


盛田 剛平(もりた こうへい、1976年7月13日 - )は、愛知県名古屋市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード及びディフェンダー。駒澤大学卒業。Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府所属。小学校2年次からサッカーを始める。高校は桐蔭学園に越境入学、李国秀から指導を受けた。高校1年次には恵まれた体格と左利きから左サイドバックをしていたが、高校2年のときにFWにコンバートされる。その後、駒澤大学に入学すると1年次から主力として活躍、1995年および1997年の全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献、大学3年次にはユニバーシアード代表、大学ナンバー1ストライカーとして注目された。大学3年次にあるJリーグチームからオファーを受けるも、教員資格取得のため中退せず、4年間通う。その後、地元の名古屋、浦和、磐田、横浜M、V川崎、清水の6クラブが獲得に動く。1999年、浦和に鳴り物入りで入団。原博実監督によってレギュラーに抜擢されるもなかなか結果を出せなかった。その後2001年セレッソ大阪、同年途中から川崎フロンターレと移籍するも、FWとして結果が残せずレギュラーに定着しなかった。2002年から大宮アルディージャに移籍、清雲栄純監督の薦めで左サイドのアタッカーにコンバートされ一時はレギュラーを獲得した。2004年シーズン途中に、チアゴの怪我により高さのあるFWを必要としていたサンフレッチェ広島に期限付き移籍する。一時はレギュラーとして活躍し、翌2005年に広島に完全移籍する。同年、チームは佐藤寿人とガウボンを獲得、前田俊介の台頭により、出場機会が激減しベンチ外の日々が続いた。同年末、契約時にDFへのコンバートを志願する。クラブ側も以前からその構想があったこともあり彼の提案を受け入れ契約延長した。これがハマり、望月一頼に監督が代わってから重用され始め、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督になってからは当初ベンチメンバーであったが、ダリオ・ダバツの負傷により出場機会を得ると信用を得てレギュラーになる。2008年以降槙野智章や森脇良太の台頭によりレギュラーから外れているが、高さのある貴重なDFとして重宝された。2010年シーズン開幕直前に右足第五中足骨を骨折、手術するも回復せず同年8月に再手術をし、結果キャリア初となる試合出場ゼロに終わる。2011年、槙野の移籍および水本裕貴の負傷離脱に伴い一時はレギュラーに復帰していた。同年末、広島から構想外およびフロント入りを打診されていたが引退せず現役にこだわった。2012年、J2・ヴァンフォーレ甲府に完全移籍した。この年は25試合に出場し、津田琢磨とのコンビで24試合連続無敗記録の達成を支えた。2013年は先発出場の機会が減少し10試合の出場にとどまり、2013年12月4日に一度はチームから同年限りでの契約満了が発表されたが、同月27日に甲府との再契約が発表された。2014年は純粋なセンターフォワードが少ないチーム事情から、8年ぶりにFWへ再コンバート。3月15日の第3節・新潟戦で自身3年ぶり、FWとしては2004年以来10年ぶりとなる得点を挙げた。以降も1年を通じてFWとしてプレー。29試合に出場し、38歳にしてキャリアハイとなるチーム最多の5得点を挙げた。2015年より、登録ポジションも正式にFWへ変更。元々は身体能力の高いセンターフォワードとして名を馳せ、2003年ごろは左サイドアタッカー、2006年以降はセンターバック、更に2014年以降は再びセンターフォワードと、プロ入りしてから何度も大きなコンバートを経験している。DFとして、体格を生かしたハイボールの競り合いには圧倒的な強さを誇り、堅実な守備をこなす。また足元の技術にも長け、長い脚を活かしたボールキープや左足からの正確なロングフィードも得意とし、CBからの緻密なボールの繋ぎを要求されるペトロヴィッチ監督のサッカーにも早期に順応した。試合をリードしている状況で守備固めに入ることから「クローザー」とも称される。盛田をFWからDFへのコンバートに導いた小野剛曰く、「目の前のテーブルにご馳走があったら、盛田は自分よりもまずみんなに食べないかと薦めるタイプ。そしてそれは性格的にDFに向いている。」。ミハイロ・ペトロヴィッチはFW時代の盛田のプレーを知らないこともあり、「FWをやっていたとは信じられない。彼は生まれながらのディフェンダーだ。」とコメントしている。ラーメンが大好物であり、全国を旅行してのラーメン食べ歩きを趣味とする。趣味が高じて自身で調理することにも興味を持つようになり、2006年にはJリーグキャリアサポートセンターが実施しているインターンシップ体験において、ラーメン店「谷やんラーメン」(東京都台東区)にてインターンシップを行った。過去にインターンシップで飲食店で働いた選手は多くいるが、厨房に入って調理を行ったのは盛田が初めてだった。過去に2チームで自らが考案・調理したラーメンを発売している。1度目は広島において2008年と2010年広島ファン感謝デーで「油そば」を出店、2度目は甲府において2014年雑誌連載・地元イベントでのラーメン企画で「汁なし担担麺」の出店を行っている。169||8||39||4||16||1||224||13115||8||1||0||17||8||133||16colspan="2"|-||colspan="2"|-||7||6||7||6284||16||40||4||40||15||364||35その他の公式戦|2010||広島||19||0||0!通算!!colspan="2"|AFC
出典:wikipedia
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