早川 沙世(はやかわ さよ、1983年5月23日 - )は、日本のファッションモデル。168センチメートル、85-55-83。AB型。福岡県出身。女性誌『小悪魔ageha』への露出から最も著名。過去には高名なキャバクラ嬢でもあった。夜の現場から身を引いてのちは『小悪魔ageha』の読者モデルやアパレルプロデューサーとして活動。その『小悪魔ageha』を去るに至った2011年から同誌の姉妹誌にあたる『姉ageha』の専属モデルとなっている。女性アイドルグループ「SDN48」への所属経験あり。モデル業にあわせてネイルサロンや美容院の経営を手掛ける実業家としても活動してきた。幼い頃に両親が離婚、母親のもとで育った。地元福岡で10代当時からモデル兼キャバクラ嬢として活動していた。2004年に東京へ移り、それからしばらくモデルやレースクイーンの活動を行ったのち、再びキャバクラ勤務へ。六本木の「R」というキャバクラ店で頂点を極め、キャバクラ嬢ランキング全国一位として支持を集めるなどした。キャバクラの仕事と『小悪魔ageha』のモデル活動とを長らく両立させていたものの、2010年に入ってキャバクラ稼業を引退。翌2011年には女性アイドルグループ「SDN48」への正式加入という機を持ち、同グループの一員としてさっそく握手会への出席活動などを行いはしたものの、その加入からわずか2ヶ月ののちに脱退。自身の本業すなわち雑誌の撮影や新宿歌舞伎町に開業したキャバクラ嬢向けサロン店舗の運営などとの兼ね合いを考慮した結果の辞退であったという。やがて2011年の7月号をもって『小悪魔ageha』を卒業。同誌の姉妹誌『姉ageha』の専属モデルとなった。夜職歴の原点は福岡・中洲のキャバクラ嬢となった高校中退直後のことで、入店早々ナンバーワンになったという。それから19歳になる前後の頃にママとしての引き抜きを受け、猛反対する母親を説得、未成年にして一軒の店を任されるママとなり、売上げを伸ばしその経営を成功に導いた。そして21歳の時に上京。東京到着後にまず六本木のクラブ(ピアノ)へ入店。2ヶ月で同店のナンバー2になったという。そして22歳の時に銀座の新規開業キャバクラ店(ビゼ)へ移り、“女優の卵”や“雑誌で見る顔”などの面子が同僚であった同店において、それまでとは桁違いに富裕な客層を相手に23歳頃まで勤務。成績の発表を行わない店であったため正確な数字については不明ながら、そこでもおそらくは毎月トップクラスの売り上げを出していたという。やがてその店も去って23歳で新宿へ。2006年を通して歌舞伎町のキャバクラ(アジアンクラブ・ジェントルマンズクラブ)に勤務した。そして再び六本木へ移り「R」へ。そこで先に入店していた荒木さやかと出会うことになる。以後長らく同店に勤務したのち、26歳で引退。折には「ホントこの人が水商売辞めるのはもったいない気がします」と荒木にその才を惜しまれた。2009年から国際ボランティア団体「H=and Project」に荒木さやからとともに賛助者として参加開始。同団体が2010年に静岡県で催した「イルカふれあいツアー」に参加するなど、同団体を通じてのボランティア活動を積極的に行ってきた。2009年に急逝した『小悪魔ageha』モデルの純恋とはともにファッションブランド「DIVAS」のデザインを手掛けるなどした仲であった。2011年にあっては、その純恋の実母との共同製作によるペンダントを発売し、その収益を東日本大震災の被災地に寄付するなどの活動を行っている。専属モデル活動を継続してきた『姉ageha』では、2013年、同誌2月発売の3月号にて、ひと月あたりの総額およそ50万円という“美容代”事情が同誌のモデル中最高額の“美容家計簿”として話題に上るなどしている。東京在住、独身、子供なし(『姉ageha 2013年5月号』・『姉ageha 2014年3月号』)。2014年、31歳当時の7月に一児(男児)を出産。同12月に自身のブログ上にてその旨を報告、ちょうど同時期発売の『姉ageha』誌でも「早川沙世、母になる」と題した特集が展開された。
出典:wikipedia
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