オトラント()は、イタリア共和国プッリャ州レッチェ県にある、人口約5600人の基礎自治体(コムーネ)。サレント半島東岸に位置する港町で、イタリア共和国最東端のコムーネである。アドリア海の入口にあたる、サレント半島とアルバニアとの間の海峡は、この町の名にちなみオトラント海峡と呼ばれる。標準イタリア語以外の言語では以下のような名を持つ。先頭のOにアクセントがあるためオートラントとも表記される。レッチェ県東部のコムーネで、市街の南東約5kmにある(オトラント岬 の名でも知られる)がイタリア共和国の最東端である。オトラント市街は、県都レッチェの南東約35km、州都バーリの南東約175km、首都ローマの東南東約540kmに位置する。東は、アドリア海(オトラント海峡)に面しており、海峡の対岸はアルバニアである。オトラントは、アルバニア・ヴロラの西南西約92km、ギリシャ・ケルキラの北西約135kmにあたる。古代ローマ時代には街の谷あいに開けた"Hydrus"という急流が出ていて、その名から来た"Hydruntum"という名前で知られていた。東ローマ帝国とゴート人、その後のノルマン人(オートヴィル朝)、ズヴェヴィア家(ホーエンシュタウフェン朝)、アンジュー=シチリア家(アンジュー朝)、アラゴン家(アラゴン連合王国)の統治の中心だった。1480年にはオスマン帝国に占領され、市民が大量に殺戮された(オトラントの戦い)。この占領にはオスマン帝国によるイタリア征服の意図があったとされるが、1481年、スルタン・メフメト2世の急死でオスマン軍は撤退した。「イタリアの最も美しい村」クラブ加盟コムーネである。名所としては、カテドラーレ、その中の1163年から1165年にかけて作られたモザイク、フリードリヒ2世に備えて強化された城、東ローマ時代のサン・ピエトロ教会、その側にはアリミーニ湖などがある。
出典:wikipedia
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