ルベン・バラハ・ベガス(Rubén Baraja Vegas, 1975年7月11日 - )は、スペイン・カスティーリャ・レオン州・バリャドリッド出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。スペイン代表であった。ポジションはMF。優れたタックルの技術、精度の高いパス、得点能力などを兼ね備えたセントラル・ミッドフィールダーであった。実弟のDFもルベン同様にレアル・バリャドリードの下部組織出身で、選手生活のほとんどをレアル・バリャドリードで過ごしている。カスティーリャ・レオン州・バリャドリッドに生まれ、地元のレアル・バリャドリードの下部組織に入団して1993年にトップチームデビューした。1996年にアトレティコ・マドリードに移籍し、2シーズン半をアトレティコ・マドリードBで過ごした後、1999年2月7日のUDサラマンカ戦でトップチームで初出場した。1998-99シーズンもBチームでプレーすることが多かったが、セグンダ・ディビシオン(2部)に属していたアトレティコ・マドリードBで11得点を挙げた。1999-2000シーズン終了後にアトレティコ・マドリードのトップチームがセグンダ・ディビシオンに降格したため、2000年夏に移籍金2000万ペセタで前年度UEFAチャンピオンズリーグファイナリストのバレンシアCFに移籍した。バレンシアCFはMFジェラール・ロペスとMFフランシスコ・ファリノスを放出して新たな中盤の選手を探しており、エクトル・クーペル監督などに重用されて数々のタイトル獲得に一役買った。2000-2001シーズンはキープレーヤーのひとりとしてUEFAチャンピオンズリーグ躍進に貢献し、決勝でバイエルン・ミュンヘンにPK戦の末に敗れたものの、準優勝を果たした。2001-02シーズンは怪我の影響で出遅れたものの、17試合だけの出場で7得点(チーム内得点王)し、31年ぶりのリーグ優勝に貢献した。2003-04シーズンも大きな成功を収めたシーズンであり、8得点を挙げてチームをリーグ優勝に導くとともに、UEFAカップでは決勝でオリンピック・マルセイユを2-0で破って2冠を達成した。2006-07シーズンと2007-08シーズンはフィジカル面の問題に苦しみ、出場試合数が減少した。2009-10シーズンは18試合に出場したが、フル出場したのは2試合だけに終わった。2010年5月16日、CDテネリフェ戦がバレンシアCFのユニフォームを着て臨んだ最後の試合となり、89分に途中交代した際にはエスタディオ・デ・メスタージャの観客からスタンディング・オベーションが贈られた。15シーズンでリーグ戦338試合に出場して47得点を挙げた。2010年夏にバレンシアCFとの契約が満了し、その後すぐに現役引退が発表された。2000年10月7日、2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のイスラエル戦 (2-0) でスペイン代表デビューした。2001年4月に行われた日本との国際親善試合では、終了間際に決勝点を記録している。2002 FIFAワールドカップ本大会にも招集され、準々決勝まで駒を進めたが、PK戦の末に韓国に敗れた。2004年に出場したUEFA EURO 2004ではポルトガルやギリシャと同組となったグループリーグで敗退した。2006年の2006 FIFAワールドカップ出場メンバーからは漏れた。2011年6月、グレゴリオ・マンサーノのアトレティコ・マドリード監督就任に伴い、アトレティコのアシスタントコーチに就任した。2015年7月12日、2部への降格処分となったエルチェCFの監督に就任することが発表された。!通算||43||7
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