百合(ゆり)は、女性の同性愛のこと。また、それを題材とした各種作品。1990年代以降の日本の漫画、ライトノベル、アニメ、同人誌のジャンルをさすことが多いが、戦前の少女小説や一般のレズビアン文学、実写映画も含まれる場合がある。「ガールズラブ」「GL」とも称される。語源は1970年代、男性同性愛者向けの雑誌『薔薇族』編集長の伊藤文學が、男性同性愛者を指す薔薇族の対義語として、百合族という言葉を提唱したことによると言われている。同誌には女性同性愛者の読者投稿コーナー「百合族の部屋」が設けられた。また、従来日本においては「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、美しい女性を百合に例えることがしばしばあったが、男性同性愛者が真っ赤な薔薇に例えられていることから、伊藤はそれとの対比で女性的なイメージの強い白百合を当てたという説もある。当初は、女性同性愛を意味する隠語であったが、1983年にレズ(レズビアン)作品である日活ロマンポルノ映画『セーラー服 百合族』(現在は『制服 百合族』に改題)が人気を得たことにより、百合は隠語ではなく、女性同性愛を意味する言葉になったという。ただし、現在の意味で普及したのは2000年代前半くらいから。性的嗜好を率直に表す「レズ」という言葉に比べ、「百合」は軽めの女性同性愛を意味する言葉として定着していった。しかし時には、官能的な女性同性愛のことも百合と称される場合がある。元々このジャンルは、戦前の少女小説に源流がある。その少女小説は、吉屋信子の『花物語』に始まるとされているが、作品の中で描かれる少女同士の強い絆はエスと呼ばれ、1914年の宝塚歌劇団の創立もあって、少女から大きな支持を得た。現実の女学校でもエスに良く似た少女同士の強い関係が生まれていた。しかし、戦後共学化により女ばかりの閉鎖的な空間は、共通のものとしては存在しなくなった。しかも、戦前には女子高というものは結婚までの避難所であり、結婚というものは大抵親から押し付けられるものだった。少女は結婚までの限られた時間の中で、唯一自由な女同士の愛をファンタジーとして味わったのである。しかし、戦後異性との自由恋愛が一般化するにつれて、強固なファンタジーが他のファンタジーを駆逐してしまった。そのため、戦後もしばらくはエス小説は発表されていたが、徐々に姿を消していった。戦前・戦後に大量生産された捨てられた子が母に出会うパターンの母と子の自然な関係という大きな物語に、エスが回収されたことも指摘されている。しかし、戦後の少女文化においても女性同士の愛を扱った作品は消えることなく、近年の百合作品の隆盛に至るまで脈々と受け継がれた。少なくとも1950年代には戦前のエスを引き継いだ漫画が発表されており、戦後の少女小説における母娘、姉妹間のレズビアニズムを思わせる強い絆が指摘されている。多岐川恭は江戸川乱歩賞を受賞した長編推理小説『濡れた心』で女子高生の純粋な同性愛を描いて話題となった。丸茂ジュンはレズビアンの女探偵をヒロインとした連作ミステリー『ヴィトンの中は疑惑の匂い』を1984年に発表、本シリーズは横山まさみちにより劇画化もされている。日本で初めての連載少女漫画は『リボンの騎士』であるが、その続編の『双子の騎士』(1958年 - 1959年)に早くも男装の少女が女性を惹きつける場面が描かれている。また、『なかよし』版『リボンの騎士』(1963年 - 1966年)にも女性同士の結婚の場面がある。しかし、少女漫画に描かれた百合作品の中で最も初期に描かれ、有名なのが山岸凉子の『白い部屋のふたり』(1971年)である。その後2-3年のうちに池田理代子『ふたりぽっち』『おにいさまへ…』、一条ゆかりの『摩耶の葬列』、里中満智子の『アリエスの乙女たち』など後の有名作家が次々に同様の作品を発表した。やや時代は下って1970年代後半から1980年代半ばにかけて、福原ヒロ子『真紅に燃ゆ』『裸足のメイ』、樫みちよ『彼女たち』、長浜幸子『イブたちの部屋』といった作品が、やや年齢層の高い読者向けに発表された。これらの作品の特徴は、不幸を背負った主人公の2人が周囲からの中傷にさらされ、悲劇的な結末を迎えることである。おりしも、アメリカではゲイ革命によって当事者によるレズビアンに好意的な小説が多数出版されていたことを考えると対照的である。レディースコミックでも事情はあまり変わらなかったが、福原ヒロ子『夢の降る夜』、津雲むつみ『月下美人』といった、やや官能的な作品が発表された。また、1970年代は『ベルサイユのばら』に代表される男装の麗人がらみで百合的な描写が見受けられた。『リボンの騎士』なかよし版の段階では、同性愛は男装の少女が女性であると明かされた時点で終わる一時的なものだった。一方、『ベルサイユのばら』ではありえる一形態として描かれていた。1980年代に入ると樹村みのり『海辺のカイン』、吉田秋生『櫻の園』といった、特に魅力的とはいえない普通の女性たちが、タブー観や不幸な生まれやポルノグラフィックな文脈とも関係なく交流を繰り広げる作品が現れた。1990年代を迎えると、百合作品は作品数の増大もさることながら、描かれ方も変化した。かつてのタブー観や罪悪感が退き、例えば秋里和国『10回目の十戒』、一条ゆかり『だから僕はため息をつく』といった作品で、明るいレズビアンが登場し始めた。特に、レズビアンのカップルが登場する1990年代初頭の『美少女戦士セーラームーン』の影響は大きく、またこれによって、それまで女性の愛好家が大半を占めていた百合作品に男性の支持が集まるようになった。同人誌の世界でも、『セーラームーン』をネタにした作品が多数作られた。男性同性愛に固執してきた同人誌の歴史において画期的なことだった。初期の百合作品に見られた暗さがなくなったのは、この時期に「女」がマイナスの記号であることをやめたからだと考えられている。1994年に、ムービックより初めての百合アンソロジー『EG』が刊行された。翌1995年にはレズビアン雑誌『フリーネ』、1996年にレディースコミック『美粋(ミスト)』が刊行された。両誌とも現在は休刊している。1997年に百合アニメの金字塔とも言われる『少女革命ウテナ』が放映された。さらに1998年から刊行された、エス小説の現代版といえる『マリア様がみてる』をきっかけにして、男性愛好家も急増したとされる。2003年には百合専門誌『百合姉妹』が創刊された。こうして百合市場は日本に定着し、女子児童が主な読者層である『りぼん』『なかよし』といった少女漫画雑誌においても『ブルーフレンド』や『野ばらの森の乙女たち』など、百合作品が掲載されるようになった。ただし、百合の市場規模は2010年に至っても、やおい・BL市場の10分の1に留まっているといわれている。一方、日本映画界では少女同士のプラトニックな関係や女性同士のポルノグラフィックな関係が描かれてきたが、このうち特に前者が百合映画と呼ばれる場合がある。『櫻の園』『ラヴァーズ・キス』などが代表であるが、大人のレズビアンが共感できる作品ではなかった。テレビドラマでもプラトニックな関係も含め百合関係を扱った作品があり、ミステリー・ドラマ『古畑任三郎』や『相棒』でも何回か取り上げられている。百合ブームは、海外にも及んでいる。2003年には、北米で百合作品を扱う初めての出版社ALC出版が誕生した。同年には、百合作品のイベントが開催される。現在は、日欧米の作家によるアンソロジー『Yuri Monogatari』や日英バイリンガルのマンガ『』も発行されている。ゼロ年代後半には、男性キャラクターを排除・周辺化して、複数の美少女キャラクターたちの日常的なやりとりを重点的に描く萌え4コマ・空気系といったジャンルが流行したが、これらの作品を原作とする二次創作では(腐女子によるやおい系二次創作と同様に)もっぱら登場する女性キャラクター同士の関係性に百合的な同性愛を読み込むという発想が取られており、百合というジャンルの普及に一役買った形になっている。社会学者の熊田一雄は、やおい・ボーイズラブと呼ばれる男性同性愛を扱った作品を好む女性(いわゆる腐女子)は、「自身の女性性との葛藤」ゆえにそういった作品を愛好しているのだという分析をもとに、それと同様のことが百合ものを好む男性にもいえるのではないか、すなわち彼らは「自身の男性性との葛藤」を抱え込んでしまっているがゆえに、男性という記号からの逃避場所として百合ものを愛好しているのではないかと推測している。ここでいう男性性の葛藤とは「女性を一方的・特権的に値踏みする視線の主体」としての男性性であり、女性同士の同性愛という作品世界に没入することによって「対等な性」に近づこうとしていると考えられる。また、百合を愛好する男性はしばしば作中人物に同一化する気持ちで作品を鑑賞していることから、作品外部から作品内部の女性キャラクターに対して「一方的に値踏みする視線」を送っているにすぎないわけではないという。文学者の長池一美は、百合マンガの全体的な目標は少数派の性的指向に焦点を合わせる「強制的な異性愛」からの避難であり、社会的に作られた女性性を再考する要素を提供すると同時に、既存の女性性を越えたいという女性たちの潜在的な願いを表していると分析している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。