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アメリカ本土砲撃

アメリカ本土砲撃(―ほんどほうげき)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍(以下、日本海軍という)の艦船によって行われた、一連のアメリカ合衆国本土およびカナダ本土への砲撃(艦砲射撃)作戦のことである。1941年12月に行われた日本海軍の航空母艦搭載機による真珠湾攻撃による日米間の開戦後、日本軍は太平洋やアジア各地で敗走を続けるアメリカ軍やイギリス軍、オランダ軍をはじめとする連合国軍を圧倒し、その支配地域を広げて行った。この様な状況下で、日本海軍はアメリカ本土への潜水艦による砲撃を計画し、その一環として、同月25日に通商破壊作戦を行うべく北太平洋のアメリカ沿岸地域に展開していた日本海軍の巡潜乙型潜水艦9隻(10隻との説もある)によって、一斉にアメリカ西海岸沿岸のロサンゼルスやサンディエゴ、モントレー、ユーレカ、アストリアなど計8都市を砲撃するという作戦を計画した。しかし、「クリスマス前後に砲撃を行い民間人に死者を出した場合、アメリカ国民を過度に刺激するのでやめるように」との理由で、実施直前に12月27日に作戦実施を延期するようにとの命令が下された(なおこの理由には諸説ある)。さらにその後各潜水艦が燃料不足となり、同時砲撃が行えなくなったために中止となった。しかしその後もこれらの潜水艦は通商破壊戦をアメリカ西海岸沿岸で繰り広げ、多くの貨物船やタンカーを撃沈するなどの成果を上げた。その後も北太平洋において通商破壊作戦を展開していた「伊号第一七潜水艦」(以下「伊17」とする)は、1942年2月22日にカリフォルニア州サンディエゴ沖からロサンゼルス市の北方にあるサンタバーバラ沖に移動した後、2月23日の午後7時(現地時間)にサンタバーバラ近郊にあるエルウッド石油製油所への砲撃作戦を行った)。「伊17」は14センチ砲を20発発射し同製油所の設備に被害を出した上に、アメリカ陸軍兵1人に重傷を負わせたものの、その多くが不発弾であったため最終的には大きな被害を出す事なく終わった。しかしこの砲撃作戦は、アメリカ本土への日本軍の攻撃と上陸を警戒していたアメリカ政府と軍、国民に大きな動揺を与え、当日はカリフォルニア州沿岸のモントレーからロサンゼルス、サンディエゴに至るまでの広い地域で灯火管制とラジオ放送の中止が行われた。さらに翌日には、この砲撃作戦の成功により過敏になったアメリカ陸海軍による、カリフォルニア州南部沿岸地域に対する日本軍機の大規模な空襲を誤認した対空砲火と、それにより民間人多数に死傷者を出した「ロサンゼルスの戦い」が引き起こされることになるなど、アメリカ国民をパニックに陥らせる結果となる。同年6月20日には伊17と同じ乙型潜水艦の「伊26」が、カナダ本土の太平洋岸のバンクーバー島エステヴァン岬にあるカナダ軍の無線羅針局を14センチ砲で砲撃した。「伊26」は30発の砲撃を行ったものの、無人の森林に数発の砲弾が着弾したのみで、大きな被害を与えることはなかった。「伊26」によるバンクーバー島砲撃作戦の翌日の6月21日、「伊号第二五潜水艦」がオレゴン州アストリア市のフォート・スティーブンス陸軍基地を潜水艦基地と誤認し、14センチ砲で砲撃を行った。当初はアストリア市も砲撃対象としていたものの、コロンビア川の河口を入ったところにあるアストリア市へ砲撃は届かなかった。しかし突然の攻撃を受けたフォート・スティーブンスはパニックに陥り、陸砲が配備されていたにも拘らず「伊25」に対して何の反撃も行えなかった。この砲撃によって電話線や送電線が一時寸断されたものの、基地施設の損害は皆無であった。また、人的被害も配置に付く際に慌てたため頭に軽傷を負った兵士1人のみである。フォート・スティーブンス砲撃は、アメリカ本土にある基地への外国軍による攻撃としては米英戦争以来のものであり、その後現在に至るまで外国の正規軍によるアメリカ本土の基地への軍事攻撃は行われていない(その後も日本軍によってハワイやアラスカへの攻撃が行われたが、これらは本土ではない)。これらの活動に併せて、太平洋のアメリカ沿岸地域に展開していた日本海軍の潜水艦が、アメリカ西海岸沿岸を航行中のアメリカのタンカーや貨物船を10隻以上撃沈し、中には西海岸沿岸の住宅街の沖わずか数キロにおいて、多くのアメリカ市民が見ている目前で貨物船を撃沈するなど、開戦以来日本海軍の潜水艦による攻撃行動がアメリカ及びカナダの太平洋岸地域で多数行われていた。また、これらの潜水艦によるシアトルやサンフランシスコ、ロサンゼルスやサンフランシスコ周辺のアメリカ海軍基地に対する偵察も、当時行われていたことが戦後明らかになっている。日本海軍令部は、先立ってフォート・スティーブンス砲撃を行った「伊25」に搭載されている零式小型水上偵察機によるアメリカ本土への空襲を2度にわたり行い、さしたる反撃も受けないまま成功した。1942年6月21日にフォート・スティーブンスへの攻撃を受けた際に、アメリカ政府は自国の基地が攻撃を受けた事実こそ認めたものの、国民の動揺を防ぐためと防諜上の理由から攻撃を受けた基地名を公表しないようマスコミに指示を出した。また、9月にオレゴン州に空襲を受けた際にも、太平洋戦線における相次ぐアメリカ軍の敗北と、相次ぐ自国本土への攻撃に意気消沈する国民に対する精神的ダメージを与えないために、軍民に厳重な緘口令を敷きこの空襲があった事実そのものを極秘扱いにした。しかし、まもなくマスコミに知れ渡ることになり、当時太平洋戦線で負け続きであったアメリカ国民を大いに怯えさせることとなった。日米間の開戦後に、サンフランシスコやロングビーチ、サンディエゴ等の西海岸の主要な港湾においては、日本海軍機動部隊の襲来や陸軍部隊の上陸作戦の実行を恐れて、陸海軍の主導で潜水艦の侵入を阻止するネットや機雷の敷設を行った他、その他の都市でも爆撃を恐れ、防空壕を作り、防毒マスクの市民への配布などを行っていた。しかし、数度に渡る潜水艦による砲撃作戦の成功のみならず、沿岸での通商破壊戦が行われたことに対して、アメリカ国民からは政府と軍の防衛体制に対して批判が相次いだ。なお上記のように、日本海軍の潜水艦によるエルウッド石油製油所への砲撃作戦が実施された翌日には、同じ南カリフォルニアのロサンゼルス近郊において、アメリカ陸軍が未確認飛行物体を日本軍の航空機と誤認し、多数の対空砲火を行った「ロサンゼルスの戦い」が発生し、対空砲火の破片などで多数の市民が死傷した。この事件は全米にラジオで生中継されたほか、翌日の新聞にロサンゼルス上空を飛行する物体の写真が掲載されるなどアメリカ市民に大きな衝撃を与えた。さらに事件後アメリカ海軍は「日本軍の航空機が進入した事実は無かった」と発表し、これに対してアメリカ陸軍は直ちに「飛行物体の飛行が確認されたために攻撃を行った」と反論するなど、軍内部にも大きな混乱を与えた。一般市民は「日本軍の真珠湾攻撃は気を抜いたアメリカ海軍の失態」であるとして、この事件における陸軍の対応を支持するなど、相次ぐ日本軍の襲来を受けた世論の沸騰を受けて西海岸における防空体制はさらに強化されることとなった。この一連の砲撃と空襲作戦の成功以降、西海岸地域を問わずアメリカの全ての沿岸部における哨戒活動及び防空が厳重なものとなり、併せてサンフランシスコなどの西海岸地域の大都市には、日本軍機による空襲に備えたシェルターや防空壕が急遽設置されるようになったほか、灯火管制や避難訓練の実施、西海岸沿岸地域に住む子供たちの学童疎開の検討が行われるようになった。なお、この一連の砲撃と空襲作戦の過程においては、日本人移民や日系アメリカ人の関与、協力などは何もなかったにも拘らず成功を収めたことから、人種差別的指向を持ち、さらに日本軍の上陸を恐れていたフランクリン・ルーズベルト大統領の命令により、1942年2月からハワイを除くアメリカ全土で行われていた日系人の強制収容を正当化する口実の1つになった。日本の同盟国のドイツ海軍の潜水艦によって、アメリカ東海岸沿岸やメキシコ湾における連合国の民間船に対する通商破壊作戦、ドイツ軍のスパイによるアメリカ国内におけるテロなどの破壊行為が多数行われたが、これらの潜水艦によるアメリカ本土への砲撃や、艦載機によるアメリカ本土への爆撃は行われなかった。

出典:wikipedia

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