竹の子族(たけのこぞく)とは、野外で独特の派手な衣装でディスコサウンドにあわせて「ステップダンス」を踊るという風俗またその参加者の総称。1980年代前半東京都・原宿の代々木公園横に設けられた歩行者天国でラジカセを囲み路上で踊っていた。ブーム最盛期は1980年(昭和55年)で、この頃には名古屋等地方都市の公園や、東京では吉祥寺や池袋でも小規模ながら竹の子族が踊っていたという。グループは主に首都圏の中学・高校生で構成され、歩行者天国が開催される休祭日に原宿歩行者天国(ホコ天)に集合し、ホコ天終了時まで踊っていた。また、歩行者天国が開催されなかった場合は、代々木公園内や公園入口、NHK渋谷方面へ向かう歩道橋近辺であった。「竹の子族」の若者たちで原宿歩行者天国は溢れかえり、そのブーム最盛期にはメンバーが2,000名以上いたといわれている。ラジカセから流す曲は主にディスコサウンドが中心であった(「アラベスク」「ヴィレッジ・ピープル」「ジンギスカン」等の80年代キャンディーポップス)。竹の子族の衣装は、そのチームごとに特色のある衣装をデザインし制作していた。これらは主に原色と大きな柄物の生地を多用したファッションで、アラビアンナイトの世界のような奇想天外なシルエットが注目を集め、化粧についても男女問わず多くの注目を引こうと鮮やかなメイクをしていた。竹の子族の生みの親として広く知られるようになった大竹竹則がオーナーを務める『ブティック竹の子』では、竹の子族ブーム全盛期の1980年(昭和55年)、竹の子族向けの衣装が年間10万着も販売されたという「竹の子族」の由来は諸説あるが、自作以外の衣装を1978年(昭和53年)に開業した「ブティック・竹の子」で購入していたことが「竹の子族」の由来の一つと言われている。街頭や路上で若者グループが音楽に合わせてパフォーマンスを表現するブームの先駆けともいえる。若者集団の文化、ファッションとしても、1980年代前半で注目されるキーワードのひとつ。清水宏次朗や沖田浩之も、街頭でスカウトされ芸能界にデビューした元竹の子族である。それぞれの振り付けはチーム毎によって異なる場合が多い。1970年後半、東京新宿のディスコで流行ったステップダンスが始まりと言われている。1980年初め、毎週日曜日の原宿・代々木公園横の歩行者天国には、竹の子族のチーム約50グループ、メンバーがおよそ2000人に膨れあがっていた。初期メンバーは30人前後であり、1年間で100倍近くに膨れ上がったことになる。 当の竹の子族以上に、ギャラリーの数も想像を超えるほど急増していた。毎週日曜日になるとおよそ10万人近くが「原宿ホコ天」に集まり、原宿歩行者天国は端から端まで身動きがとれなくなることも多々あった。1980年後半、ローラーや、バンド、ブレイクダンス等、多様なパフォーマンス集団に押され、竹の子族ブームは下火になっていった。1996年から1997年にかけての代々木公園前歩行者天国試験廃止および1998年8月31日の歩行者天国完全廃止と共に原宿から撤退、東京新宿のディスコに活動の場を移す。2012年現在も当時のメンバーが中心となり、新メンバーを含む【平成竹の子族】として、clubイベント【原宿ホコ天Night☆】を毎月第二土曜日の夜【東京上野のオマール海老のイタリアンロブス】で開催している。また竹の子族の基本概念である野外でのイベントも開催している。"※五十音順" "190149
出典:wikipedia
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