デイヴィッド・マーク・"デーブ"・スペクター(David Mark "Dave" Spector)は、日本を拠点に活動するアメリカ人テレビプロデューサー、放送作家、著作家、タレント、コメンテーターである。株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表取締役。アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身。公称身長170cm。妻はエッセイスト・コラムニストの京子・スペクター。幼い頃は子役として米国でケロッグのコーンフレークのコマーシャルなど有名なCMに出演。小学5年生の頃、日本から転校してきたワタル君という少年と親しくなり、彼を驚かせようと「郵便局はどこですか?」という日本語を覚え披露したところ、ワタル君は大変に感激し、「日本語(の発音)が上手だ」とほめてくれた。それをきっかけに日本に対し強い興味を持つようになり、毎日50個以上の日本語単語を覚えるようになる。デーブはワタル君が持っていた週刊少年サンデーや週刊少年マガジンなどの少年漫画に興味を持ちはじめ、漫画を読みたいという気持ちから、学校の授業が終わったあと、週1回、1時間の日本語授業を地元の日本人学校で受け、日本人学生がだれひとり卒業できない中、デーブひとりだけが卒業できた。それもアメリカ人として卒業生総代までつとめ、今でもその学校の伝説として残っている。なお、ワタル君とは現在にいたるまで親交が続いている。日本の漫画をよく読んでいたことについては、おそ松くんに出てくるチビ太がいつも手にしているおでんを見て、それが食べ物であると知るまで「何らかの武器であるに違いない」と信じ込んでいた、と語っていることからもうかがえる。まだテレビの録画技術も発展していない当時、アメリカ在住の日本人駐在員や日系アメリカ人に見せるために全米巡回で観賞会が開かれていた紅白歌合戦の放映会がシカゴに回って来た際にはいっしょに観賞していたという。印象に残った曲である「君といつまでも」(加山雄三)、「花と蝶」(森進一)にいたっては歌詞を覚えて物真似までしていた。日本人学生を対象にしたシカゴ日系人会主催の日本語弁論大会で2年連続優勝を果たしており、当時の状況からして日系人でないアメリカ人の子供が日本語弁論大会に優勝すること自体が快挙だった。又その時の論文の題は「三島由紀夫の生涯と自殺」であった。この論文を子供時代に発表した事で、いかにデーブが日本語に熱心だったか当時の関係者は皆、絶賛した。1970年に初来日し日本万国博覧会(大阪万博)を見学している。現在でも日本語の単語を1日に3 - 5つ覚えることを日課とし欠かしたことがない。それはどんな場面においてもコメンテーターとして専門用語を理解し使いこなすためでもある。1972年上智大学に留学し、1975年シカゴ放送学校を卒業。シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに所属したり、コメディ・ライターとして活躍した後、ABCテレビの番組プロデューサー及び番組内における日本特派員として再来日する。日本留学時代は学業の合間を縫って、天地真理などのアイドルの追っかけに熱中していた。1976年、憧れていた加山雄三から取ったユウゾウと名乗り副業で日本人の旅行案内員をしているときに、ロサンゼルスのホテルニューオータニロサンゼルス(現キョート・グランド・ホテル・アンド・ガーデンズ)でコンシエルジュとして働く京子と出会い1981年に結婚。アメリカABCテレビの番組のため1983年から1987年頃までは日本とアメリカを行き来していたが、仕事の量が日本で増えるようになってからは活動拠点を東京に移すようになった。京子との間に子はいない。妻と共にヒルトン東京に長期滞在し、ホテル生活は十数年に及び、そのユニークな生活スタイルが話題となった。フジテレビ系『笑っていいとも!』で「デーブ・雄三・スペクター」名でデビュー。テレビ東京系列の『おもしろプレヌーン』で日本のテレビに初出演。巧みな話術に注目が集まり、徐々にテレビパーソナリティとしての活動に軸足を置くようになり、ドラマやCMなどにも活動の場を広げる。現在は「ダジャレを発するアメリカ人」として、バラエティで重用される一方、「ABCプロデューサー」「エンターテイメントのスペシャリスト」として各種情報番組のコメンテーターとしても活躍し、常に好コメンテーターとして名を連ね、オリコン2009年「好きなコメンテーター」1位を獲得。彼の代名詞とも言えるアメリカン・ジョークと、そこに潜ませた“的確さ”“知識の豊富さ”が支持され、唯一、全世代にわたりTOP3入りを果たした。来日して初めて言ったダジャレは、たまたまテレビに姿を見て出た「住めば都はるみ」である。その他に「案ずるより横山やすし」などがある。1985年5月13日 - 9月23日まで、フジテレビ系列で、月曜夜9時から放送されていたバラエティ番組『夜はタマたマ男だけ!!』や、1973年より長期に渡って放送された『ひらけ!ポンキッキ』の構成も行った。1990年代以降のタレント活動はワイドショーのコメンテーターとしての出演が多い。どのニュースにもコメントを行うが、アメリカなど海外の芸能ニュースを得意とし、フジテレビ系『とくダネ!』やテレビ朝日『ワイド!スクランブル』TBSテレビ『サンデージャポン』では海外エンタメニュースを担当。肩書きは「テレビプロデューサー」としている。コメンテーター以外の仕事としてはWOWOWでは『デーブ&麻里の海外ドラマNAVI』で毎週土曜日、レギュラー司会を務めている。さらに2010年春からは『J-MELO』(NHKワールドTV)にスペシャル・コメンテーターとして定期的に出演している。テレビプロデューサーとしては、『愛する二人別れる二人』(フジテレビ系)に対し「本物はもっと凄い」と、元ネタになった番組『ジェリー・スプリンガー・ショー()』の放映権を直接買いに行ったという。アメリカABCテレビ番組プロデューサーとしての実績が功を奏し、スペクター・コミュニケーションズによる海外番組の買い付けビジネスに着手。マイケル・ジャクソンが亡くなった時は、いち早く各局に映像を提供し、現地報道陣より先に最新情報を手に入れていたとして、どこの番組がデーブを確保できるのか、しのぎを削っていた。各局の中にはデーブのアイデアと情報を求めて昼夜問わず連絡を入れるメディア人間が数多く、一日の睡眠時間が3~4時間は定説。2001年9月には横綱曙太郎の断髪式で曙の髷に鋏を入れた。現在もスペクター・コミュニケーションズ名義で海外番組やユニークなCMのほか、海外セレブ、特にアメリカのゴシップ情報(雑誌記事や映像の放映権)を多く買い付け、各局に提供しており、さらにその多くはデーブ自身も出演している。また、アメリカの最新エンタメ情報を収集するため、スペクターコミュニケーションズのロサンゼルス事務所よりエンタメ誌を空輸させている。タレントを発掘する能力にも長けており、当時関西のテレビ番組に出演していた橋下徹に目をつけ、プロフィールを作って東京の各テレビ局を訪ね、デーブ自ら売り込みをして回り、東京進出に一役買った。独自で探してきた日本の優れた人や物を米国の番組で数多く紹介してきている。今ハリウッドセレブの間で流行っている温水洗浄便座をいち早く米国のメディアで紹介したり、日本の番組を紹介し、それを見たテレビ局が米版の番組を作るきっかけを作った。「風雲!たけし城」や「料理の鉄人」等はデーブが最初にアメリカに紹介した。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では「日本で暮らすアメリカ人テレビプロデューサー」としてアメリカのケーブルニュースMSNBCやFOXニュースにコメンテーターとして震災の様子を刻々と伝えた。故郷シカゴの放送局などにも出演。本人のジョーク好きの性格も相まって、デーブには多くの都市伝説が存在する。その他、多数その他、多数
出典:wikipedia
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