タイラー・リー・バンバークレオ(Tyler Lee Van Burkleo, 1962年10月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。アメリカ球界での登録名は、タイ・バンバークレオ(Ty Van Burkleo)。にミルウォーキー・ブルワーズと契約。メジャー昇格のないまま6月27日にブルワーズとの契約を解除となり、同年8月4日にカリフォルニア・エンゼルスと契約するが、ここでもメジャーに昇格することのないまま6月2日にエンゼルスとの契約を解除となった。エンゼルス退団後すぐに西武ライオンズに入団。長身に加え、甘いマスクで、家族共に日本入りした姿が野球ファンの間で話題になった。登録名は最初はバンバークレオであったが、すぐにバークレオに変更されている。西武入団1年目は外国人枠の関係もあり二軍で過ごしたが、2年目のは認められ、一軍の5番に定着して打ちまくり、満塁本塁打4本を含む38本塁打を放ち、チームのリーグ優勝・日本一に貢献(なお、2年目までの推定年俸は当時のレートで700万円と格安であった)。3番・秋山幸二、4番・清原和博の後を打ち、3人はAKB砲といわれた。この3人で100本以上の本塁打を打ち、他球団から恐れられた。しかし、以降は変化球攻めに苦しみ低打率となり、監督の森祇晶は新加入したスイッチヒッターのオレステス・デストラーデを起用するようになる。桁違いの飛距離を誇るにもかかわらず、当時は外国人は一軍登録2人制のため(エース級の郭泰源もいた)再び二軍生活を余儀なくされ、限りで西武を退団。当初西武での応援歌の原曲は、名前にちなんだ「歌えバンバン」だった。しかし、1990年に秋山幸二と清原和博以外の全員の応援歌が作り直され、バークレオにも新曲が作られたが、こちらはあまり歌われる機会のないままに終わっている(後にブライアン・ラービーに流用されたが、彼もまた1年通しての活躍はできなかった。その後は関西地区限定で髙木大成に流用された)。には広島東洋カープに移籍し、チームはリーグ優勝を果たしたが、自身は活躍できず1年で退団した。帰国後のにエンゼルスと再契約。7月28日の対オークランド・アスレチックス戦(アナハイム・スタジアム)で7番・一塁手としてメジャーデビューを果たす。同年8月3日の対カンザスシティ・ロイヤルズ戦で、8回裏にスタン・ベリンダからMLB初安打となる二塁打を放った。8月16日の対デトロイト・タイガース戦では、メジャー唯一の本塁打を同じくNPB経験者であるビル・ガリクソンから放っている。はコロラド・ロッキーズでプレー。にエンゼルス傘下(当時)のA+級レイクエルシノアでプレーしたのを最後に引退。引退後、からエンゼルスやアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のマイナーで打撃コーチなどを務めた。からまでオークランド・アスレチックスの打撃コーチを務め、からはシアトル・マリナーズのベンチコーチに就任。しかし、8月9日にチームの成績不振のため、監督のドン・ワカマツと共に解任された。にヒューストン・アストロズ傘下のマイナーチームにて打撃コーチに就任したが、同年8月19日に解任されたマイク・バーネットの暫定の後任コーチとしてアストロズの打撃コーチを務めた。からはクリーブランド・インディアンスの打撃コーチを務める。
出典:wikipedia
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