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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、、)、通称中国(ちゅうごく、)は、東アジアに位置する主権国家である。中華人民共和国は、13億5千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。中国大陸において国民党を破った中国共産党により、1949年10月1日に北京市にて建国された。同国は、22省級行政区、5自治区、北京市・天津市・上海市・重慶市の4直轄市、大部分が自治的な香港・マカオの2特別行政区を法域とする。同国は、今日では台湾として一般に知られ、分離した政治的実体である中華民国により統治される台湾地区の領有をも主張する。この主張には、台湾省として台湾島を、福建省の一部として金門県及び馬祖島を、海南省の一部として南シナ海で中華民国が支配する島嶼を各々含み、複雑な台湾の政治的立場のため論争の的になっている。計測方法によるが、陸地面積では世界第2位、総面積では世界第3位又は第4位である。同国の地形は、乾燥した北の森林ステップ、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠から、多湿な南の亜熱帯の森林まで広大かつ多様である。ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、パミール高原、天山山脈により、同国は南及び中央アジアから切り離されている。長さ世界第3位の長江及び同世界第6位の黄河は、チベット高原から人口密度の高い東の沿岸地域に流れる。同国の太平洋に沿った海岸線は14,500kmの長さで、渤海、黄海、東シナ海、南シナ海に囲まれている。中国は、繁栄及び衰退の繰り返しだと考えられる過去200年間の大部分で世界最大かつ最も複雑な経済を有した。1978年における改革開放の導入以来、中国は世界で最も成長率が高い主要経済大国のうちの1つになった。2013年時点で、同国は名目GDP及び購買力平価のいずれにおいても世界第2位の経済大国であり(2014年には国際通貨基金・世界銀行・CIAワールドファクトブックによると購買力平価は世界最大のGDPとなった)、世界最大の輸出国及び輸入国である。同国は核保有国に認められ、世界第2位の防衛予算で世界最大の常備軍を有する。中華人民共和国は1971年以来国際連合加盟国であり、中華民国の後任として安全保障理事会常任理事国である。中国は多数の公式及び非公式の多国間機構加盟国であり、WTO、APEC、BRICs、上海協力機構、BCIM、G20がこれに該当する。中国はアジアの地域大国であり、多数の解説者により潜在的な超大国として特徴付けられてきた。現在の公式国名は、中華人民共和国 (中国語: 中华人民共和国; ) である。一般国名は、中国 (中国語: 中国; ) 及び中華 (中国語: 中华; ) である。「中国」という言葉は、単数形にも複数形にも使われ19世紀まで国全体の名称としては用いられておらず、紀元前6世紀の書経を始め様々な古文書に登場し、中華帝国以前の時代には華夏族を四夷と区別するため、文化的概念として頻繁に用いられた。英名の"China"は、サンスクリット語の"Cīna" () を由来とするペルシア語の"Chīn" ()が由来と考えられる。。"China"という言葉は、ポルトガルの探検家Duarte Barbosaの日誌において1516年に初めて記録された。1555年、同日誌はイングランドにおいて翻訳及び出版された。17世紀にマルティノ・マルティニにより提唱された伝統的理論では、"Cīna"は周において中国最西の国である"Qin" (秦) が由来である。また、"Cīna"はマハーバーラタ (紀元前5世紀) 及びマヌ法典 (紀元前2世紀) を含む初期のヒンドゥー教の聖典において用いられていた。1930年代から日中戦争を挟んで断続的に行われていた国共内戦において、毛沢東が率い、ソビエトから支援を受ける中国共産党率いる中国人民解放軍がアメリカからの援助を打ち切られた中国国民党率いる中華民国国軍に対して勝利をおさめ、1949年に共産主義政党による一党独裁国家である中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治地域を制圧した。なお、国民党政府は進駐中であった日本の領土である台湾島に追われるかたちで政府機能を移転(その後、日本は1952年にサンフランシスコ講和条約に基づき権限を放棄)、その後も国際法上、空白地である台湾島とこれらの島嶼地域は現在国民党政府の実効支配下にある。中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949年 - 1978年)と鄧小平時代以降(1978年 - )の2つの時代に分類することができる。毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。中華人民共和国の建国後、毛沢東は毛沢東思想に基づき、中国共産党を軸にした世界革命路線を推進した。建国直後の1949年に新疆に展開し、新疆を占領した。1950年にはチベット侵攻 (1950-1951)を行いチベットを占領した。1951年にはソ連から旅順港・大連港・南満州鉄道が返還される。1952年には朝鮮戦争に介入し、韓国軍と、アメリカ軍を主体とする国連軍による朝鮮統一を阻止した。毛沢東の指導の下で大躍進政策と核開発を行い、多くの餓死者と被爆者を出しながらも核保有国としての地位を確保する。1959年のチベット蜂起を鎮圧し、1962年にはインドと武力衝突した(中印戦争)。1949年の中華人民共和国成立後、「向ソ一辺倒」の下で中ソ両国は友好関係を保っていたが、1956年のフルシチョフ第一書記によるスターリン批判後、西側諸国との平和共存路線を図るソ連と自由主義世界との妥協を拒否する中華人民共和国との間で中ソ対立が生じ、中国を支持したエンヴェル・ホッジャが指導するアルバニアと共にソ連から世界の共産主義運動の主導権を奪おうとし、1969年には両国の国境地帯に位置した珍宝島/ダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争が勃発した。また、内政では大躍進政策の失敗によって失脚していた毛沢東が、1966年より経済の立て直しを巡る対立からプロレタリア文化大革命(文革)を発動し、官僚化した中国共産党を打倒しようと呼びかけた毛沢東の訴えに紅衛兵が呼応したため、「造反有理」、「革命無罪」の呼号の下、宗教関係者などの「反革命」派と目された人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。内モンゴルや満洲の先住民族に対しては内モンゴル人民革命党粛清事件などの粛清を行った。外交では1971年の第26回国際連合総会にて採択されたアルバニア決議の結果、それまで国際連合常任理事国だった中華民国に代わって国連安全保障理事会常任理事国となった。また、ソ連との関係では中ソ対立が継続していたため、1972年2月21日のリチャード・ニクソン大統領訪中を契機にソビエトと対立するアメリカ合衆国との関係が緩和され、同年9月29日には日本の田中角栄首相と日中国交正常化を果たし、ソ連の影響から離れて資本主義諸国との関係を改善した。以後、西側諸国から経済支援を受け、国際社会に強い影響力を持つことに成功した。1974年には南シナ海に侵攻し、当時の南ベトナム支配下の西沙諸島を占領した(西沙諸島の戦い)。文化大革命は1976年の毛沢東の死と共に終結した。その後、「二つのすべて」を掲げた華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月の第11期3中全会で鄧小平が実権を掌握した。1978年より始まる鄧小平時代以降の中華人民共和国は、鄧小平理論に基づいて政治体制は中国共産党による一党独裁体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた()。中ソ対立の文脈の中で、1978年12月にカンボジア・ベトナム戦争によってカンプチア救国民族統一戦線とベトナム人民軍が民主カンプチアに侵攻し、1979年1月に中国が支援するカンボジアのポル・ポト政権を打倒すると、1979年2月には親中派の民主カンプチアを打倒した親ソ派のベトナムに侵攻した(中越戦争)。その後もソ連派のベトナムとの関係は悪く、1984年には再びベトナムと中越国境紛争を戦い、1988年にベトナム支配下のジョンソン南礁を制圧した(南沙諸島海戦)。1980年代以来の経済の改革開放の進展により、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢を取り続けている。1989年の六四天安門事件での対応や2005年の反国家分裂法成立などはその一例である。当時のソビエト連邦(ソ連)ではミハイル・ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカにより、経済の自由化のみならず、政治の自由化まで推し進められようとされていたが、鄧小平の自由化は、経済に限定されていた。1985年にゴルバチョフが北京を訪れた際、世界はゴルバチョフを賞賛するとともに、鄧小平の改革開放路線を中途半端なものとして批判した。この空気は、国内にもくすぶり、共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がるほどであったが、その延長線上で民主化要求の大規模な政治運動である六四天安門事件が起こる。しかし鄧小平は、天安門広場に集まった学生に戦車と銃を向け「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」という強いメッセージを示した。経済の開放を強力に推し進めた結果、全国民の0.4%が国民所得の70%を占有するようになり年々格差が拡大し続けている。中華人民共和国はアジア大陸の東部、太平洋の西海岸に位置し、国土は9,634,057km²とロシアとカナダに次ぐ面積であり、世界第3の大きさである。水面積の統計上の処理の方法によってはアメリカ合衆国の面積の方がわずかに中華人民共和国を上回るとされることもある。領土は北は漠河以北の黒竜江(アムール川)の中軸線から、南は南沙諸島の一部まで。東は黒竜江とウスリー川の合流する地点から、西はパミール高原まで広がっている。陸地の国境線は2万2800キロで、東は朝鮮民主主義人民共和国、北はモンゴル、北東はロシア、北西はカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、西と南西はアフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、南はミャンマー、ラオス、ベトナムと接し、東部と東南部は韓国、日本、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、インドネシアと海を挟んで接している。海岸線は約1万8000キロで、中国大陸の東部は渤海、黄海、東シナ海に、南部は南シナ海に臨んでいる。海域には5,400の島が点在する。これらの島嶼では南沙諸島や西沙諸島、台湾、フィリピンのミスチーフ環礁、マレーシアのラヤンラヤン島の領有権も主張している。その一部は既に武力支配され、周辺国から反感を買い警戒されている。島嶼以外ではチベット、ウイグルの独立問題の他、インドのアクサイチン、アルナーチャル・プラデーシュ州の領有も主張している。主要河川として黄河や長江があり、それぞれ黄河文明、長江文明を育んだ自然の恵みでもある。憲法より上位の存在である中国共産党と憲法を拠り所とするその衛星政党以外の政党は認められておらず、国民には結党の自由がないなど。立法機関として全国人民代表大会が置かれ、行政機関として、国務院が、司法機関として、最高人民法院が存在する。法律上は全国人民代表大会に権限が集中する。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。実際には国政を動かすのは中国共産党であり、共産党の最高指導集団である中央政治局常務委員会が権力を掌握する構造となっている。そのため、かつては特に人民代表大会が形骸化し、10年間も開かれないこともあったが、最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。現在の最高指導グループである第18期中国共産党中央政治局常務委員は以下の通り。"2004年"現在、中華人民共和国の行政区分は23の省(中華民国の領土で、中華人民共和国が実効支配していない台湾省を含む)、5つの自治区、4つの直轄市、及び2つの特別行政区から成り立っている。1997年にイギリス統治から返還された香港、1999年にポルトガル統治から返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。香港基本法により、中華人民共和国(中国共産党)に干渉されない高度な自治、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接かつ制限選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能である。香港の独立運動については、香港独立運動を参照。地方政府の役人(共産党員に限らず)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。特に改革開放政策開始後は、満足な補償もないままに土地を強制的に収用したり、法的根拠のない税を徴収したりすることが多い。地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は中央政府へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。また、政府高官でも汚職を行った者に対しては死刑が適用・執行されており、2000年には成克傑(元全国人民代表大会常務副委員長)が収賄罪で、2007年には鄭篠萸(元国家食品薬品監督管理局長)が収賄罪でそれぞれ死刑が執行されている。中華人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。中華人民共和国の警察などでは中華人民共和国政府(中国共産党政府)を非難する者に対しては動きが敏速ですぐに逮捕を行い、密かに拷問での自白強要を行っているとも言われている。司法も裁判所の制度も日欧米の諸外国と大きく異なっている。中華人民共和国刑法では死刑が定められており、死刑の場合は判決後数日以内と、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。反政府運動の首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。チベット解放運動家はよく処刑されていた。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルでの報告によると、パンチェン・ラマの生まれ変わりと言われた少年を政治犯として逮捕(パンチェン・ラマ11世問題)した。また同団体の報告によると、2004年で全世界で執行された死刑囚の数の9割以上(約3400人)が中華人民共和国であり、同団体に非難されている。死刑に処する罪も多く、現在もほんの一部ではあるが、凶悪犯の処刑を一般人に公開したり政府のテレビ番組内で生中継などをしていることがある。処刑方法はほとんどが銃殺刑であるが、遺体の器官移植がよく行われるため、器官に傷つけない程度で銃殺されることが多い。最近は中華民国(台湾)の死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。特に地方の人民法院の裁判官について、質に難があるという指摘がある。裁判中に裁判官が携帯電話でしゃべり出し、審議が中断されるという事例や、また、賄賂を要求することも多く、断ったら会社の設備を破壊され営業不能となった上、押収品を勝手に他者に渡す、といった事例まである。2013年8月には、の裁判官3名が集団売春した容疑で、懲戒免職処分になった事件が起こっている。また、中国の司法当局は、事件や事故の被害者数を過小に公表することが多く、中国人民も当局発表を疑うことがある。2015年12月、中国のグローバル企業である復星集団の会長で支配株主でもある郭広昌が当局から身柄拘束を拘束された。中国では党幹部や政府高官、国営企業のトップ、人権活動家、労働組合の組織者、人権派弁護士など広範囲で取り締まりが強化されており、12月下旬には、言論の自由を擁護する活動家である弁護士の浦志強が有罪判決を受けた。中華人民共和国では、報道は新華社通信、人民日報、環球時報、中国中央電視台『新聞聯播』などの報道機関が世界的に知られている。改革開放以後は新聞はタブロイド紙が爆発的に増え、テレビは地方局が多数開設された(キー局は中国中央電視台だけである)。そのため『御用報道機関』である、上記の4大報道機関の影響力は相対的に低下している。一方、新興報道機関は中小多数で熾烈な報道合戦を展開している。そのため、大衆の好奇心を刺激する論評で大衆の関心の高い事柄を報道するが、そのうち共産党・政府への批判的な報道は当局から「整頓」と呼ばれる修正を命じられることが多い。そのため、「上と下を見つつ報道」しているといわれる。中華人民共和国政府は、検閲での情報操作(一国二制度適用の香港・マカオは除く)を行っている。共産党・政府に対して、マイナスと認識した報道を規制している。反日活動における、中華人民共和国政府の関与については見解が分かれる。西側諸国においては、中華人民共和国政府が情報操作、もしくは一時的に、故意に報道管制や言論の自由を緩めることで「反日活動を事実上行わせている」との見解が多い。つまり、共産党体制批判が出来ないため、そのガス抜きとして日本を始めとする、外国に対する批判を粉っているというものである。この見解とは逆に、中華人民共和国政府が、日中関係への影響や国際的イメージの悪化を懸念し、反日活動の過激化を扱いかねているとの見解もある。いずれにせよ、検閲による情報操作は下の項目の日中間の「歴史教育問題」にも大きな影響を与えている。服役中である著名な民主活動家(著作家)である劉暁波は、2010年のノーベル平和賞の最有力候補に挙げられ、中国政府は不快感を示していた。そしてついに、中国政府はノルウェー・ノーベル賞委員会に対し、「劉暁波に授与すれば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と圧力をかけ続けていた。しかしノルウェー・ノーベル賞委員会は、圧力に屈することなく、2010年10月8日に、劉暁波に対しての授与を決めた。これは、中国国籍を有する中国人として初のノーベル賞である。また、ノーベル平和賞受賞が決まった劉暁波氏が、中国共産党一党独裁の廃止を求めて起草した「08憲章」の署名者の1人で、劉暁波氏の釈放を呼び掛けている北京映画学院教授の崔衛平が、中国公安当局に連行されていたことも明らかになり、中華人民共和国に自由は無いことを、中国の特別行政区である香港が立証している。2015年9月3日の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典において、国際刑事裁判所(ICC)から虐殺などの疑いで逮捕状が出ているスーダン大統領のオマル・アル=バシールが招待された。また、2015年の孔子平和賞に、強引な政治手法でジンバブエ経済を壊滅的な状況に導いたことで知られるジンバブエ大統領のロバート・ムガベが選出された。中国の憲法には第33条に「国家は人権を尊重し、保障する」と書き込まれている。六四天安門事件に対して、国際世論の風当たりが強まったことから2004年に付け加えられた。第37条には「公民の人身の自由は、侵犯を受けない」ともある。中国政府は「法に基づく統治」を唱えているが、実際には守られていない。中国国内では、インターネット上のウェブページで、反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い。2004年11月には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店余りを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。Yahoo!などのアメリカ企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、中華人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。しかしながら、Googleはかつて中国中央政府の"要請"で検閲に協力していたが、2009年12月にGoogleのサービスである『Gmail』が中国国内からハッキング攻撃を受けたとして、態度を急速に硬化、インターネット上での"フィルタリングサービス"を一方的に『解除』を宣言、中央政府との関係が悪くなった結果、2010年3月22日にGoogleは中国本土から"移動"し、香港にてGoogle谷歌のサーバーを"稼働"させ、中央政府支配地域から"撤退"した。こうしたネット文化の進展に伴い、中華人民共和国政府はネット規制システム「金盾」をバージョンアップさせた。傲游など検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されていると見られている。2015年7月1日、国家安全法が制定されて、ネット規制がさらに強化された。6月に大きく下落した株価対策だとの見方がある。中華人民共和国にはいくつかの分離・独立運動がある。チベットやウイグルでは、3人を超える集まりは平和的な集まりであっても罰せられる。また学校の教室にはカメラが設置され、教師が民族の言語や文化について子供たちに教えないよう監視されている。アメリカのバラク・オバマ大統領は、チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世と4回にわたって会談を行っており、2016年6月15日には中国外務省がチベットの分離独立を後押しするダライ・ラマ14世の主張に正統性を与えかねないとしてアメリカ政府を厳しく批判した。6月26日には、レディ・ガガがダライ・ラマ14世と意見交換をし、中国政府は不快感を表明した。2015年7月9日、 タイ政府が中国からの保護を求めて2014年3月に入国した300人以上のウイグル人のうち約100人を中国に強制送還したことが国際問題となった。保護を求めたウイグル人は、タイやマレーシアなどを経由してトルコへ渡ることを目指しており、国連はタイ政府の対応を非難。亡命したウイグル人が多く暮らすトルコでは、イスタンブールで抗議デモが発生した。また、米国政府は中国に対して「国際的な人権基準に基づいて適切に対応するよう求める」と牽制した。中華人民共和国憲法によれば、形式的には、国家中央軍事委員会は中国人民解放軍(現役部隊、予備役部隊)、中国人民武装警察部隊、中国民兵など全国の武力を指導するとある。しかし現実は、中国共産党の党中央軍事委員会がほぼ国家中央軍事委員会のメンバーを兼ねており、実質的には中国共産党の指導の下、軍・警察を支配しており「中国共産党傘下の軍隊」となっている。軍隊近代化のため、兵力20万人削減を、2015年9月3日の「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」で習近平が表明し、総兵力は約150万人となった。チャイナ・ネットによれば中華人民共和国には兵役制度が存在しており、選抜徴兵制と呼ばれている。青年らは何らかの形で武装警察、あるいは現役の正規軍に任務につき、任務後は民兵の任務に就くことが可能である。こうした準軍事組織は150万人の武装警察、600万人の民兵があり、削減された解放軍兵士の受け皿にもなっている。また、中華人民共和国は核兵器を保有している。ストックホルム国際平和研究所の統計によると、2008年度の中華人民共和国の軍事費は為替レートベースで849億ドルで、アメリカ合衆国に次いで世界で2位(世界シェア5.8%)であり、1999年〜2008年の10年間で194%増加した。中華人民共和国の軍事費の増加をアメリカ合衆国が非難をしており、中華人民共和国は「中国の国防は防御的なものであるし、今までの歴史に他国を侵略したこともない」と覇権目的ではないと反論している。中華人民共和国は湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争などで、アメリカ合衆国軍の軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新による軍事的成果に影響されて、軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新に力を入れている。軍備近代化を印象付ける出来事として2007年1月18日、中華人民共和国が過去に打ち上げ廃棄処分となっていた人工衛星を弾道ミサイルによって破壊する実験を行い成功した。この実験に対しアメリカ航空宇宙局は、宇宙開発への危険性は無いものの、スペースデブリが発生するこの手の実験に関する懸念を表明した。2007年2月21日には、国際連合の宇宙空間平和利用委員会で、宇宙空間での人工衛星破壊を禁止する法案が採択された。2011年までの中国国防白書には「中国は、いつ、いかなる状況下であっても、核兵器を先制的に使用しない」と核保有国で唯一核の先制不使用を表明していたが、2013年から記述が削除された。中華人民共和国の外交において特筆すべきことは、中華人民共和国政府が中華民国政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であると主張している点である。中華人民共和国は、冷戦構造の下、建国当初は完全に東側陣営に組み込まれていた(向ソ一辺倒)。しかし、1956年のスターリン批判後の中ソ対立を経て、1971年の国際連合総会に於けるアルバニア決議によって中華民国に代わって国連安保理の常任理事国となり、1972年のニクソン大統領の中国訪問と日中共同声明採択以後、アメリカ合衆国と日本を始めとする西側諸国との関係の回復を果たした。また、冷戦下における西側諸国とソ連との対立関係の微妙なバランスの中で、「中国を代表する正当な政府は、中華民国ではなく中華人民共和国である」という既成事実を西側諸国の多くに確認させる一つの中国政策も成功を収めた。1978年から始まる改革開放路線以降、経済面での資本主義諸国との関係も強め、2001年には世界貿易機関(WTO)にも加盟した。近年、APECやASEANプラス3の他、ロシア、中央アジア諸国と連携を強化し(上海協力機構、SCO)、また、東南アジア諸国とも自由貿易協定締結を合意するなど経済活動を絡めた積極的な地域外交を展開している。日本に対しては胡錦涛政権は、対日新思考を打ち出した。区分としては開発途上国に含まれるため、国際会議等で「開発途上国の代表」と表現されることがある。また、開発途上国のため日本などの先進国から長年に渡り膨大な開発援助を受けているが、一方で他のさらに貧しい国に対して、国際的影響力を確保することを目的として開発援助を行っている。急速な成長を遂げる中華人民共和国に対して、周辺諸国やアメリカは警戒感を持ち(中国脅威論)、また、人権問題や両岸問題、国境問題など、中華人民共和国の国際関係は緊張をはらむ側面もある。中華人民共和国政府は、人権抑圧国家と言われているスーダン、ミャンマー、ジンバブエ、イラン、北朝鮮などの国々との関係を深めている。中国はアメリカを最大の諜報活動の対象としているとみられ、国家安全省の他に中国共産党や中国人民解放軍、国有企業もその活動に加わることがある。米国政府の国家情報会議のジョエル・ブレナー専門官は「米国を標的として活動する140カ国ほどの諜報機関でも、中国が最も活発」と述べた。また中国のスパイ活動研究の権威として知られるデービッド・ワイズは、軍事面でも超大国を目指す中国はアメリカを追い越すために軍事機密を標的にしていると指摘し、近年ではF-35戦闘機の機密や核弾頭の軽量化技術を奪取したと述べた。また、2005年7月、中国人民解放軍の朱成虎少将は、「米国が台湾海峡での武力紛争に介入し中国を攻撃した場合、中国は対米核攻撃に踏み切る用意がある」と発言した。2015年5月、中国が南沙諸島で建設中の人工島を米偵察機が偵察したことをめぐって、両国は2001年4月に米中両軍機が南シナ海上空で衝突して以来の緊張状態となった。米政府は、スプラトリー諸島の12海里以内に米軍機を進入させる可能性を表明しており、中国外務省は「言動を慎むよう求める。私たちは関係地域に対する監視を密にし、必要に応じて適切な措置を取る」と反発した。「両岸」とは台湾海峡を挟んだ中国本土と台湾の海岸を指しており、そこから「両岸関係」は台湾を実効支配する中華民国と中華人民共和国との関係を指す言葉となっている。1946年から激化した国共内戦に勝利した中国共産党が1949年に中華人民共和国を中国に建国、同年中に国民政府は、日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に移った。それ以来、中華人民共和国は中華民国と「中国における正統政府」の座を巡って対立し、両国共に互いの統治する地域の支配権を主張して譲らなかった。そのために、中華人民共和国政府は国際連合における「中国」代表権を求めて諸外国に外交的に働きかけた他、「中華民国政府が実効統治している台湾を中華人民共和国の領土」と見なして領有権を主張し、「台湾解放」の名の元に金門島への砲撃を度々行った。その後、冷戦下におけるアメリカとソ連の間の対立や、ソ連と中華人民共和国の対立の激化などの政治バランスの変化に伴い、中華民国が国連の「中国」代表権を喪失して国際的に孤立し、中華人民共和国も改革・開放を推進するようになると、中華人民共和国政府は「一国二制度」といった統一の枠組みの提案や「三通政策」といった穏健的な統一政策を通じて両岸関係の改善を図った。1992年には両国政府関係者が「一国共識、各自表述(「一つの中国」を共通認識とするが、解釈はそれぞれが行う)」の統一原則を確認するまでに至った。だが、1990年代に入ると、中華民国では李登輝中華民国総統による政治体制の民主化が進められ、それに伴い中華民国では、中華民国とは別個の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動(台独運動)が活発化し始めた。このような動きに対し、中華人民共和国は総統選挙(1996年から実施)における台独派(泛緑連盟)候補者の当選阻止を目指して軍事演習で威嚇するなど強硬姿勢をとった。しかし、いずれの選挙においても阻止するには至らなかった。このことを教訓としてか、2005年3月14日には中華人民共和国で反国家分裂法が成立した。この法律は中華人民共和国による中華民国の武力併合に法的根拠を与えることを名目とする。こうした経緯で、今日の中華民国と中華人民共和国の関係は、台湾問題として東アジア地域の不安定要素と見る見方も一部で存在する。中華民国にも「台独」に反対する「中国派」の人々(泛藍連盟)が存在している。こうした動きにおいては、中国国民党が有力な存在である。国民党党首・連戦は、2005年4月26日〜5月3日にかけて中華人民共和国を訪問、共産党党首・胡錦濤と60年ぶりの国共首脳会談を実施した。2008年に中国国民党の馬英九が中華民国総統に選出され、中華民国で8年ぶりに国民党政権が戻ってきてからは、両岸関係は改善傾向が見られる。また、近年の中国本土の経済成長を反映して、本土と台湾の経済関係は非常に深まっている。2008年12月15日には、「三通」が実現した。2010年には台湾との間で両岸経済協力枠組協議(ECFA)が締結された。現在の日本国と中華人民共和国の外交は1972年9月29日の日中共同声明に始まる。その後両国は1978年8月12日、日中平和友好条約を締結した。日本国と中華人民共和国はサンフランシスコ条約に署名していないため日中平和友好条約が両国にとってのはじめての条約締結となる。インドとブータンを除く12カ国(ロシアなど)とは国境の画定が完了しているものの、島嶼部を巡っては中国の海洋進出に伴い領土問題を複数抱えている。国際通貨基金の統計によると、2011年の中国のGDPは7兆2981億ドルであり、アメリカに次ぐ世界第2位である。2014年はIMF・世銀・CIAによると、購買力平価換算でアメリカを超えて世界最大のGDPとなっている。一方、一人当たりのGDPは世界平均より大幅に低い5413ドルである。億万長者は568人で中流層は約1億900万人と何れも世界最多だが、1日2ドル未満で暮らす貧困層は約2億4300万人と推計されており、世界銀行によって発展途上国に分類されている。国家成立後、1970年代中半までの経済は大躍進政策の失敗や文化大革命によって立ち遅れていた。農業を志向した社会主義経済の非効率性も経済発展の障害となっていた。このため、鄧小平の主導によって1978年に「改革開放」政策が採用され、社会主義市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、人民公社の廃止と生産責任制の実施、外資導入など、経済政策の方針を、市場経済原理による資本主義体制を大幅に取り入れたものに転換した。その結果、1980年代以降の経済は、幾度かの混乱がありながらも、沿海部の経済開放地区を中心に長い成長過程に入り、経済成長を持続している。他に経済成長の著しいブラジル、ロシア、インドとともに、BRICsと呼ばれている。2010年のGDP成長率は3年ぶりに2桁増の10.3%となり、「世界第2位の経済大国」となった。産業は、製造業が盛んであり、「世界の工場」と呼ばれている。この牽引役となったのが、安い人件費、膨大な人口を背景にした潜在消費需要を当て込んだ外資の資本投入と、安い人件費を要因とした安価な製品輸出の拡大である。世界貿易機関(WTO)の発表によれば、2003年の対中直接投資は535億ドルとなり、アメリカ合衆国を抜いて実質的に世界最大の直接投資受入国となった(ルクセンブルクの特例を除く)。輸出については、日本、韓国、東南アジア諸国、アメリカなどへの輸出拡大が目覚しく、大幅な貿易黒字を記録している。このため、極度に輸出と投資に依存した経済成長を続けた結果、個人消費の割合が著しく低い、歪んだ経済となった。このことが、投資効率性低下や資源浪費、環境破壊そして過剰貯蓄を通じて貿易摩擦に繋がっている。2006年に入ってからは、個人消費による経済成長を図る方針へ転換した。しかし、2010年代に入って以降、世界中の企業からいわゆる「チャイナリスク」の存在が語られ始め、中国人従業員の賃金高騰などの要因も相まって、中国からの企業の撤退が相次いでいる。著名な例では、パーソナルコンピューター関連企業のアップル社が自社製パソコンの製造の一部を中国からアメリカへ回帰させた。2016年5月1日、中国政府は国内景気の下支えと産業高度化のため、減税規模5000億元(約8兆2000億円)超の減税を行った。1994年の税制改正後、モノには増値税、サービスには営業税を課してきたが、似た2つの税金が並立してわかりにくく、モノとサービスの境目が曖昧であるため、2012年から増値税を課する対象を広げてきていた。さらに2016年には増値税を課する対象に不動産、建設、サービスを加えて、営業税を廃止した。不動産にあっては、これまで営業税3パーセントの税率が増値税11パーセントにかわり、金融にあっては営業税5パーセントが増値税6パーセントにかわる。しかし、課税対象が売り上げから粗利(売上から仕入れを引いた額)にかわるため実質的な税負担は減額となる。これまで営業税は生産、流通、販売の各段階で売り上げに課税され、取引回数が多いほど税負担が重くなり、外部取引より社内調達の方が有利になり、分業化や専門化を妨げていた。増値税は仕入れの税負担が控除されるため、外部の専門業者による高度なサービスを利用することを促し、製造業の専門化などにつながる。原子力発電を推進しているが、作業員の質などの問題が存在する。インフラ輸出拡大を念頭に、イギリスなどとの原子力分野での協力をすすめている。パナマは台湾と外交関係があり中国とは国交がない。中国は、米国の「裏庭」ともいわれるカリブ海に出ることを念頭に、ニカラグアにパナマ運河の3倍以上である278キロメートルにも及ぶ運河建設を計画している。米国の影響下にあり、通航できる艦船の大きさに制限のあるパナマ運河を通らずに済むことは、中国にとって利益が大きく、運河建設をテコにニカラグアに対する経済的影響力を増大して、台湾と断交させることを狙っているとの指摘もある。1970年代以降から活発に長征ロケットシリーズを開発していたが、1995年には長征2号Eによる爆発事故で西昌衛星発射センター付近の地元住民6人が死亡、1996年には同発射センターより発射された長征3号B1号機が地元の町へ飛んでいき、多数が死亡するという大惨事を招いてしまった。世界のマスコミ陣にロケットを公開発射した中での事故だったために、事故発生直後にマスコミ陣を隔離し、政府が軍を派遣し5時間の間に事故現場の証拠隠滅を計ったとされている。その後の開発は順調に進み、2003年には有人宇宙船神舟5号によって楊利偉中佐を乗せ、初の有人宇宙飛行を行った。2008年の神舟7号では3人の宇宙飛行士を乗せて、ソ連、米国に続いて世界で三番目、中国としては初の宇宙空間での船外作業(飛行士1名)を行った。今後の動向として、月面探査プロジェクト「嫦娥計画」や、2020年の宇宙ステーション計画等がある。神舟7号が旧ソ連のソユーズと類似した設計が多いため、中国の宇宙開発技術はロシアから買い取った技術をベースにしていると思われるが、2006年12月26日にロシア連邦宇宙局長官アナトーリー・ペルミノフは今後は競合相手として中国への技術供与を制限していると答えており、現在中国は自力で宇宙開発技術を向上させている。日本の独立行政法人宇宙航空研究開発機構では、中国の宇宙開発を「国家の経済発展と国民の生活水準向上に貢献することを主要な目的とする実益重視型」と評価している。最大の民族集団は漢族で人口の92%を占め、その他の55の少数民族が残りの8%を占める。少数民族のなかではチワン族(1,600万人)、満族(1,000万人)、回族(900万人)、ミャオ族(800万人)、ウイグル族(700万人)、イ族(700万人)、モンゴル族(500万人)、チベット族(500万人)、プイ族(300万人)、朝鮮族(200万人)が比較的大きな民族集団である。中華人民共和国では、漢民族だけでなく、これらの中華人民共和国国内に居住する少数民族を含む全ての民族を「中華民族」と規定し、中華民族は一体であるという意味合いを持たせている。中華人民共和国の民族の分類は、中華人民共和国政府が実施する「民族識別工作」によって決定される。また、「未識別民族」も存在している。共産党政府の成立後、急激な人口増加が進んだことにより、食糧問題、エネルギー問題などが発生した。人口増加に危機感を抱いた共産党政府は、対策として1979年から一人っ子政策を実施し、出生率の統制による人口抑制を展開した結果、人口増加率は低下した。しかし一方で、戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる戸籍を持たない子供が激増したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約13億人であるが、黒孩子や盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は15億人を超えているとも言われる。また、清水美和東京新聞論説委員によると、10年ごとに行われている国勢調査では、2000年度調査は統計は13億人だったが、実際は15億人だったという。そして、2010年度調査は、2011年1月現在未発表だが、実際は17億人だったという。そこで統計は15億人として発表するのではないか、と述べている。また、急激な出産制限は全人口に占める若年層の割合を低下させた。そのため、将来少子高齢化が問題になると指摘されている。国内では、沿岸部など経済発展の著しい地域と、内陸部の発展に取り残された地域との格差が拡大しているため、沿岸の都市部に出稼ぎするために流入する農民(民工)が増えその数は2億人を超える。北京語に代表される北方語を基礎として若干の改訂を加えた普通話を標準語としている。同じ中国語であっても、呉語、粤語、閩語などの異なる言語があり、かけ離れているため、かつては北京人と広東人では会話が通じなかった。しかし、建国以来の教育および放送等の普及により、若年層には普通話を話せない者は少なくなった。更に、深圳、珠海などの経済特区では省外からの人口流入が激しく、広東語が解らない者が多数派になりつつある。なお、イギリスの植民地であった香港では、北京語と共に広東語および英語も公用語となっている。実際現在も北京語を使用するものは少なく、その上に1990年代初頭頃迄は大陸から移住したものを除いては北京語のできる者はほとんどいなかった。1997年の主権返還をきっかけに北京語熱が高まっている。また澳門では広東語のほかに、ポルトガル語も使われる。チベット、ウイグルなどの各少数民族はそれぞれの固有の言語も使用しているが公用語は北京語である。政府は少数民族の言語を尊重する姿勢を示しながら、中学校以上の高等教育は原則として少数民族の言語は使用せず、北京語のみで教育を行うことや、ウイグル人に対しては子供を漢民族地域に居住させて北京語で教育することなどにより、北京語を普及させる政策を取っている。義務教育期間は9年間で、一般に小学6年と日本の中学校に当たる初級中学(初中)3年(地域によって小学5年・初級中学4年)からなる。高等学校に当たる高級中学(高中)は3年。学年は9月に始まる。また、2006年6月から陝西省呉起県で十二年義務教育(小学校から高校三年生まで)が実施し、2007年には広東省の珠海市、深圳市でも実施しはじまった。また、2010年10月17日には福州の馬尾区をはじめとして12年義務教育を本格的に実行させ、2012年には内モンゴル自治区では12年義務教育がすでに全自治区範囲内に普及された。それ以外は陝西省のように13年義務教育を実行している地域もある。義務教育の期間は市、區によって異なっている。高等教育に関しては、2008年時点で中国の大学進学率は23%に達し、過去最高を記録した。中国の学問の中心の一つとして国内外に名を知られる国家重点大学に北京大学がある。現在では、清華大学が国内のトップ大学であるとする評価が定着しており、北京大学は2番目の位置づけとなっている。清華大学は朱鎔基前総理、胡錦濤党総書記の出身校でもあり、2万5000人の学生が理学部、工学部、文学部、法学部、経済学部、経営管理学部、芸術学部などに学ぶ。国教はなく、主な宗教は仏教、道教、イスラム教、キリスト教である。宗教信者は総計1億人余り、宗教活動場所85,000か所、宗教団体3,000余りといわれる。欧米では国民の多くは宗教信者であるが、現在の中華人民共和国の宗教信者数の1億人余りは総人口12億人に比して非常に少ない。これは中国大陸における宗教の歴史と中国共産党政府による宗教弾圧の影響が大きい。国民の大半を占める漢人は現世利益的であり、複数の宗教の良いところをそれなりに信仰する傾向がある。改革開放以降、「紅白産業」と呼ばれる「冠婚葬祭業」が飛躍的に発展した。仏教に関しては仏教の寺院が1万3000余カ所、僧と尼は約20万人といわれる。「漢民族仏教」、「チベット仏教(ラマ教)」、「南仏教(巴利語系)」の3種類がある。「漢民族仏教」の信徒数の統計はない。「チベット仏教」の信徒数は、チベット族やモンゴル族などの900万人、ラマ僧、尼僧は約12万人、活仏は1700余人、寺院は3000余カ所。「南仏教」はタイ族などの100万人、比丘、長老は1万人近く、寺院が1600余カ所といわれる。文化大革命の時期に徹底的な弾圧を受けたチベット仏教はかなり復興したとはいえ、まだ最盛期にはほど遠く寺院数は10分の1以下に激減している。また、現在も中華人民共和国政府によるチベット仏教への弾圧は続いており、僧院には、中華人民共和国当局の「工作隊」が駐在し、強制的に、僧や尼僧に政治的・宗教的信念の「愛国再教育」を行っている。1996年から1998年の間に、中華人民共和国当局による「厳打」キャンペーンにより約500名の僧尼が逮捕され、約1万人が僧籍を剥奪されたといわれる。チベット仏教のダライ・ラマ14世が活仏として認定したパンチェン・ラマ11世は認定後何日もたたない1995年5月17日、両親とともに中華人民共和国の警察に拘引され現在まで行方不明のままである(パンチェン・ラマ11世問題参照)。2007年、中華人民共和国政府は輪廻転生を続けるとされるチベットの高僧(活仏)が転生する際、政府の許可なしの転生は認めないことを決定した(国営新華社通信)。チベット地域ではボン教も広く信仰されている。ただし、現在のボン教はチベット仏教の体系を広く取り入れており、一見しただけではチベット仏教との区別がつきにくいが、マニ車を反時計回りに回すなどの相違がある。道教は漢民族固有の宗教である。信者数の統計はなく、道宮・道観(寺院)が1500余カ所、道士と道姑が2万5000余人といわれる。儒教は共産主義や毛沢東思想に真っ向から敵対するものとして文化大革命時に徹底弾圧され、熊十力などの新儒家の名士が自殺に追い込まれるなど徹底的に迫害され宗教としては事実上絶滅した。しかし、孔子生誕2555周年となった2004年以降、毎年9月28日に孔子の生誕を祝う祝典「孔子祭」が国家行事として執り行われ、『論語』を積極的に学校授業に取り入れるようになるなど儒教の再評価が進んでいる。孔子の故郷の山東省の曲阜三孔(孔府、孔廟、孔林)の古建築群はユネスコの世界遺産に登録されている。文化大革命期に破壊された儒教関連の史跡及び施設(夫子廟など)も近年になって修復作業が急ピッチで行われている。また、北京オリンピックの開会式では『論語』が取り上げられた。イスラム教は、回族、ウイグル族、カザフ族など主に少数民族の間で信仰されている。信仰者数は1,800万人、イマーム、アホン(回教布教師)が4万余人。中華人民共和国のイスラム教徒はスンニー派に属している。イスラム教も、他の宗教と同様に文化大革命時に弾圧を受けた。その後は弾圧は緩和された。キリスト教のうち、カトリック教会は1958年から、本来ローマ教皇だけに認められている主教・司祭ら、聖職者任命を中国共産党傘下の中国天主教愛国会が任命することから、中国政府の統制下にあるため、聖座(バチカン市国)との国交は断絶している。プロテスタントは、信徒は約1000万人、聖職者が1万8000人おり、教会堂が1万2000カ所、簡素な宗教活動の場所(会所)が2万5000カ所ある。中国には、上記のほか多数の地下教会信者がいるとされており、ブリタニカ国際年鑑の最新データによると、現代の中国のキリスト教徒は、当局の監督下にある国家公認教会信徒と地下教会信徒を合わせ9100-9750万人程度と記録されている。習近平政権になって以降、キリスト教への抑圧が強まっており、2016年2月には浙江省でキリスト教教会の屋根に取り付けられた十字架を強制撤去したり、撤去に抗議する信徒を相次ぎ拘束する事件が発生した。民間信仰には、民衆道教、シャーマン・シャーマニズム的信仰、アニミズム的信仰がある。また幾つかの新宗教が存在し、1999年7月には、宗教団体「法輪功」は天安門で信者の集団的焼身自殺事件を起こした。このことに対して中華人民共和国政府に「邪教」と認定され、一切の活動を禁止された。それには毛沢東、周恩来をはじめとした中国の要人と独自のパイプを持つとされる創価学会も例外ではなく、中国国内では布教をはじめとした一切の活動を禁じられている。中華人民共和国憲法には「公民は宗教信仰の自由を持つ」と規定されている。ただし、未成年者への宗教教育は禁止されており、中国共産党の指導に従わない宗教は「邪教」として、当局に弾圧される。特に文化大革命の時期には宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。チベットでは仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりしたといわれる。特に、チベット仏教、キリスト教やその「地下教会」、「法輪功」などの弾圧事件はよく報道されている(中国の人権問題も参照)。中国共産党は「三自愛国委員会」を通じて、全国の宗教団体を統制し、これらの宗教団体の「長」の任命は党の認可が必要であり、全ての宗教団体トップが、中国共産党党員である。書聖として王羲之、顔真卿、北宋の徽宗帝の名が挙げられる。漢から唐の陶淵明を代表とする「漢詩」・李白、杜甫、白居易を代表とする「唐詩」、宋の「詞」、元の「曲」、明と清の「小説」(白話小説、武侠小説など)が存在する。辛亥革命後の20世紀前半には日本に留学した経験を持ち、『故郷』、『阿Q正伝』、『狂人日記』、『藤野先生』で知られる魯迅が活躍した。また、毛沢東も『』などの漢詩を残している。対人関係に於いて「自己人」(自分の味方)、「熟人」(知り合う人)、「外人」という独特の概念が中国にあり、日本では中国人との国際結婚などでトラブルになるケースが多い。ポルノの規制は厳しく、ポルノ雑誌の類は販売されておらず、隠語を使った官能小説のみ販売している。インターネットのポルノサイトも同様で、2007年に行った反ポルノキャンペーンで44000件のサイトを取り締った。また、サイト運営者が終身刑になったケースもある。中華人民共和国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が22件、自然遺産が4件、複合遺産が4件存在する。1995年に国家プロジェクト「全民健身計画」が打ち出されたことやスポーツの多様化に伴い、スポーツ市場は数年で急激に拡大し2005年には500億ドルに、競技人口は4億人に達した。北米プロバスケットボールリーグNBAに所属する姚明の活躍を受け、特にバスケットボールの人気が高まり競技人口は3億人まで増加したと言われている。その他にはサッカー、バレーボール、卓球、バドミントン、体操、競泳、飛込競技、シンクロナイズドスイミング、トランポリン、射撃、重量挙げ、フィギュアスケート、ショートトラックスピードスケートの人気も高い。近年は国内リーグが発足されてワールド・ベースボール・クラシックにも参加している野球や熊朝忠が世界王座についたボクシングも人気が高まりつつある。2008年8月8日から8月24日にかけて北京で中国初の北京オリンピックが開催された。また、2022年には同じく北京で中国初の冬季オリンピックの開催も予定されている。(→2022年冬季オリンピック)また、これは史上初の夏・冬のオリンピックの同一都市での開催となる。

出典:wikipedia

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