも、技能賞にも該当させにくい好成績を挙げた力士(例えば関脇以下での優勝や優勝同点や優勝次点)、新進力士やベテラン力士に対する奨励の意味で与えられることもある。優れた技能を発揮した力士に与えられる。決まり手の数が豊富なだけでなく、寄り、押し、投げ、立合いなどの基本の型に忠実である力士に与えられることもあり、そのため同じ力士が何度も受賞する場合が多い。がぶり一辺倒の取り口で知られた荒勢はただ1回とはいえ「がぶりも技術の一つである」と一芸が認められる形で技能賞を獲得している。その一方で、サーカス相撲で知られた栃赤城のように、優れた技能を持っていながら「相撲の基本が疎かである」とし一度も受賞していない例もある。この賞を与えられることは、幕内で個性派として認知される証だと考えられており、受賞を願望して切磋する力士が多い。近年では10勝しても受賞に届かないケースが多い。1場所で殊勲賞・敢闘賞・技能賞の全てを受賞した力士は、これまでに大受、大錦、貴花田、出島、琴光喜の5人がいる。このうち、貴花田と出島は同時に幕内優勝も果たしている。琴光喜はトリプル受賞の翌年の2001年9月場所に幕内優勝を経験しているが、この時は殊勲賞と技能賞のダブル受賞にとどまった。また、大受と大錦の場合はその場所に三賞を受賞した力士が1人だけだったため「三賞独占」とも言われる。選考の傾向としては、一つの賞ごとに独立して力士を選ぶ、というより他の受賞力士との兼ね合いから決まることも多い。例えば最も活躍したAと次点のBがいた場合、一賞ごとに選ぶと全部Aが受賞してしまう可能性が濃いが、全体のバランスを考慮して敢闘賞だけはBを選ぶということである。このため、よほどの大活躍をしない限りトリプル受賞は難しい。1969年7月場所に「大関の地位で2場所連続で負け越した場合、関脇へ降格する。しかし降格した直後場所で、関脇の地位で10勝以上の勝ち星を挙げれば、特例として大関に復帰できる」という現行の制度ができて以降、大関を陥落した力士が三賞を受賞した記録は以下の通りである。なお、降格直後場所に関脇で三賞を受賞した力士は、10勝以上して大関特例復帰に成功した5例(三重ノ海・貴ノ浪・武双山と、栃東は2度復帰)も含めてまだ出ていない。現在のところそういった事例は存在しないが、以下の事例ではあわや全三賞該当者なしになりかけていた。いずれも候補力士が千秋楽の取組で勝利し全三賞該当者無しは免れている。1994年11月場所は、千秋楽の幕内取組前の時点で三賞受賞が決定した力士が一人もいない事態となり、この場所再入幕の浪乃花が千秋楽の取組で勝利し10勝すれば、敢闘賞という条件付きだった。また、2013年3月場所は、千秋楽の幕内取組前の時点で三賞受賞が決定した力士が一人もいない事態となり、この場所白鵬の優勝が決定する13日目まで優勝争いに絡んだ隠岐の海が千秋楽の取組で勝利し11勝すれば敢闘賞、横綱日馬富士を破った金星のほかに2大関を破った銀星が評価された豊ノ島が千秋楽の取組で勝利し勝ち越せば殊勲賞という条件付きだった。結果隠岐の海は勝って受賞し、豊ノ島は負けて逃した。1996年1月場所千秋楽の三賞選考会で、当該力士以外の力士の結果も加えて受賞条件とするという事例が起こった。剣晃は優勝を争っている大関の貴ノ浪に勝利していたが、7勝7敗で千秋楽を迎えていた。選考会でこの剣晃について、九重親方が「優勝力士に土をつけた力士に何もあげないのはおかしい」と唱え、次の条件付きで剣晃に敢闘賞を授与すると決定した。まず剣晃が千秋楽に勝って勝ち越すこと。そして、貴ノ浪が優勝した場合に限って敢闘賞を剣晃に授与するとなった。果たして剣晃は千秋楽に勝ち越しを決め、貴ノ浪も貴乃花との優勝決定戦を制して優勝し、剣晃は敢闘賞を受賞した。このような他力条件付きの受賞は史上初めてである。
出典:wikipedia
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