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幸町 (徳島市)

幸町(さいわいちょう)は、徳島県徳島市の町名。内町地区に属している。幸町一丁目から幸町三丁目までがある。郵便番号は〒770-0847。2009年12月。徳島市の調査より。徳島市の中心駅徳島駅の南東、内町地区(ひょうたん島)の南部に位置している。西の富田橋通り(一部は通りの西まで広がる)と東の牟岐線に挟まれた南北に細長い町で、北から1~3丁目が並ぶ。北は道を挟んで寺島本町東と接し、南は新町川に面している。1丁目は国道192号が東西に貫いており、オフィス街となっている。2丁目から3丁目北部にかけては、徳島市役所を中心に徳島市民活力開発センターや徳島税務署等の徳島市の公共施設が集中している。3丁目南部の新町川河岸は、中洲総合水産市場や住宅街である。毎年お盆の阿波踊りの時期には徳島市役所前に「市役所前演舞場」が設営され、多くの観光客でにぎわう。江戸時代は武家地で、現1丁目には稲田屋敷、現2丁目と3丁目北部には賀島屋敷があった。その南の3丁目の大半は、新町川の河道だった。ただし現幸町公園付近の富田橋通り沿いには、助任新軒から移された魚屋が並ぶ町があった。のち(明治)の内魚町(うちうおまち)である。1675年ごろには魚ノ店または魚ノ棚、1810年ごろには魚町と呼ばれた。堺出身の堺屋秦与兵衛の店があったため堺丁、あるいはその他に撞木町、竹屋ノ浜とも呼ばれた。藩から許可を受けた専売商人の町で、武家向けの魚を売っていた。一方、町人向けの魚は新町の新魚町だった。明治期にはとなった。かつては東は寺島川に面していた。稲田屋敷と賀島屋敷の間に架かる渭津橋(のちの徳島橋)は、寺島側両岸を結び、江戸時代には徳島城の鷲の門に通じていた、交通の要所だった。1961年、寺島側は埋め立てられ徳島橋は撤去され、代わって、そのやや北に建設された幸町立体交差(国道192号が牟岐線をアンダーパス)が東西の交通路となった。同年9月の第2室戸台風の水害でこのアンダーパスは水没した。一般国道徳島バス・徳島市営バス

出典:wikipedia

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