横山 義祐(よこやま よしすけ、?-天正5年(1577年)12月15日?)、戦国時代から安土桃山時代にかけての播磨国の武将。室山城主。通称は藤左衛門。赤松政元の子といわれる。兄弟に赤松政範、赤松政直、赤松政茂がいる。『播州佐用軍記』には「藤左衛門義祐」と記され、「亀甲の中に、右文字を付けたる茜の旗」を旗指物にしていたという。天正5年(1577年)、織田氏家臣・羽柴秀吉の上月城攻撃により落城後、4人の家臣(石生某、荒尾某、登尾某など)を連れて美作国英田郡粟井(現在の岡山県美作市)に逃れた。義祐と家臣の末裔は、江戸時代に入り郷士として明治まで存続した。
出典:wikipedia
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