『仮面ライダー』(かめんライダー)は、1971年(昭和46年)4月3日から1973年(昭和48年)2月10日まで、毎日放送・NETテレビ系列で毎週土曜19:30 - 20:00(JST)に全98話が放映された、毎日放送・東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称である。本作品の基本線は、等身大のヒーローと怪人が対決する「痛快SF怪奇アクションドラマ」である。従来の実写ヒーロー物とは一線を画した「異形」のヒーロー像と、人間ドラマとしての側面を極力抑えた勧善懲悪劇、怪奇ドラマ的な演出、そして颯爽とオートバイを駆って「ライダーキック」などのダイナミックなアクションによる格闘シーンや、多彩な動植物をモチーフとした特異でグロテスクな怪人の登場が特徴。「原作漫画」は石森章太郎が担当し、少年向け雑誌『週刊ぼくらマガジン』(のちに『週刊少年マガジン』に連載誌を変更)に漫画版を連載した。本作品の終了後にも登場人物や敵対組織、または時系列や世界観そのものを変えた多くの作品が制作されており、それぞれの番組は基本的に、主人公となる「ライダー」(=仮面ライダー)の名称をタイトルとしている。一般にこれらを仮面ライダーシリーズと呼ぶ。なお、1979年の第6作のテレビ番組名も同じく『仮面ライダー』だが、新聞や文献などでは「(新)」を番組名に付記する方法で本作品とは区別されていた。現在では同作品の主役ライダーである「スカイライダー」を番組名に付記する方法で区別されることがある。この第6作については『仮面ライダー (スカイライダー)』を参照のこと。ある日、優秀な科学者にしてオートレーサーの大学生・本郷猛は、世界征服を企てる悪の秘密結社・ショッカーに捕われてしまう。本郷の能力に着目していたショッカーは、アジトで1週間もの時間をかけ、彼をバッタの能力を持つ改造人間に改造していく。しかし、本郷は脳改造される寸前、ショッカーに協力させられていた恩師・緑川博士に助けられてアジトから脱出する。それ以降、仮面ライダーとなった本郷は、ショッカーが送り出す怪人たちを次々に倒していく。ショッカーは仮面ライダー打倒のため、フリーカメラマン・一文字隼人を仮面ライダー同様の改造人間に改造する。だが、一文字も脳改造の直前に本郷に救出され、もう1人の仮面ライダーとなる。こうして誕生した2人の仮面ライダーは日本と海外に別れ、時には共闘しながら、オートレーサーとしての師・立花藤兵衛、FBI捜査官・滝和也、自分たちに憧れる少年仮面ライダー隊などの多くの仲間たちの協力を得て、ショッカーと戦う。普通の人間に戻れなくなった悲しみを仮面の下に隠し、「人間の自由のため」に。本作品は土曜日の19時台後半で、朝日放送の『部長刑事』(関西地区)やTBSテレビの『お笑い頭の体操』(関東地区)に低視聴率を強いられていた毎日放送(MBS)テレビ営業局から編成局次長の廣瀬隆一を通じて発足間もない映画部に東映と組んでの子供番組制作が提案されたのが発端とされる。映画部長の庄野至は、東映の三由重夫から紹介を受け、1970年6月に1971年4月開始の新番組企画を東映テレビ部長の渡邊亮徳へと依頼した。渡邊は、系列の東映動画(現・東映アニメーション)で制作中だった『タイガーマスク』(読売テレビ)の人気に着目して人気要因を分析する一方で、東映テレビ部プロデューサーの平山亨や、石森章太郎のマネージャーで企画プランナーだった加藤昇も招集して度重なる打ち合わせの結果、『月光仮面』に代表される仮面ヒーロー物を企画するに至った。本作品の企画は、1970年9月ごろに平山が加藤の協力を得て作成した『マスクマンK』の企画書が第1案とされ、この企画書では「仮面のヒーローが日本征服を企むクロード黒原率いる組織・ショッカーと戦う」という大まかな筋書きが作られていた。しかし、その内容は『タイガーマスク』に言及し、「自分も仮面を被ればヒーローになれる」という児童の願望を指摘していること、主人公・九条剛が普通の体育教師で鍛錬によってヒーローの力を得ているなど、当時流行していたスポーツ根性ものの影響が強い内容であった。この企画書は、平山による「叩き台」的なもので、MBS側には提出されておらず、東映社内と石森プロ用のものだった。平山は本作品の前に『妖術武芸帳』で「謎の鉄仮面」という「仮面物」の設定を創案しており、その際に石森をアイディア協力者候補に挙げていたが、企画がTBSの橋本洋二に渡って実現しなかった。このため、平山にとっては「仮面物」であるこの『マスクマンK』は念願の設定だった。次に起草された『仮面天使(マスク・エンジェル)』が、MBSに提出された最初の企画書となる。平山が『柔道一直線』の流れで市川森一と上原正三を招き、平山とコンビの長い伊上勝との3人の脚本家体制で、設定などの企画打ち合わせに入った。ここで主人公の名が本郷猛に決まり、市川によって「恩師・緑川教授殺害の容疑をかけられた逃亡者」という設定になった。この時点でスポ根要素は薄められ、主人公は30万ボルトの高圧電流を浴びる事故で特異体質となり、人間以上の力を得るというSF的な設定が加味されたが、ヒーローのデザイン画などは起こされなかった。本郷役には千葉治郎が候補に挙がっていた。なお、上原の述懐によれば、MBSはウルトラマンのようなヒーローを期待していたが、石森がバッタをモチーフにしていたことから揉めて双方の意見は平行線をたどっていたため、市川と共に石森の援護を依頼された上原が石森のアイデアの素晴らしさを力説し、MBSを説き伏せたことで企画は通った。しかし、上原は控室で見せられた仮面ライダーの絵には正直、絶句したという。1970年9月上旬ごろ、MBS編成局次長の廣瀬隆一から「オートバイに乗るスーパーヒーロー物」という注文が追加され、『十字仮面(クロスファイヤー)』の企画に到る。ここで構想されたストーリーは、本郷を父の仇と疑うヒロインや、殺人者・本郷を追う刑事などの登場人物が配され、主人公の逃亡者としての苦悩も付加された。主人公の仮面については、怒りの感情が高まると顔に感電事故による十字形の傷跡が浮かび上がるため、それを隠すために被っているという設定が加えられている。『サイボーグ009』や『佐武と市捕物控』などの数多くのヒット作を送り出してきた石森が原作者として本格的に参加するのはこの段階からで、彼の起用は石森プロマネージャーの加藤から渡邊へ熱心な売り込みがあったためだった。10月上旬に、伊上によって執筆された検討台本「怪奇蜘蛛男」と「謎の恐怖屋敷」がMBS側で検討され、予算案とともに「題名を日本語にしてほしい」との要望が出された。10月15日に石森側が『ファイヤー十字(クロス)』『十字仮面』『クロス火面』などの題名案を提出している。10月以降になり、東映側は平山の補佐として阿部征司がプロデューサーに参加する。石森が参加した後、MBS側は「雑誌で漫画連載をしてほしい」と放送開始の条件を出した。漫画連載の実現には難航したが、平山と阿部、石森プロマネージャーの3人が『週刊少年マガジン』(講談社)の編集長だった内田勝に掛け合い、年末に了承を得た。11月上旬には主人公ヒーローである「クロスファイヤー」のデザイン画も石森によって起こされ、平山やMBS映画課長の引野芳照もクロスファイヤーのデザインに「カッコいい」と絶賛し、題名も正式に『十字仮面』に決定、11月になってMBS側は『十字仮面クロスファイヤー』の企画書を起稿した。当初は本郷役に近藤正臣、ルリ子役に島田陽子を予定していた。クロスファイヤーの検討用デザインには、十字をモチーフとしたものとライオンをモチーフとしたものが存在する。12月に入ると、企画書題名を『十字仮面 仮面ライダー』に変更。藤岡弘と森川千恵子(真樹千恵子)が本郷とルリ子役に選ばれ、藤兵衛役には高品格が予定され、放映開始は1971年4月と決定された。しかし企画がMBS側を通った矢先、同年末に市川と上原は『帰ってきたウルトラマン』をやりたいから」と願い出て急遽降板し、以後の企画や本編脚本は伊上主導で進められることとなった。市川は自らの代わりとして、同じ脚本家仲間の島田真之と滝沢真理を連れてきて、以後両人ともに本作品の主筆脚本家となっている。翌1971年1月、石森は「もっとグロテスクなリアリティのある奴にしたい」と、自身の作品の髑髏をモチーフにした仮面のヒーローである『スカルマン』(『週刊少年マガジン』1970年1月11日号に掲載)をこの企画に応用した、「仮面ライダースカルマン」のキャラクターを提案。ここで主人公が敵対する怪人と同じく改造人間であるという設定がなされ、逃亡者であることや一部のキャラクターが整理され、藤兵衛は主人公の専属トレーナーとなり、よりシンプルな物語となった。しかし、渡邊はこのキャラクターを「以前に描かれた作品じゃないか。大勝負に出るんだから、新しいキャラクターじゃないと駄目だ」と却下した。MBSテレビ営業局副部長の箱崎賞からも「モチーフが髑髏では営業上の支障がある」と注文が出され、企画はさらなる検討を求められる。これらの注文に対して石森は非常に落胆したが、50枚以上のデザイン画を描き、この中に加藤マネージャーの持ち込んだ昆虫図鑑のバッタをモチーフにした、強烈なインパクトのあるデザイン画があった。バッタの顔が「スカルマン」に共通する不気味さと髑髏に似た形であること、昆虫は「自然を破壊する悪と闘うヒーローにふさわしい」という思いもあった。石森は「子どもに聞いてみよう」と、この50枚以上のデザイン画を当時幼稚園児だった息子の小野寺丈に見せたところ、彼は即座にバッタをモチーフにしたデザイン画を選んだ。このデザイン画は平山によって渡邊に手渡され、「これだ、今度こそいける」と大喜びした渡邊は、即座にゴーサインを出している。このバッタのデザイン画をMBS東京支社に持ち込んだところ、箱崎は髑髏でなくなったことで安堵したものの、映画部長の庄野至は「バッタは握れば潰れるあのバッタですか?」と非力な昆虫をモチーフにすることに異議を唱えた。これに対し、平山は「バッタは小さいから強く見えないだけで、昆虫の跳躍能力などが人のサイズになれば強いものになりますよ」と説得した。翌日、MBS大阪本社の編成会議に出席した平山と加藤マネージャーは、「バッタ」とは伏せて「昆虫人間」としてセールス。加藤が「子どもでも描けるわかりやすさ」として黒板に仮面を描くなどした結果、最終的に承認が降りた。前述の「少年マガジン」誌連載の折衝も進められていたが、MBSの社内ではまだこのヒーローのデザインを危ぶむ声が強かった。これに対し、廣瀬は「私の息子もオートバイに乗ったバッタのヒーローを面白いと言っている。ここはひとつ、子どもの感覚に賭けてみましょう」と社内を説得した結果、番組企画は推進されることになった。「敵対組織によって改造人間にされてしまった」という設定があるため、マスクには泣いているように見えるデザインが施されている。こうして「バッタ」をモチーフにしたヒーロー番組企画は、バイクに乗って戦うバッタのヒーロー『仮面ライダーホッパーキング』と仮題されたが、「長すぎる」とのMBS側の意向により『仮面ライダー』と短縮され、2月1日からの制作決定が下された。元々、本作品は『ウルトラマン』のような「巨大ヒーローと怪獣が戦う作品」にしようという案もあったという。しかし、石森は等身大ヒーローにこだわり、敵キャラクターも人間形態としてタイツ主体で造形され、徹底して怪獣とは差別化する方向で、「怪人」と呼称された。企画立案と平行して撮影拠点の準備が進められていた。当時、東映の労使関係は泥沼化していたため、春闘による番組制作への影響が懸念され、大泉撮影所以外に撮影拠点を用意する必要があったためである。平山や斎藤頼照とともに組合問題で東映京都撮影所を追われた内田有作が所長となり、急遽神奈川県川崎市多摩区(現麻生区)に設立した東映生田スタジオでの制作が決まった。主要スタッフは、内田が制作担当を務めていた『柔道一直線』の監督・助監督・制作担当らが参加。生田スタジオをフリーランスの寄り合い所帯にはしたくないという内田の考えから制作・演出を担当する東京映像企画という会社が設立され、東映社員以外はそこへ所属する形となった。アクションも『柔道一直線』から大野剣友会が参加した。キャラクター制作と美術全般は大映特撮などを手掛けたエキスプロダクションが担当。照明班や撮影班は、経営が悪化していた大映東京撮影所のスタッフが集められ、S.Kプロ(後にプロダクション・ショットと改名)として参加した。このようにして、東映の生え抜きではない異例のスタッフ編成が行われた。6日にスタッフの顔合わせがあり、撮影に入ったのは2月7日であった。企画段階で紆余曲折を経た本作品は、番組制作が開始されても順風満帆とはいかなかった。元々貸しスタジオである東映生田スタジオには満足な撮影設備もなく、撮影用の平台が1つあるのみで、プレハブ造りのバラックの建物は雨が降ると反響音によってアフレコもできない状況だったという。こうして放送開始された当番組であるが、第1話の視聴率はキー局・NETの放送エリアである関東地区において8.1%と厳しいものであったが、MBSの放送エリアである関西地区では関東地区に比べて高視聴率をマークしており、この数字を見たMBS側は手応えを感じて「このままで参りましょう」と平山に伝えた。本作品は放送開始前、のちに多大な影響を与えることになったアクシデントが発生していた。第9話・第10話の撮影中に藤岡がオートバイで転倒して全治3 - 6か月の重傷を負い、撮影に参加できなくなったのである。このため、未完成分については、本郷の登場シーンなどを前話までの映像から流用した藤岡の姿に声優・納谷六朗(ショッカー首領役の納谷悟朗の弟)によるアフレコを挿入する、仮面ライダーの登場シーンを増やす、新キャラクター・滝和也の活躍を繋ぎ合わせるなどの措置で完成させ、急場を凌いだ。この間、方向性の再検討と新たな主役について討議された。本郷役の交替案や内容の一新など、様々な展開が検討されている。関連書籍に再録された当時の議事録によれば、MBSの局長や脚本家の「仮面ライダー1号は殺してしまってもよいのではないか」「外遊よりも殺してしまったほうが書きやすいのだが」といった意見に対し、平山亨が「子供たちのオールマイティーの夢を潰すことになり、主人公を殺してしまうのはよくない」と強硬に反対している。上記の事態を受けての討議の結果、「本郷は海外のショッカー支部との戦いに赴き、そのあとを継ぐ新しい仮面ライダーが登場する」という形での新展開が決定した。急遽新たに登場する仮面ライダー2号=一文字隼人役には、佐々木剛が選ばれた。佐々木は出演依頼を受けた当初、劇団NLTで同期だった藤岡の役を奪うことになると難色を示していたが、「藤岡が復帰するまでの代役」という条件で引き受けた。また、この主役交代を機にそれまでの番組上の問題点を修正し、刷新することになった。脚を開いて両腕を大きく動かしながら「変身!!」と掛け声を叫ぶ変身ポーズは、当時の佐々木が自動二輪の免許を持っていなかったことから、藤岡のように「バイクで加速しながら変身」が不能となったための苦肉の策という面もあった。しかし、この変身ポーズは子供たちの間で大流行となり、「変身ブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こした(このような変身時のアクションは、のちの仮面ライダーシリーズや他の変身ヒーロー・ヒロインものでも重要なシーンとして受け継がれた)。そのほか、地方ロケによる舞台の拡充や大幹部の投入によるショッカー側の強化などが行われ、番組の人気も上昇していった。毎日放送が担当する関西地区でも視聴率は20%台を維持し、第3クール以降の継続はスムーズに決定した。同時期に『宇宙猿人ゴリ』や『帰ってきたウルトラマン』などの巨大ヒーロー番組が多かったせいか、「仮面ライダー2号は巨大化させよう」という案も出たものの、「等身大」のヒーローと怪人を貫いた本作品は、平山が企画書で強調した「現実的」とのセールスポイントがのちに的中することになる。7月に退院して3か月間リハビリに励んでいた藤岡が、自ら庄野に復帰を申し出てきた。これがきっかけで藤岡の復帰が決定したが、佐々木を代役に据えたことで予想以上の大人気を博していたため、第4クールでは「1号ライダー」がゲスト出演する「ダブルライダー編」がイベント的に挿入された。藤岡の復帰を祝い、復帰作である第40話・第41話は、正月のビッグイベントとして阿部の計らいで九州の桜島・えびの高原でのロケとなった。撮影は藤岡の回復を待って9月から一文字単独回が先に行われ、11月から年末にかけてダブルライダー編と劇場版の撮影が行われた。ダブルライダー編により第4クールは好評を博し、毎日放送と東映はこのままダブルライダーの定着を考えていたが、佐々木が「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは、彼が付録のようになってしまう」と頑なに固辞し、第5クールから再び藤岡の単独主演で番組を継続することになった。2号編最後の撮影となった第46話での草津ロケは、佐々木やスタッフに対する慰労も兼ねたものであった。そして、藤岡の傷が完治した後の第52話で「一文字が南米のショッカー勢力を追って旅立った」という設定のもと、本郷が変身する新1号ライダーが第53話で主役に復帰した。この際に外観を一新し、「ライダー、変身!」と名乗る新しい変身ポーズが追加された。また、旧1号編の本郷が常にダブルのブレザー姿の「科学者然」としたスタイルだったのに対し、復帰した本郷は一文字のような明るさや男性的な野性味を増し、デザインジャケットの上下や革ジャンにジーンズなど、ファッションも多彩になった(その多くは藤岡の私物だった)。それに加え、事故前はバイクヘルメットの着用義務がなかったために本郷はノーヘルスタイルだったが、1972年に道路交通法が改正されて「時速40kmを越える道路」での着用が義務化されたため、復帰後にはヘルメットを常用するようになった。変身ブームの真っ只中となった『新1号編』では、人気を維持すべくさまざまな強化策が検討された。視聴率が低下気味となる夏場には新サイクロン号の登場を皮切りに、六甲ロケ編、紀伊ロケ編での仮面ライダー2号の再登場などのイベント編が盛り込まれ、番組後半では掲載雑誌『テレビマガジン』と連動した少年仮面ライダー隊の結成、ショッカーに代わり敵対する新組織ゲルショッカーの出現、仮面ライダー3号の誕生という3つの強化策が掲げられた。このうち仮面ライダー3号は本作品内では登場せず、次作『仮面ライダーV3』へと発展していった。社会現象「変身ブーム」の発生源として、マスコミの注目を浴びる番組となった。2016年現在、全仮面ライダーシリーズで最長の期間にわたって放送された作品である。第1話の放送の関東での視聴率は8.1%だったが、関西では20.5%を記録。事故による主役俳優の交代を機に行われた種々の強化策によって、着実に視聴率を伸ばしていった。9月末ごろには平均して関東でも15%、関西では20%の視聴率を超えるようになった。全98話の平均視聴率は関東が21.2%、関西が25.9%、最高視聴率は関東が30.1%(1972年1月8日放送)、関西が35.5%(1973年2月10日放送。ビデオリサーチ調べによる)。「仮面ライダースナック」(カルビー製菓)の付録である「仮面ライダーカード」、「ドレミサイクロン」(ブリヂストン自転車)、「仮面ライダー変身ベルト」(タカトクトイス、ポピー / 現バンダイ・ボーイズトイ事業部)といったキャラクター商品も大ヒットし、その商品化権料は12億円に達した。それ以前のヒットキャラクターである『鉄腕アトム』、『オバケのQ太郎』、『ウルトラマン』などの商品化権料を凌駕し、当時の過去最高のキャラクターになった。カード欲しさに買った菓子本体を捨てる事象は社会問題となったが、仮面ライダースナックは後年に再発売されている。講談社では、本作品を特集した幼児向け雑誌『たのしい幼稚園』が販売部数を上げたことから、『仮面ライダー』を中心とした児童向けテレビ雑誌『テレビマガジン』を創刊した。その後、秋田書店の『冒険王』や黒崎出版の『テレビランド』など追随する競合誌も現れ、一大ジャンルを築いていった。子供向け商品以外にも、JALの海外旅行ツアーやトヨタ自動車の新型車発表会など、ファミリー層向けの販売戦略にも『仮面ライダー』が起用された。番組終了から40年以上経過してもなお、CM出演、ヒーローショー、テレビゲーム化、パチンコ・パチスロ台の登場など、人気と知名度は継続している。『決定!これが日本のベスト100』(テレビ朝日)の2002年9月8日放送分「あなたが選んだ日本のヒーローベスト100」では、第4位にランクインしている。仮面ライダーは、のちの東映特撮ヒーローの基本となった。一方、平成仮面ライダーシリーズを手掛けた白倉伸一郎は「『仮面ライダー』という従来の作品のやり方だと、たとえ正義のためにおこなっても『虐め』になっていく危険性があるため悪を倒すこと(を描くこと)はできない」と評している。。藤岡と同じ事務所に所属していた島田陽子も「一緒に使ってくれ」と言われて起用したが、。ルリ子役の真樹千恵子、藤兵衛役の小林昭二、大野剣友会の起用は平山によるものである。平山によると『ウルトラマン』から『キャプテンウルトラ』へのTBSの番組引き継ぎ催事で、ムラマツキャップ役の小林と知り合い、若い俳優たちに対する配慮やその人格に惚れ込んで、今回の起用となったという。真樹は、出演したエメロンシャンプー(ライオン)のCMを平山が観て清楚なイメージに惚れ込み、起用された。滝役の千葉治郎は阿部と内田で決めたという。千葉を仮面ライダー2号として出演させる案も存在したが、兄の千葉真一が難色を示し、実現には至らなかった。そのほか、「ライダーガールズ」の面々の起用は、すべて阿部による。このうち山本リンダは既に歌手として活動しており知名度もあったが、所属事務所を移籍するために歌の仕事を控えていたためオファーが快諾されたという。山本以降、高見エミリー・ミミーらハーフやクォーターの女性が必ず起用されているが、阿部は「特に意識はしておらず、キャストのバランスから自然とそうなったのかもしれない」としている。五郎役の三浦康晴は、ゲストの林寛子と併せ、阿部が懇意だった養成所からの起用。ショッカー側の怪人の声がテアトル・エコー所属俳優に統一されていたのは、阿部が以前担当した映画『ガンマー第3号 宇宙大作戦』からの繋がりだった。所属声優の1人である沢りつおは、普通の俳優では怪人役を引き受けないため、喜劇専門のテアトル・エコーに声がかかったと述べている。アクションは『柔道一直線』からの流れで大野剣友会が担当した。殺陣師は同作品に引き続き高橋一俊が務めたが、後半は負傷した高橋の代役を経て岡田勝が担当した。第1話は『柔道一直線』の撮影が残っていた高橋に代わり、大野剣友会主宰の大野幸太郎が殺陣をつけた。仮面ライダーのスーツアクターは、当初は専門的なアクションを除き藤岡弘自身が務めていたが、藤岡の負傷降板後は岡田勝が主に担当した。続く2号編では岡田と中村文弥が中心となって2号を演じた。新1号編では、中屋敷鉄也が新1号を演じたが、中屋敷が『超人バロム・1』へ異動した後は大杉雄太郎が起用された。バイクスタントはカースタントチームの室町レーシングが担当した。当初は同チーム代表の室町健三が仮面ライダーのスタントを務める予定であったが、オープニング映像のみ参加した後、多忙のため大橋春雄に交代した。大橋は1年目終了まで担当したが、2年目はメインスタントマンが明らかになっておらず、室町レーシングのスタッフが交替で担当していたとされる。バイクの運転に長けていたことからメイクの小山英夫が手伝うこともあった。監督・助監督は『柔道一直線』から多く参加し、撮影・照明は大映出身者が担当したが、当初は東映と大映の撮影方法の違いから衝突が多かった。東映では殺陣を移動しながら撮影したり、カット割りが多いなどの特徴があったが、大映ではカメラを固定しながらの撮影や時間をかけて長い1カットを撮影することを得意としており、大映で撮影監督を務めていた山本修右はカメラを動かす指示に憤慨したという。また東映では照明は画面に映るものすべてを照らし、暗いシーンでもスターの表情をはっきり見せるという方向性であったが、大映出身の太田耕治は大映では雰囲気優先であったことや照明を用意する予算が不足していたことなどから人物だけに照明を当てるという方法をとった。夜間シーンも太田の意向により「ツブシ」と呼ばれるブルーのフィルターを用いて昼間に撮影する手法は可能な限り用いず、夜間に撮影を行っている。こうした太田の照明は結果的に怪奇性を醸し出すことに成功するなど、従来の東映作品とは異なる雰囲気の作風となり、本作品の人気に繋がる要因になったとされる。パイロット版である第1話と第3話は当時『キイハンター』を担当していた竹本弘一が監督を務めた。生田スタジオ所長の内田有作は、当時ヒットしていた『キイハンター』で活躍していた竹本を起用することで、毎日放送へ東映の本気度をアピールする意図もあったと述べている。第3クールから参加した田口勝彦は、番組初期から東映生田スタジオ所長の内田有作に呼びかけられていたが、宣弘社制作の『ガッツジュン』へ参加していたため、当初は山崎久名義で脚本を担当した。監督がほぼローテーションであったのに対し、脚本家は30人近い人数が参加した。メインライターの伊上勝は、『仮面の忍者 赤影』や『ジャイアントロボ』など平山亨のプロデュース作品でメインライターを歴任しており、本作品でも企画段階から参加していた。伊上は重要話数を中心に全体の1/3以上を担当したが、後半では『超人バロム・1』や『変身忍者 嵐』なども兼任していたため多忙になり、多数の脚本家が参加する要因になった。プロデューサーの阿部征司は多忙になるにつれ執筆も遅れるようになったと証言している。本作品では、人物や事象の説明にそれまでの伊上の作品よりもリアリティを感じさせる形容を用いるようになった。これについてライターの赤星政尚は、『妖術武芸帳』の失敗と石ノ森章太郎の存在が影響したものと考察している。島田真之は参加した時点では経験が浅く、初担当した第4話は当初は島田が執筆したが、阿部が使い物にならないと判断し、師匠に当たる市川に執筆を指示した。女性脚本家の滝沢真理は、初担当した第8話を筆頭に女性怪人や女性が被害者となる回を担当することが多かった。第70話の脚本を担当した桶谷五郎は、後にテレビ朝日ドラマ部部長を務める関口恭司の変名である。本作品の脚本で完全なNGになった作品はほとんどない。阿部は、NGになった場合でも脚本家への執筆料は支払わなければならないため、毎日放送側から面白くないと言われた脚本でも良い所を伸ばせば成立するとして、ほとんど採用していたことを証言している。美術・造形は、造形会社「エキスプロダクション」が全面担当した。東映生田スタジオ所長の内田有作が映像美術の重鎮である大映の間野重雄に同社を紹介され、代表取締役の八木正夫は海外作品の仕事が一段落した時期であったことからこの仕事を引き受けた。準備段階ではエキスプロ役員であった三上陸男を中心に、同社造形チーフの藤崎幸雄と大映の矢野友久らが参加し、三上がサイクロン号のデザインやショッカーアジトのセットと怪人の造形など、藤崎が仮面ライダーの造形、矢野がスナックアミーゴのセットをそれぞれ担当した。立ち上げ作業を終えると三上は『魔神ガロン』への参加などのために現場を離れ、旧知の高橋章に後を託した。高橋は助手として八木功を呼び、以後の美術を担当した。高橋らが東映生田スタジオに常駐し、セットのデザインや衣装の補修も合わせ、すべてをこなしている。怪人のデザインは初期の蜘蛛男・蝙蝠男・さそり男は石森章太郎によるデザインが用意されたが、さそり男は三上により造形用デザインに直され、第4話のサラセニアン以降のデザインは高橋による。三上が造形を手掛けた初期3体は型抜きで作られたが、映画と同様のこの手法では時間がかかるため、以降はタイツに直付けする方法に変更された。後に平山が著した『泣き虫プロデューサーの遺言状』(講談社)によると、MBS側から東映に支払われる制作費は1話につき400万円で、美術予算が足りず、苦肉の策として機械パネルのイメージを予定していたショッカーのアジト内は、エキスプロの高橋章が描くおどろおどろしい模様を描いたものとなった。同プロの三上陸男は、「おかげで生物感のある不気味なものになった」とコメントしている。第1話 - 第79話に登場した、世界征服を企む謎の国際的秘密組織。メンバーは知力体力に優れた人間に改造手術を施し洗脳した怪人を中心に構成されており、その怪人たちを正体不明の首領が操って様々な犯罪や破壊工作を行っている。第80話 - 第98話に登場した、世界征服を企む謎の国際的秘密組織。暗黒組織・ゲルダム団と自身の組織ショッカーを合併・再編成した新組織。ショッカーによって改造された戦闘用改造人間。2人とも脳改造を免れてショッカーのアジトから脱出し、人間の自由を守るためにショッカーと戦った。第40話以降、2人の仮面ライダーが共演するエピソードでは、本郷の変身するライダーを仮面ライダー1号、一文字の変身するライダーを仮面ライダー2号と区別して呼ばれるようになったが、本作品の劇中での呼称とクレジットは仮面ライダーで統一されている。なお、2人の仮面ライダーは互いを「本郷」「一文字」と本名で呼び合っていた。基本スペックは両者とも同一であるが、1号は多彩な必殺技、2号は高い格闘能力と破壊力をそれぞれ持つことから、雑誌展開などでは「技の1号・力の2号」と称された。ライダーの特徴として、その名の通り高性能の専用オートバイを使用することが挙げられる。※参考文献:『仮面ライダー大図鑑(1・2)』(バンダイ・1991年)、『仮面ライダー大全』(双葉社・2000年)カッコ内は登場話数。文中の企画の変遷、経緯はおもにこの文献による。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。