ジョイス(Joyce Silveira Moreno、1948年1月31日 - )は、ブラジルの女性シンガーソングライター。1980年代初頭にオデオン・レコードに録音を残してから、大手レーベルから受ける束縛を嫌ってインディーズ・レーベルを選んでいる。しかし、最近ではイギリス、日本(オーマガトキなど)に様々なリーダー作を発表している。「ボサノヴァ第二世代」と呼ばれ、過去には祖国(ブラジル)の大先輩ホベルト・メネスカルと公演し、新旧に変わりないブラジル音楽の命脈を描き出してみせた。さらに、1985年の初来日以来、この10年間は毎年夏に来日公演を行い、夏のブルー・ノート公演には毎年さまざまなゲスト歌手・演奏家を迎え、パフォーマンスを提供している。自著に「フォトグラフェイ・ヴォセ・ナ・ミーニャ・ローリーフレックス(1997年)」がある。娘のクララ・モレーノとアナ・マルチンスも歌手として活動している。1948年にリオデジャネイロ州で生まれる。彼女のキャリアは早熟で、15歳でサンバカーナというヴォーカル・グループに参加し歌手としての初レコーディングを行った。1967年、リオのソング・フィスティバルで自作の曲「ミ・ヂゼーラン」を携えて出場。しかし、曲の歌詞が当時のブラジル社会には受け入れられなかった(ちなみに、この年の同じフェスティバルに出場し喝采を浴びたのがミルトン・ナシメント)。1968年(20歳)で、ファースト・アルバムを発表。この頃のジョイスは、大学に通いながら新聞記者もしていたという。1969年にもアルバムを発表。ミナスジェライスのベロ・オリゾンチで開かれたソング・フェスティバルで、トニーニョ・オルタとの共作「ヤラ・ベーラ」でエントリー、5位入賞。大学卒業後の1970年には、タンバ・トリオのメンバーであったルイス・エサ率いるグループ「サグラダ・ファミリア」に参加、メキシコに2ヶ月滞在。同年、ギタリストのネルソン・アンジェロと結婚。1971年にかけてはネルソン・アンジェロ等と「トリーボ」というグループを組むなど、精力的に活動していた。タンバ・トリオのメンバーであったルイス・エサ率いるグループ「サグラダ・ファミリア」に参加、メキシコに2ヶ月滞在。ジョアン・ジルベルトと初めて会ったのもこのメキシコ滞在中だった。ネルソンとの結婚で、アナ、クララという2人の子供が生まれ、出産と子育てのために一時活動を休止。ジョイス本人いわく、「家でサムライに仕えるゲイシャのような生活」を送っていたという。1975年に活動を再開。ネルソンと離婚、トゥッチ・モレーノと結婚。同年、詩人のヴィニシウス・ヂ・モライスに誘われ、1976年まで南米~ヨーロッパ・ツアーに参加。1976年、イタリアで、アルバム「パッサリーニョ・ウルバーノ」製作。この頃から、活動は再びトップ・ギアに入る。1977年から1978年にかけてニューヨークでレコーディングを行う(未発表)。また、1979年には2番目の夫であるトゥッチ・モレーノとの間に子供も生まれるなど、公私共に充実していたようだ。同年には、ジョイスが作曲した「或る女」がエリス・レジーナに取り上げられ、コンポーザーとしても注目を浴びる。1980年には、11年ぶりの純リーダー作である「フェミニーナ」を、翌年には「水と光」をオデオン・レコードに残す。「フェミニーナ」に収録されていた「クラレアーナ」はブラジル国内でもヒット。この作品はブラジル音楽史にとって、エポック・メイキングな作品である。1990年代に入るとアメリカのフュージョン・レーベル、ヴァーヴ・フォアキャストから『ミュージック・インサイド』や『ランゲージ・アンド・ラヴ』などのジャズ・フュージョン・タイプのアルバムを出す一方で、欧米のクラブにも出演し絶賛を集めた。中でも、ブラジル音楽ブームが燃えさかるロンドンでは牽引車的存在に。さらに、5ヵ国語に堪能な異才で、ヨーロッパ諸国にも鮮やかな足跡を刻み、1994年に音楽生活25周年を迎えた。その記念作品『友と再び』には、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、ワンダ・サーらの郷友が参加。これで波に乗ると、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた『イーリャ・ブラジル』を1996年に発表。1998年の『宇宙飛行士』では、ドリ・カイミのほかジョー・ロヴァーノやマルグリュー・ミラーら実力派ジャズ・ミュージシャンをバックにエリス・レジーナゆかりの佳曲を取り上げ、第二世代ならではのオーセンティックを開拓してきた。また、1991年にブルーノート東京に初出演して以来、自身の音楽を打ち出す一方で母国の誇るスターを紹介するナビゲーターとしても尽力。そこで2003年になると郷友たちとコラボレートした『ボッサ・デュエッツ』をリリース。また、長女クララと次女アナの押し出しにも熱を上げてきた。2005年は、ドリ・カイミと初めて本格的に向き合ったフル・アルバム『リオ-バイーア』もリリースするなど、現在もブラジル音楽の第一人者として活躍している。
出典:wikipedia
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