中 利夫(なか としお、1936年4月28日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。登録名を頻繁に変えており、入団時は「利夫」、その後はに「三夫」、に「暁生」、監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」もしくは「利夫」。解説者としては本名の「利夫」を使用。前橋高校では2年時から3番・エースで主将を務め、3年時には春の県大会で優勝するが、夏は肩痛で初戦敗退。高校は進学校であり「東京大学かプロか」と迷った末、に中日ドラゴンズへ入団。2年目のからレギュラーとして起用され、に盗塁王を獲得。とにはシーズン350刺殺のリーグ記録をマーク。流し打ちの技術をマスターしてからは高打率を残すようになり、に打法をアッパースイングからダウンスイングに変えて不振を脱出。1965年からは高木守道と1・2番を組み、には王貞治・近藤和彦との打率争いでセーフティーバントを連続成功させたことが功を奏し、首位打者を獲得。に眼疾により長期欠場を余儀なくされるが、無事にカムバック。からはコーチ兼任となり、引退。その後は中日( - 二軍打撃コーチ, ・・一軍打撃コーチ, - 監督, 一軍作戦走塁コーチ)、広島( - 二軍打撃コーチ, - 二軍監督)で監督・コーチを歴任。指導者生活の合間を縫って、CBC解説者・中日スポーツ評論家( - )を務めた。中日監督時代は一軍投手コーチに稲尾和久を招聘して話題になったが、就任3年目には最下位に転落した。広島コーチ・二軍監督時代は前田智徳・江藤智を鍛え上げ、主力打者に育て上げた。広島退団後はテレビ愛知( - )・三重テレビ解説者を経て、現在は中日新聞評論家・東海ラジオ解説者( - )。プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersでは監督・選手として参加(現在はコーチ)し、からまで中日OB会の会長も務めた。2010年の日本シリーズ第1戦(ナゴヤドーム)では始球式を務めた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。