タニノギムレットは日本の競走馬、種牡馬。2002年の第69回東京優駿(日本ダービー)優勝馬である。馬主の谷水雄三は、かつてタニノハローモア、タニノムーティエで東京優駿を勝った谷水信夫の子息で、親子二代での東京優駿馬オーナーとなった。「ギムレット」とはジンをベースにしたカクテルの名前で、東京優駿レース後の優勝騎手インタビューで、武豊が「今日はギムレットで乾杯してください」と語っている。育成時代は北海道浦河の吉澤ステーブルで鍛えられ、デビューは2歳の夏、札幌競馬場のダート1000メートル戦。そこでは2着に敗れる。その後尻尾の骨折による引退の危機を乗り越え、12月に阪神競馬場の芝1600メートル戦で復帰し、2着に7馬身差をつけ初勝利を挙げる。2002年、3歳となり重賞初挑戦となったシンザン記念は、武豊を迎え優勝。続くアーリントンカップも3馬身半差をつけ優勝。さらに皐月賞トライアル、スプリングステークスでは負傷の武豊に代わって四位洋文が騎乗、大外を通り豪快な末脚でテレグノシスに並び掛けて首差の差し切り勝ち。皐月賞では再び四位を背に、2.6倍の1番人気に推された。しかしレースでは、最終コーナーで一番外を大きく回るコースロスが響いてしまい、直線に入ってからほとんどの馬を抜き去る豪脚を見せるが、前の2頭を交わすことはできず3着に敗れた。勝ったのは好位から抜け出した15番人気のノーリーズンであった。このときの四位の荒い騎乗について、明らかな騎乗ミスであったとされることが多く、解説者も「タニノギムレットは1頭だけ100メートル余分に走っていた」と語った。勝ちタイムは1分58秒5は皐月賞レコード、ノーリーズンの単勝は万馬券、2着にも人気薄のタイガーカフェが粘り切って馬連53,090円となった。レース後はこのまま東京優駿へ向かわず、NHKマイルカップにケガから復帰した武豊を鞍上に迎えて出走。単勝1.5倍の1番人気に推された。いつもの通りの後方待機から直線に向くも、テレグノシスの斜行により進路をふさがれる不利があり、進路を左右に変えながら追い上げたが、そのテレグノシスの3着に敗れた。審議時間は20分以上にも及び、この斜行に鞍上武豊は激怒したという。引き続き中2週と詰まったローテーションとなるが、次走は東京優駿に出走。ここでも1番人気に推され、いつもの通りの後方待機から直線に向くと直線坂下から末脚を繰り出し、シンボリクリスエスを差し切り優勝した。武豊は史上初の東京優駿3勝目を挙げる。なお、レース前にタニノギムレットについて「馬は絶好調だし心配することはほとんどないが、杉本さんの◎(本命)だけが唯一心配だ」と関係者が揃って言っていた。しかし、秋シーズンを迎えて神戸新聞杯から菊花賞を目指すローテーションが組まれた直後に浅屈腱炎を発症し、引退した。種牡馬となってからの2003年8月24日に札幌競馬場で引退式が行われた。故障を受けて、急遽馬主の谷水雄三、社台グループの吉田勝己、調教師の松田国英の間で話し合いが持たれ、総額16億2000万円のシンジケートが組まれ、北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となることが決まった。産駒は2006年から走り始め、初年度産駒のウオッカが第58回阪神ジュベナイルフィリーズを制して産駒の初GI勝ちを収め、さらに翌2007年には、父と同じ「2枠3番」で64年ぶりの牝馬の東京優駿優勝を達成するなど、好調な出足を見せた。ウオッカとの父仔東京優駿制覇は史上5組目であり、父-娘の関係では史上初となる。ウオッカをはじめとする初年度産駒が活躍したこともあり、同年は240頭に種付けを行った。この種付け頭数は当年の国内2位であった。なおウオッカは2008年、2009年度のJRA賞年度代表馬となっている。2013年11月30日にレックススタッドへ移動。2014年からは同地で種牡馬生活を送る。初年度からの好成績に加え、ナリタブライアン、マヤノトップガン、サニーブライアンら他のブライアンズタイム産駒の種牡馬から目立った後継が生まれていないこと、及び日本最大手の社台グループの社台スタリオンステーションに繋養される恵まれた環境もあり、ブライアンズタイムの有力後継種牡馬として期待されている。血統的にもノーザンダンサーやミスタープロスペクターを含まず、サンデーサイレンスを父に持つ牝馬とも交配が可能である。産駒は芝コースを得意とする傾向にあり、2015年2月時点でのJRA重賞勝利はすべて芝コースでのものである。DREAM競馬MCの柳沼淳子(フリーアナウンサー)が結婚発表した際、相手のことを「馬でいえば、タニノギムレット」と表現している。
出典:wikipedia
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