印章(いんしょう、)は、木、竹、石、角、象牙、金属、合成樹脂などを素材として、その一面に文字やシンボルを彫刻し、個人・官職・団体のしるしとして公私の文書に押して特有の痕跡(印影・印痕)を残すことにより、その責任や権威を証明するもの。印(いん)、判(はん)、印判(いんはん)、印形(いんぎょう)、印顆(いんか)、印信(いんしん)、ハンコ(判子)ともいう。しばしば世間一般では、正式には印章と呼ばれるもののことをハンコ、印鑑(いんかん)と呼んでいるが、厳密には印章あるいはハンコと同じ意味で「印鑑」という語を用いるのは正確ではない。古くは、印影と印章の所有者(押印した者)を一致させるために、印章を登録させた。この印影の登録簿を指して印鑑と呼んだ。転じて、印鑑登録に用いた印章(実印)を特に印鑑と呼ぶこともあり、更には銀行印などの登録印や、印章全般もそのように呼ぶ場合もある。印章の材質としては、木、水晶、金属、石のほか、動物の角、牙などが用いられ、近年は合成樹脂も用いられる。これらの素材を印材と呼ぶ。印材の特定の面に、希望する印影の対称となる彫刻を施し、その面に朱肉、印泥またはインクを付け、対象物に押し付けることで、特有の痕跡を示すことができる。この痕跡を印影と呼ぶ。印章を押すことを、押印(おういん)、捺印(なついん)、押捺(おうなつ)という。現代で用いられる印章の種類を大別すれば、証明のために用いられる生活・実用品としての印章と、篆刻のように印影を趣味や芸術として鑑賞するための印章に分けられる。古代においては印章そのものを宗教的な護符として尊重した時代もあり、現代においても開運商法の商材としての印章では印材の超自然的な効用が重視されることもあるが、宗教的な意味を失った印章では専ら印章そのものよりも、押されたときに印影として現れる内容が重視される。文明の発祥と共に生まれ、世界各地で独自の発展を遂げた印章の歴史の中ではさまざまな形態のものが作られたが、文字に芸術性を見いだす表現性を持った漢字文化圏や古代エジプトでは専ら印影(印面)に文字が用いられ、楔形文字を用いる古代メソポタミアや古代ペルシアなどでは絵画的な図案を用いる版画のような印章が用いられた。現代日本における実用印では、印影(印面)には文字(印字)が使用され、漢字を用いる場合の書体には篆書体、楷書体、隷書体が好まれる。印字は、偽造を難しくしたり、偽造防止のため、既存の書体によらない自作の印を使う者もいる。印章文化圏は、日本、中国、香港、マカオ、台湾、韓国、北朝鮮、ベトナム、インドネシア、ラオス、マレーシア、シンガポールなどに広がっている。ただし、以上の地域ではサインも用いられる。日本の印章は古くは中国から伝来したものだが、その用法は伝来した当時から中国のそれとは異なっており、江戸時代から現代にかけては中国やその他のアジア諸国とも様相の異なる、「ハンコ社会」や「ハンコ文化」などと形容される日本独自の印章文化が社会に根ざしている。一方の中国では印章の歴史は日本より長いものの、身近な日用品としての印章はほとんど民間に定着しなかったが、書道などの芸術と結びついて独自の印章文化が形成された。ヨーロッパ文化圏ではかつて印章が広く使用された時代もあったが、19世紀頃から廃れて使われなくなり、印章ではなくサインが用いられる。現代日本で生活・実用品として用いられる印章は、市町村に登録した実印、金融機関に登録された銀行印、届け出を必要としない認印の3種類に大別され、そこから更に細分化することができる。2000年の電子署名法の施行によって、近年では文書の電子化に伴い電子印鑑も登場している。一部金融業などの業界では上司に申請する際に、「控えめにお辞儀」するように斜めに押すといった独自の習慣も生まれ、「封建の名残で前時代的な悪習」とのネット上の批判もあったが、一方で左に傾けた場合も『右肩が上がる』という縁起の良さを感じるという向きもあるようである。日本語の「印章」という単語の語原は中国の秦や漢の時代に遡る。それ以前の時代において印章は「鉥」(じ)と呼ばれていたが、秦の始皇帝は、皇帝が持つもののみを「璽」(じ)、臣下の持つものは「印」と呼ぶよう定義し、更に後の漢時代になると丞相や大将軍の持つものは「章」と呼ばれるようになった。これら印と章を総称するものとして「印章」という単語が生まれた。ハンコの語原は「版行」で、後に当て字で「判子」とも表記されるようになった。英語におけるをはじめ、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語で印章を意味する語は、ラテン語の単語であるを語原としている。または、しるしを意味するラテン語から派生した単語である。印に関する主な用語はそれぞれ次の意味がある。原始的な印章は中東の遺跡(紀元前7000年 - 6000年頃)から発掘されていて、紀元前5000年頃に古代メソポタミアで使われるようになったとされる。最初は粘土板や封泥の上に押すスタンプ型の印章が用いられたが、後に粘土板の上で転がす円筒形の印章(円筒印章)が登場し、当初は宝物の護符として考案され、のち実用品になったが、間もなく当時の美意識を盛り込んだシリンダー・シールとなった。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ヒエログリフが刻印された宗教性をもったスカラベ型印章が用いられていた。それ以来、認証、封印、所有権の証明、権力の象徴などの目的で広く用いられた。インダス文明ではインダス式印章が普及し、今日大量に発掘されている。これがシルクロードを通って古代中国に伝わったのは、かなり遅れて戦国時代初期(紀元前4、5世紀)であったろう。その図象を鋳成した青銅印を粘土に押し付けると、レリーフ状の図象が浮きあがり、シリンダー・シールとの文化的連続性は否定すべくもない中国最古の、ひいてはアジア地域最古の印章といわれるものの一つに、殷時代の遺跡から出土したとされる3つの殷璽があるが、これについては発見の状況が疑わしく、またこの時代に印章が用いられていたことを示す痕跡が他に何も発見されていない。学術的な発掘によって発見された印章として最も古いものは戦国時代のもので、この頃から文章や物品の封泥に鉥(じ)と呼ばれる印章が用いられていたことを示す文献や出土品が数多く発見されている。秦・漢の時代に入ると制度が整備され、印章は持ち主の権力を示す象徴となっていく。その後紙の普及の伴って、中国の印章は封泥のためのものから紙に朱泥で押すためのものへと変化していき、陰刻ではなく陽刻が用いられるようになる。一方、隋・唐の時代には書道の発展を背景として署名が用いられるようになり、公文書や書状に私印が使われることは少なくなっていった。その一方、この頃から書画などに用いる趣味・芸術のための印章が使われ始めるようになり、印影そのものを芸術とする、書道としての篆刻へと発展していく。中国の印章は芸術として独自の発展を遂げたものの、その後も民間に浸透することはなく、識字率の低い時代にも署名や押印の代わりには他のさまざまな手段が使われており、印章が実用的な日用品として用いられることはなかった。日本では西暦57年ごろに中国から日本に送られたとされ、1784年に九州で出土した「漢委奴国王」の金印が日本最古のものとして有名である。ただし当時の日本ではまだ漢字が知られておらず、印章を使う風習もなかったため、漢委奴国王印が実際に印を押す用途で使用されたかどうかには懐疑的な意見もある。日本の文献に残る最古の記述は『日本書紀』のもので、692年には持統天皇へ木印を奉ったという言及がある。なお『日本書紀』にはそれ以前にも、崇神天皇が四道将軍に印を授けたという紀元前88年頃の記述が見られるが、これについては後世の脚色と考えられている。日本において印章が本格的に使われるようになったのは、大化の改新の後、701年の大宝律令の制定とともに官印が導入されてからであると考えられる。当時の日本における印章の用法は、隋・唐における用法が模範となったものの、それ以前の中国での歴史的用法は伝播しなかったため、中国とは趣を異にするものとなった。律令制度下では公文書の一面に公印が押されていたが、次第に簡略化されるようになり、平安時代後期から鎌倉時代にかけては花押(意匠化された署名)に取って代わられた。しかしながら、室町時代になると宋から来た禅宗の僧侶たちを通じ、書画に用いる用途で再び印章を使う習慣が復活することとなり、武家社会へと伝播していく。戦国時代には花押にかかる手間を簡略化するため、大名の間で文書を保証する用途に、略式の署名として印章が使われるようになる(織田信長の「天下布武」の印など)。江戸時代には行政上の書類のほか私文書にも印を押す慣習が広がるとともに、実印を登録させるための印鑑帳が作られるようになり。これが後の印鑑登録制度の起源となった。江戸時代の日本における印章は命の次に大事なものに例えられるなど、庶民の財産を保証するものとして非常に重く扱われるようになり、日本独自の印章文化が確立した。明治政府は印章の偏重を悪習と考え、欧米諸国にならって署名の制度を導入しようと試みたが、事務の繁雑さや当時の識字率の低さを理由に反対意見が相次ぎ、以後の議論の末、1900年までに、ほとんどの文書において自署の代わりに記名押印すれば足りるとの制度が確立した。また、印鑑登録制度が市町村の事務となったのも明治時代である。日本の印章の製造拠点は、主に山梨県西八代郡市川三郷町の六郷地区であり、六郷印章業連合組合が設置され全国の50%のシェアを持つ。経済産業大臣指定伝統的工芸品として甲州手彫印章が指定されている。紀元前2000年前後に繁栄したミノア文明では個人の所有物の印や容器や家の扉につける封印として、プリズム型や柄のある円形、平版の楕円形の印章が用いられ、ミノア文明を継承したミケーネ文明では指輪型の印章が用いられるようになったが、ミケーネ文明が滅びると共に印章を用いる習慣も途絶えた。その後ミノア文明の存在は忘れ去られ、20世紀にアーサー・エヴァンズがクレタ島でミノア文明の痕跡を発見した当時、遺跡から出土した印章は現地の人々の間で護符として使われていたという。アルカイック時代における古代ギリシアでは、古代エジプトからスカラベ型印章が伝播する形で、家屋の扉や貴重品および手紙などの封印として再び指輪型の印章が用いられ始め、紀元前500年前後の古典期に入って独自の変化を遂げた。その後アレクサンドロス大王の東方遠征を境に、金や銀の指輪に宝石をはめ込んだ豪華な装飾の指輪型印章も用いられるようになった。古代ローマの時代には肖像画を刻んだ指輪型印章が用いられ、財産や食料品に印章を用いて封印をする習慣が盛んになり、文章の確認のために印章が用いられ始めたことを伺わせる痕跡も散見されるようになる。しかし西ローマ帝国の滅亡に伴い、欧州において印章を用いる習慣は再び途絶えた。8世紀以降の欧州では、支配階級の識字率の低さを背景として、署名の代わりとして印章が用いられるようになる。カロリング朝の王族は古代ローマや古代ギリシャの印章を用いるようになり、その後の神聖ローマ帝国の皇帝は自身の肖像画を印章に用いた。11世紀に入ると自身の家系を表す紋章(欧州の家紋)が貴族の印章として用いられるようになり、13世紀末からは王侯貴族や聖職者だけでなく役所や職業別組合(ギルド)など、一般の市民まで印章が普及するようになる。欧州における印章の普及が全盛期を迎えるのは14世紀から15世紀の頃で、15世紀末になると紋章の周囲にラテン語の文字が入った印章が使われるようになり、一般の市民や農民の間では簡単な図案や姓名の頭文字のみを入れた品質の低い印章も用いられた。欧州では15世紀以降、識字率の向上や人文主義の高まりを背景としてサインが併用され始めるようになり、19世紀になると欧州における印章は廃れてほとんどサインに取って代わられた。その後も貴族階級では、中世からの伝統として家の紋章を記した印章を手紙の封蝋に用いる習慣を続けていたが、それも第一次世界大戦を経て貴族階級が没落していくと使われなくなった。現代の欧州における印章は、一部の外交文書、旅券、免許証、身分証明書など限定的な用途に用いられるのみで、印章の歴史についての学術的な研究すらも盛んではない。日本の場合、印鑑登録に用いる実印や、官職印、公職印には法的な規定がある。その他の印章には法的な規制はないものの、用途に応じた慣習的な制限と呼べるものがある。特に重要な印章を紛失すると、日常生活などで支障が生じるため、必要に応じて使い分ける。趣味や芸術を目的とした印章では、実用の道具としての印章と異なり、印を彫刻したり鑑賞したりすることが主な目的となる。古今東西の印章を並べれば、印章に用いる素材(印材)は時代や地域、用いる人物の地位、用途によって様々である。印材によって朱肉(印泥)の着きやすさ、耐久性、見た目の良し悪しは異なっており、高価な印材が必ずしも優れた印材とは限らない。現代日本で用いられる印材に絞っても、例えば印鑑登録に用いる実印には欠けたり変形したりしやすい印材を使うことができないが、その一方で趣味性の高い印章には、加工しやすい石、サツマイモ、消しゴムなどが用いられることもあるなど、用途に応じて様々な印材が使われている。古代や中世に使われたものも含めた世界各地の印章にはさまざまな形があり、円筒型、円柱型、角柱型、ドーム型、ボタン型、指輪型、ペンダント型など多種多様である。現代日本で用いられる印章の形状としては以下のようなものがある。日本で用いられる実用的な印章には、印面に文字が刻印されているものが一般的である。文字にはさまざまな書体が用いられる。その他、甲骨文字、江戸文字、明朝体、ゴシック体など様々な書体を用いた印章が使われるが一般的ではない。印章は陰刻(陰文・白文)と陽刻(陽文・朱文)に区別される。陰刻とは文字が印材に彫られ、捺印すると、印字が白抜きで現れる印章である。陽刻とは文字の周りが彫りぬかれ、捺印すると文字の部分が印肉によって現れる印章である。現在では陽刻が一般的である。歴史上の漢委奴国王印がそうであるようにかつては「陰刻」が一般的だった。これは当時、印章が「封泥」に捺印するために使われていたことに由来する。「陰刻」の印を粘土に押すと、文字が凸状になって現れるためである。「陽刻」が一般的になるのは、紙が登場して朱肉が普及してからである。陰刻印章は基本的に印鑑登録が出来ない(各市区町村の登録手続き規定)。契約等に際しての押印(捺印)という行為は意思表示のあらわれとみることができる。例えば、契約書等に記名(署名や押印・捺印等)をする行為は、その契約を締結した意思を表示したものとみることができる。また、印章の使用は認証の手段として用いられることもある。これらは特定の印章を所有するのは当人だけであり、他の人が同じ印影を顕出することはないであろうという社会通念に立っている。それゆえに、文書に押された印影を実印の印影や銀行に登録した印影と照合して、間違いなく当人の意思を表すものかどうかを確認することが行われる。実際の取引の場面では、印章を持参した者は本人または本人の真正の代理人であるとみるのが通常である。しかし、契約などの場面においては、使用された印章を特定しても、「実際に押印した人物」を特定することができないため、印章の所有者の意図しない不正使用などをめぐり、のちに争われる事態となることもある。民事訴訟法は第228条4項で「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」と定めている。これは文書の名義の真正(その文書が作成名義人によって実際に作成された)という「成立の真正」を推定することを意味し、文書の記載内容が真正であることを意味する「内容の真正」とは区別される。この規定により、私文書にある印影が本人または代理人の印章によって押された場合には、反証なき限り、その印影は本人または代理人の意思に基づいて押されたと推定され、その結果、同項の要件が満たされるため、文書全体が真正に成立したと推定される。裁判においても、私文書に押される印の有無は当該契約の有無、契約にかかる義務や責任の有無を示す重要な証拠となる。同項では、契約書に署名又は押印のある契約は成立が推定される。また、判例では、印影が本人の印章による場合には本人の意思に基づいて押印されたものであると推定され、契約の締結も本人の意思に基づいてなされたものと推定される(二段の推定)。この契約の存在を否定するには押された印章の所有者側が、当該契約が自身の意思によらない(捏造された)ことを立証しなければならない。なお、当事者又はその代理人が故意又は重大な過失により真実に反して文書の成立の真正を争ったときは、第230条で裁判所は決定により10万円以下の過料に処すと定めている。日本の金融機関では預金通帳と登録した印鑑を照合することで口座取引を可能としていた。この仕組みを実現するため、預金通帳の表紙裏面に、登録に用いた印章の印影を転写した印鑑票(副印鑑)が貼付されていた。銀行印の登録原票は口座開設店にあり、登録印鑑の照合ができるのはその店に限られる。そこで、通帳に副印鑑を貼り付けることで、他の店でも印影の照合、そして口座取引が可能となった。ただし、印鑑と預金通帳があれば預金を引き出すことができるため、第三者による悪用を防ぐためには印鑑に用いた印章と通帳は別々に保管することが望ましいとされた。しかし、近年では副印鑑をスキャナで読み取って預金払戻し請求書にカラープリンタで転写したり印影から印章を偽造するなどして、登録に用いた印章を所持せず他人の口座から預金を引き出す手口が現れ被害が後を絶たないことから、副印鑑の貼付を廃止し、代えて登録原票をデジタル情報として蓄積し、いずれの本支店でも参照できるようにして、口座取引をどこでもできるようにする方法が普及しつつある。印章は人の同一性を表示するために文書に使用されるものであることから、その社会的信用を保護するため刑法は印章偽造の罪を設けている。古代より、印章は信仰や迷信と無関係ではなかった。古代メソポタミアから発祥した印章は元々魔除けや宗教的な意味を持つ護符であったと考えられている。古代エジプトでは、神聖な昆虫として宗教上のモチーフとなったスカラベ(フンコロガシ)が、指輪型印章の台座としてあしらわれた。中国の印章も、神秘的な力によって封をしたものを守るという発想から生まれたといわれる。近世の日本においては、安倍晴明の陰陽道をルーツと称して印影の吉凶を占う印相学が江戸時代初期に隆盛し、易経の観点から見て縁起が良いとされるように画数や空穴の数を調整した花押のデザインが、晴明の系譜である土御門家に依頼されるようになる。1732年には土御門家で印相学を学んだとされる大聖密院盛典が著した『印判秘訣集』という書物が大衆向けに刊行されて大きな反響を呼び、これが後世における印相学の基礎となる。一般に印相学に基づくとされる印章は、印材には象牙、水牛、柘植などが用いられ、印面の大きさは実印で1.5センチメートル、認め印は1.2センチメートル程度の円形で、書体にはごみやかすの入りにくい印相体が用いられる。避けるべき凶相として、欠けのある印や、欠けやすい水晶の印材や二重枠、模様、(日本では一般的ではない)指輪型印章などか挙げられる。現代日本における開運商法の商材としての印章は、広告を用いて集客を行う通信販売を販路に、都市部から離れた地方での安い労働力を使って生産され、印相がよいとされる印章を売るのがその主流となっており、「開運の印」と称して高額な印章が売買されることがある。こうした開運商法の商材としての印章は、一般的な印章店と異なり印材の材質や寸法、書体などを自由に選ぶことができないことが多く、印章業者から「印相学に基づいた縁起物」として一方的に仕様を押し付けられることが普通である。全日本印章業組合連合会(後の公益社団法人全日本印章業協会)では、人心を惑わせるような占いの商材に印章を用いることに対して否定的な立場を取っていたが、占いが科学的な真実である必要はないため、信心を元に印章を売買することは自由に行われている。また印相学自体にも、欠けにくい印材や目詰まりを起こしにくい書体を用いて円滑な押印を行うための経験則が集約されており、何の根拠もない迷信とは言い切れない一面もある。運気を呼び込むのは印相よりもまず人柄であるという主張や、伝統ある篆書体それ自体が神聖でありそれを崩すことは吉相から遠ざかるとする主張もある一方で、印を押すような人生の局面で失敗をしたくないという大衆心理は根強く、印影に吉相を求める需要は多い。氏名を自書することであり、筆跡によってその署名した個人を特定することが可能である。多くの場面で、署名が記名押印と同等のものとしてその効力を認められており、刑法の「印章偽造」やいわゆる「有印公(私)文書偽造」といった罪においても署名が印章と同等に扱われている。なお、商法においては署名が本来の形で、その代わりとして記名押印が認められている。爪の形を印章の代わりとして用いること。紀元前8世紀のメソポタミアの粘土版には、自署のかわりに爪印を用いた例が見られ、世界的にも広く風習としてみられる。日本にも8世紀以降伝わり、天皇の裁可文書や庶民階層の吟味文書などに用いられた。印章を持ち合わせていない場合、印章の代わりに拇印(ぼいん)を用いることがある。拇印とは、拇指ないし人差し指の先に朱肉をつけて押す印のことであり、指紋により、押印した個人を特定することが可能である。別名指印(しいん)。ただし、署名が記名押印と同等のものとして広く認められていることもあり、警察での供述調書、被害届などの特殊な文書以外の公文書への拇印はあまり用いられない。印面がゴム製の印章をゴム印という。ゴム製の印章とその印影は、力や熱のほか、経年により変形するため、通常、公文書などへの使用はできない。ゴム印はインク浸透印で代替されるケースが多い。ゴム印には以下のような用途のものがある。日本において、スタンプと言う場合は、判(またはゴム印)をさすことが多い。スタンプは観光地など記念用に設置されている。鉄道駅(駅スタンプ)や道の駅、サービスエリアやパーキングエリア(サービスエリアパーキングエリアスタンプ)にも設置される。各地でスタンプラリーも企画されている。紙などを差し込むことで電動で押印・印字されるスタンプもある。印章の関連用品として次のようなものがある。
出典:wikipedia
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