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日奈久温泉

日奈久温泉(ひなぐおんせん)は、熊本県八代市(旧国肥後国)にある温泉。詩人・種田山頭火が愛好したことで知られる。天草諸島を望む不知火海(八代海)の海岸沿いに旅館街がある。木造三階建てが点在し往時の名残をとどめており、細い路地に懐かしい雰囲気が漂う。海の幸も豊富で、とりわけタチウオ、ハモ、ワタリガニが有名。合計16の泉源が集中しているが、現在は温泉協同組合を作り、一部の温泉を除いて共同管理している。湧出量は毎時140トン、ほとんどの旅館がかけ流しである。日奈久の名産として高田焼や竹細工、日奈久ちくわが知られる。1409年(応永16年)、刀傷を負った父(甲斐重村の家臣だった浜田右近)の平癒を祈願した浜田六郎左衛門が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のお告げにより干潟から湯を掘り当てた伝説が残る。六郎左衛門が掘ったとされる湯元には、記念碑が建っている。1540年(天文9年)8月11日から27日にかけて龍造寺氏、1586年(天正14年)9月10日に上井覚兼が、それぞれ湯治した記録が残っている。江戸時代には熊本藩細川氏の藩営温泉となった。藩主・細川綱利の命によって大浴場が設けられ、身分に応じて入浴が許可された。八代城主・松井氏や参勤交代途上の島津氏もよく利用した。明治に入ると宿も増え、名士たちも「どこよりも日奈久」とやってきたという。薩摩街道筋を中心に明治・大正・昭和の町の区割りや建物、路地が残っている。特に、明治末期から昭和初期に相次いで建てられた木造三階建て、二階建て旅館群は、九州内では最も多く密集しており、細部に至る数奇屋細工や和小屋・洋小屋掛け、浴場の変遷などを見ることができ、随所に建築的価値の高い建物が残る。国の登録有形文化財に登録されている金波楼のほか、泉屋、柳屋旅館、新湯旅館などが代表的で、いずれも現在でも宿泊可。1967年に開業した市営日奈久温泉センターの老朽化が進み利用客も低迷していたことから、八代市はこれを解体し、熊本藩の奥座敷で藩営の湯となり、明治時代には観光施設であった「本湯」をイメージした和風の新施設を建設。開湯600年に当たる2009年7月の「丑の湯祭」に合わせ、完成(丑の湯祭りとは土用の丑の日に毎年開催され、一度入浴すると1000回入浴した効果が出ると言われる祭り)。2009年7月21日13時より、日奈久温泉センター「ばんぺい湯」の営業を再開した。

出典:wikipedia

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