賀陽親王(かやしんのう、延暦13年(794年) - 貞観13年10月8日(871年11月23日))は、平安時代初期の皇族。桓武天皇の第十皇子。官位は二品・大宰帥。弘仁12年(821年)四品に叙せられる。弘仁13年(822年)刑部卿、弘仁14年(823年)治部卿、天長3年(826年)中務卿を歴任。天長10年(833年)三品。承和7年(840年)1月には大宰帥に任じられ大宰府に赴く。承和15年(848年)治部卿、嘉祥3年(850年)弾正尹を経て、斉衡2年(855年)二品に昇叙された。斉衡2年(855年)に大破した東大寺大仏の修造に当たり、貞観3年(861年)3月には東大寺大仏修理落成供養会を監修している。貞観2年(860年)常陸太守次いで治部卿に任ぜられる。貞観5年(863年)体力の衰えを理由に致仕を願い出るが許されなかった。貞観9年(867年)上野太守、貞観13年(871年)大宰帥。『今昔物語集』24巻2話に「高陽親王(かやしんのう)」という名で登場する。高陽親王の建てた京極寺の付近の田に、両手で器をもち、水で器が一杯になると顔に水がかかる仕掛けを細工した身長4尺(約120センチ)の子どもの人形を設置したところ、大勢の人が面白がって水を掛けたため、その田は日照りの最中でも水不足になることはなかったとある。
出典:wikipedia
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