山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。和歌山工高では投手として活躍し、高校3年時の夏には和歌山予選1回戦で前年度夏の甲子園優勝校の智辯和歌山高校と対戦。投打に活躍を見せ武内晋一が主将を務めていた同校を1回戦敗退に追い込む。2回戦の県立和歌山商高戦では2本塁打を放ち勝利するが、3回戦の日高高戦で0-5で敗退する。通算21本塁打。またエースで4番でありながら高校通算60盗塁以上を走る俊足と走塁センスをもっていた。2001年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープに打力を見込まれて野手として7巡目指名を受け入団した。二軍では毎年60試合以上に出場して主力選手として活躍。足と肩があり内野・外野経験もあるため、プロ入り後は守備位置が固定される事はなく、捕手以外のすべてのポジションを経験している。2004年二軍でチームの投手が足りなくなったためマウンドに上がったこともあり、1イニング3打数0安打1四球と無難にこなした。2005年二軍で74試合に出場、打率.256 5HR 15盗塁(盗塁死3)と俊足を活かし盗塁で貢献した。ファースト13試合、セカンド1試合、サード15試合、ショート17試合、外野39試合を守った。2006年は二軍で64試合に出場し、ウェスタン・リーグ3位の打率.292、 6HR 5盗塁 16二塁打の好成績を残した。このことが認められ、7月17日にプロ5年目にして初の一軍出場を果たした。パンチ力があるため二軍では3番・5番など中軸を任せられる事が多くなってきた。一軍では少ない出場試合数ながらファースト・セカンド・サードの3ポジションを守った。2007年は二軍で76試合に出場し打率.256、3本塁打と打撃面では前年より下降したが、赤松真人(阪神)の26盗塁に次ぐ15盗塁(盗塁死2)はウェスタン・リーグ2位と自慢の機動力の成長を見せた。また、守備でもさまざまな守備位置で起用されてユーティリティーぶりを発揮し、合計で5失策と各ポジションでそれなりに安定した守備を見せた。一軍出場は前年を下回る4試合に留まった。2007年秋季キャンプにて、若手野手の中で最も力強く鋭い打球を放っており、その元気の良さを買われマーティ・ブラウン監督からFA移籍した新井貴浩の後任として名前を挙げられた。2008年は二軍で70試合に出場し、自己最多タイの6本塁打を記録するが、打率は.257と前年と余り変わらず、新加入の野手の台頭もあって一軍出場はなかった。2009年は春季キャンプから1軍のメンバーに入り、ブラウン監督の目を引いた。オープン戦も好調を維持し、自身初の開幕1軍の切符を獲得するも、2試合出場した後二軍落ちし、その後は一軍への昇格は無かった。2010年は前半戦は1軍の機会がなかったものの、オールスター戦前に栗原健太の故障を機に一軍に昇格し、8月5日の対横浜戦ではプロ入り初の適時打を放った。自己最多の39試合に出場。代打、代走だけでなく一塁、二塁、三塁、外野と多くの守備位置を守り、一軍での経験を積んだ。2012年は1軍の出場機会がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。プロ3年目の2004年にはウエスタンリーグで投手として1試合のみ登板しており、内野手登録ながら、球団から打撃投手としての契約を打診された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。