バダフシャーン州("Badakhshān Velāyat"、パシュトー語:"د بدخشان ولايت"、ダリー語表記:"استان بدخشان")は、アフガニスタン北東部の州である。面積は4万4836平方キロメートル(34州中5位)、総人口は約90万人(34州中10位)、人口密度は20人/平方キロ(34州中28位)である。州都はファイザーバード市。バダクシャン州やバダクシャン県とも。バダフシャーン州からタジキスタンの南西部にかけての一帯は、かつてバダフシャーンと呼ばれていた。またファイザーバードの前に首都があったBaharakによるという説がある。バダフシャーン州はパミール高原の外縁やヒンドゥークシュ山脈の山中に位置する州である。標高5000メートルを越えるパミール高原の南縁のワハーン回廊から西へ流れ出たパンジ川は、途中で北へ大きく向きを変えて高原と外縁を東西に分ける。バダフシャーン州の北部はパンジ川に沿って逆U字型をしており、シバ湖(Shiva)の近くの東端の町シグナーン(Shighnan)、東から来たパミール・ハイウェイがパンジ川と別れる北端の町Nusai(Darwaz、ダルワーズ)、タジキスタンのクリャーブからアクセスしやすい西端の町クワハーン(Khwahan)などが比較的大きな町である。シグナーンやダルワーズの山は万年雪に覆われているが、山脈は西へ行くに従って標高を落としていく。一方、パミール高原のすぐ南にはヒンドゥークシュ山脈があり、山(6812メートル)のような険しい高山が西へ向かって続いている。州の南部のクラン・ワ・ムンジャン郡の辺りの標高5000メートルを越える山脈からはが流れ出し、州の中央を北へ向かって流れていく。その後コクチャ川はジュルム(Jurm)やバハーラク(Baharak)の辺りで西に向きを変えて、州都ファイザバードの辺りを頂点とした逆U字型で流れ、キシム(Kishim)の町がある比較的大きな盆地に出る。Kishimから西に進むとタハール州の州都タールカーン、コクチャ川に沿って北西に進むとパンジ川に達する。古代のインダス文明はメソポアミア・ハラッパー路を通じて、金などの貴金属や木材をメソポタミア文明に輸出していた。ガンダーラの首都はパキスタンのタキシラにあり、ジャララバードから沿いの渓谷をチトラルまで登ってバダフシャーン州のに至り、川沿いの渓谷を下ってタハール州に入りパンジ川に達する古道は、ヒンドゥークシュ山脈を越えてアムダリヤ川に達する重要な街道の1つだった。またこの街道沿いにはラピスラズリを産出するがあり、メソポタミア文明に対する重要な輸出品の1つとなっていた。13世紀後半、中国に向かう途中のマルコ・ポーロがバダフシャーン州を訪れた。その頃のバダフシャーンは巴達哈傷と呼ばれており、タジキスタンのゴルノ・バダフシャン自治州と合わせて4面12行程の広大な王国があったと言う。住民は独自の言語を持ち、獣皮の服を着て羊を飼っていた。王はアレクサンダー大王とダリウス王の娘の子孫であり、「ズルカーネイン」の称号を名乗って居たと言う。街は防御に適した高地にあり、寒さは厳しいものの頂上部の広大な台地には草木が生い茂り、水や魚や鳥が豊富で良質な小麦が採れ、良馬を産出し、かつてはブケパロスの子孫が居たという伝説もあった。その他に碧玉や群青、銀・銅・鉛なども産出し、特にバラス紅玉(Badakhshi Ruby)は国王が独占的に採掘していた。空気が綺麗で硫黄泉もあったので、マルコポーロは1年間滞在して病気を治したと言う。1979年には、ムジャーヒディーンと侵攻したソ連軍の交戦の中心となった。1980年、ファイザーバードはソ連軍によって攻略され、以降ソ連の主要な防衛拠点となった。バダフシャーン州はの幹部のブルハーヌッディーン・ラッバーニーの出身地であり、アフマド・シャー・マスードの出身地にも隣接していた為、イスラム協会の拠点の1つだった。ラッバーニーは1993年にカーブルでアフガニスタン・イスラーム国の大統領に就任したが、すぐに内戦が始まった。1996年にターリバーンはカーブルを占領し、1997年から1998年にかけて近隣のクンドゥーズ州やバルフ州、バグラーン州の州都を次々と占領した。バダフシャーン州でもイスラム聖職者の反乱が起きたので、ラッバーニーはタジキスタンに亡命した。1998年の2月と5月にはとの地震が発生し、バダフシャーン州やタハール州を中心に数千人の住民が死亡した。バダフシャーン州ではその後も2002年から2011年までの約10年間で、3回の中規模地震と1回の大規模地震が発生している。無人の山中で地震が発生し被害が無い事も多いが、2002年3月のアフガニスタン北部地震(Mw7.4)ではバダフシャーン州やタハール州で300戸の住宅が被害を被った。2001年9月、アメリカ同時多発テロ事件が起き、10月にはアメリカ合衆国がアフガニスタンに侵攻した。アメリカや有志連合、北部同盟の軍隊は、11月中にアフガニスタン北部からターリバーンを追放した。2004年10月、第一回の大統領選挙が実施され、バダフシャーン州ではユーヌス・カーヌーニー(約40%)が最多得票を得た。2007年、戦争は激しさを増しバダフシャーン州ではが行われた。一方、全国的には自爆テロや無差別爆撃によってISAFや民間人に多数の犠牲者が出た。2009年8月、第二回の大統領選挙が実施され、バダフシャーン州ではアブドラ・アブドラ元外相が最多得票(約50%)を得た。2010年、第二回の下院選挙と州議会選挙が行われたが、戦争は更に激しくなりISAFや民間人の死傷者が急増した。バダフシャーン州では8月にNPOがKuran wa Munjan郡で襲撃され、が起きた。2012年3月、が起き多数の死傷者が出た。12月、ISAF軍はファイザーバード市と7つの郡の治安権限をアフガニスタン軍に移譲した。2014年4月、第三回の大統領選挙が実施され、バダフシャーン州ではアブドラ・アブドラ元外相が最多得票(約65%)を得た。しかし5月にはArgo郡でアフガニスタン地滑り災害が起き、アヘンの生産が急増した。2015年4月、ターリバーンがジュルム郡などを攻撃した。州内のターリバーンは約200人で外国兵も参加している。6月、ターリバーンは南部のYamgan郡の大半を占領し、7月には中東部のWarduj郡にあった警察のTirgaran基地を占領し、8月には南西部のTagab郡を攻撃した。Tirgaran基地は装備・戦力とも十分だったが、警察がほとんど戦わずに逃亡したと言う。2015年10月、郡でマグニチュード7.5の地震が起き、ターリバーンがWarduj郡を占領した。バダフシャーンは1市28郡を擁しており、郡の数はアフガニスタンで最も多い。バダフシャーン州ではArgo郡やKishim郡(約8万人)、州都やDarayim郡(約6万人)、Shahri Buzurg郡やYaftali Sufla郡(約5万人)などファイザバード周辺の州西部に多くの住民が居る。人口1万人以上の都市はコクチャ川沿いにある州都ファイザバード(3万6100人)であり、その南にあるJurm(3500人)にも都市部がある。バダフシャーン州は大麦(34州中9位)や米(34州中9位)、アーモンド(34州中9位)の生産量が全国的に見て上位にあり、小麦(34州中11位)の生産量も平均的である。バダフシャーン州のアヘンの耕作面積は2004年に1万5000ヘクタールを越えていたが、2008年に200ヘクタールまで急減した。しかしその後は徐々に増加し、特に2014年は4204ヘクタール(34州中9位)に急増し、増加率が全国一になった。 バダフシャーン州では1960年代にソビエト連邦がを発見し、VekaDurやRishabなどの採鉱有望地を設定した。2011年から入札が行われ、2012年にトルコのTurkish-Afghan Mining Company(TAMC)が優先入札権を獲得した。バダフシャーン州で最も人口が多いのはタジク人であり、ウズベク人、パシュトゥーン人、トルクメン人、ヌーリスターン人が続く。他の調査によるとイシュカーシム郡、ワハーン郡、Zebak郡、クラン・ワ・ムンジャン郡の多数派はパミール人であり、シグナーン郡東部などにもパミール人が住んでいる。ダリー語が約8割(77%)を占め、ウズベク語(12%)、パシュトゥー語、トルクメン語、ヌーリスターン語が続く。識字率は27%である。バダフシャーン州やタジキスタンのゴルノ・バダフシャン自治州などのパンジ川の上流部にはパミール人がおり、シーア派のイスマーイール派(ニザール派)を信仰している。州都ファイザーバードからタハール州のタールカーンを経由して、クンドゥーズ州の州都クンドゥーズに至る道がある。またファイザーバードから沿いを南下して国境の町に至り、その後パンジ川を北上してタジキスタンのホログに至る道がある。またイシュカーシム以外にもDarwazやTemやVanjなどパンジ川沿いに幾つかあるを渡って、タジキスタンに行く道もあるらしい。また州都にはがあり、パンジ川沿いには、、、、、など様々な空港がある。
出典:wikipedia
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