ウエストひかりは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が1988年から2000年まで山陽新幹線で運行していた「ひかり」の一種の車両・列車愛称。山陽新幹線が1987年(昭和62年)4月1日に日本国有鉄道(国鉄)からJR西日本に継承された時点での山陽新幹線の列車は、「こだま」と、臨時列車や東京駅発着が不可能な早朝深夜の「ひかり」を除いては、基本的に東海道新幹線の16両編成「ひかり」の末端を延長したもののみだった。その中には新大阪駅 - 博多駅間が各駅停車で、途中で速達タイプの「ひかり」に抜かれる「ひかり」もあった。東海道新幹線に比べ、旅客需要の小さい山陽新幹線を運営するJR西日本は、最も売り上げの見込まれる京阪神 - 北九州市・福岡市間において両地点とも比較的空港へのアクセスが良いことから航空会社との競合が激しかった。それに対抗すべくJR西日本が所有する0系を改良して「ウエストひかり」としてデビューさせた。従来の0系と異なり、100系に似せた子持ちライン入りのカラーリングとなった。当初、地色は0系オリジナルのアイボリーホワイトだったが、1990年10月から順次100系と同じパールホワイトに変更された。客用乗降ドアの横には「ウエストひかり」を表す、Wの文字をかたどったマーキングが貼り付けられた。国鉄分割民営化の際、100系はすべて東海旅客鉄道(JR東海)に継承されたため、0系の中から、状態の良い車両に延命工事と内装の更新を行った車両を「ウエストひかり」用として使用した。当初この運用に当っていた編成は従来のこだま6両R編成と区別された6両WR編成(R50番台)と命名された編成4本で、1988年3月13日のダイヤ改正から航空機が運航されていない早朝・深夜帯の4往復の「ウエストひかり」運用に充当された。運行開始前の1987年12月10日に新大阪駅で展示され、同月15日からは暫定的に「こだま」で運用されていた。WR編成は普通車のみで、座席を2列+2列の横4列シートを採用した。「ウエストひかり」は好評のため、1988年5月の大型連休時にはグリーン車2両を増結した8両編成で運行した。続いて夏を前にしてグリーン車込みの12両編成の組成に入った。シネマカーは従来の「ひかり」運用のS編成 (S19, S25) だったが、1988年夏に「ウエストひかり」に格上げとなった。運行上では「ウエストひかり」12両編成はS編成と呼称されていたが、ビュフェ車・グリーン車を組み込んだ編成はWK編成、ビュフェ車・グリーン車に加えてシネマカーを組み込んだ編成はWKV編成と呼称されることもあった。1999年11月からは、一部車両で車内放送などを原則省略した「サイレントカー」を試験導入した。これは、後の「ひかりレールスター」で本格的に導入された。普通車は、座席を2列+2列の横4列シートに交換した。奇数車両と偶数車両で座席モケットの色を変更した回転可能のものに交換した。車体は1000・2000番台を改造した5000・7000番台で座席の前後間隔(シートピッチ)を980mmに統一した。一部の編成では、外側の肘掛けを大型化してテーブルを内蔵していた物もあった。12両編成(S編成)化以降はグリーン車とシネマカー(WKV編成のみ)が連結された。シネマカーには大窓の0番台を改造した3000番台が、グリーン車には従来と同じく1000・2000番台の車体が使用された。グリーン車の座席は100系G・V編成と同等のものが使用された。「ウエストひかり」化に伴い、ビュフェ室を拡大しビュフェ内に椅子とテーブルを設置するなどの工事を施した。車両番号も5000, 7000番台から5300, 7300番台に改番された。1編成ごとに内装の色や椅子の形状が違っていた(S5 (37-5302) は紺色、S10 (37-7302) は黄色、S17 (37-7303) はオレンジ色、S19 (37-5301) は緑色、S25 (37-7301) は赤色、S46 (37-5303) は青色)。ビュフェにはJR系外の業者として丸玉給食が参入し、食事として主にカレーライスが提供されていた。シネマカーには、定員38名の映写室とコンセントを備えたビジネスルームを3つ、そして客室で構成された。1988年に、山陽新幹線区間で主に「ひかり」に使用されるS編成5本のうち、S17・S19編成の2本に組み込まれ、同年4月1日から「ひかりビデオカー」として営業運転に使用された。1989年までに、WR編成の車両と組み合わせることによって「ウエストひかり」用に改造された。「映画館をイメージした本格的なビデオ室」をコンセプトに、客室部分を壁で仕切り、ビデオ室は食堂車と同じように窓側に通路を設けた。遮光カーテンを取り付け、50インチスクリーンに専用プロジェクター、スピーカーを使用した本格的なものであった。上映中は極力車内放送を控えて緊急放送のみとし、電光掲示板にて情報を流すようにした。設置当初は入室料600円(1988年6月以降は500円)を徴収していたが、1989年12月以降は無料となり、「シネマカー」と改名した。しかし乗車時間などの関係などから人気は振るわず1994年3月いっぱいで上映を中止、普通車に置き換えられた。これにより、同年12月以降の「ウエストひかり」はWK編成6本のみとなった。無料化後は、車内が暗いことから、車内で寝るという目的で使う者までいたという。R51編成だけは6両編成のまま残された。これは、R23編成(6号車の22-3901、1号車の21-3901とともに唯一の大窓グリーン車の先頭車化車両)との連結器(連結器強化改造済み)を唯一備えていたからである。R23編成と連結した12両での運転は、1988年12月28日から1989年1月9日に「ひかり」51・56号で初めて実施され、以後、夏冬の多客時に実施された。R51編成が指定席、R23編成が自由席とされた。このR51は上記のシネマカー→普通車置き換え時期に「ウエストひかり」から撤退し、内装を改造と車番の復帰(7000番台 → 2000番台)を行ったうえでR2編成として「こだま」運用についた。グリーン車については改番されなかった。R51編成は運用離脱後、シネマカーの廃止でSk19編成に組み込まれた5号車の25-7001(25-7302に改造)以外の5両(上記の旧車号が太字)は車内を従来仕様に復元され、1995年5月11日付で元番号に復帰した。2000年3月11日のダイヤ改正で最新型の700系を使用した「ひかりレールスター」が登場した。これは「ウエストひかり」を発展させたものだった。このダイヤ改正時点では「ひかりレールスター」の車両が揃っていなかったため、ごく少数の列車が残されていた(ビュッフェは改正時に営業終了)が、所定の本数が揃った4月21日に運用を離脱した。「ひかりレールスター」と入れ替わるように「ウエストひかり」は運用を終えた。山陽新幹線内で完結する、すべての定期「ひかり」および、臨時扱いだが毎日運転する「ひかり」として運転された。12両編成で運転される「ひかり」であったため、16両編成で運転される他の「ひかり」と容易に区別することができた。ひかり51・56号はR23・R51編成連結の12両編成で運転する日がある。4月1日からはビデオカーを組み込んだ12両S編成を使用した「ひかり」も2往復で運転を開始した。後に「ウエストひかり」用に改造された。12両編成で運転される列車の登場。12両編成で運転される列車の一部にシネマカーが組み込まれた。1日9往復運転に増加。1日10往復運転に増加。全列車が新神戸駅に停車する。「ひかり350号」は普通車全席自由席である。また、「ひかり352号」「ひかり357号」は6・7号車を通年指定席とする。「ウエストひかり」用のS編成のうち4本は編成解除され、残った2本(S5, S25)はしばらく波動運用に使用されたが、残る2編成も2000年夏に編成を解除された。しかし、「ウエストひかり」として使用するために延命工事を施してあったために状態の良い車両が多かったことや、2+2シートといったように接客設備が優れていたため、「こだま」用6両WR編成(R60番台)に組み替えられた。このWR編成にはグリーン車が連結されなかったため、この編成解除をもって0系のグリーン車と定期「ひかり」運用が消滅した。「ウエストひかり」のロゴは6両WR編成組み換え後も残っていたが、フレッシュグリーンへの塗色変更の際に撤去された。当初、R61 - R66編成の3号車は「ウエストひかり」のビュフェ車をそのまま連結(ただし、ビュフェの営業は休止)していたが、定員数の増加のために後に普通中間車に置き換えられた。しかし、それの数が限られていたことから、R62, R65編成の2編成にはビュフェ車が連結されたままとなった。R65編成は2006年4月6日に、R62編成は2008年3月14日に運用を離脱した。R62編成に連結されていた37-7302は新幹線最後のビュフェ車だった。この時に組成されたWR編成は2008年の0系営業運転終了まで在籍した。普通車の座席は100系P1 - P5編成にも転用されている。
出典:wikipedia
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