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船木鉄道

船木鉄道株式会社(ふなきてつどう)は、山口県宇部市・山陽小野田市・美祢市周辺をエリアとするバス事業者である。通称は船鉄(せんてつ)。事業者名が示すように、かつては宇部 - 船木町 - 吉部(きべ)間に鉄道路線を持っていたが、1961年に路線を廃止し鉄道事業から撤退した。撤退後も社名はそのままとしている。同じく山口県西部に基盤を置くバス事業者のサンデン交通が筆頭株主であり、第2位の林孝介(サンデン交通代表取締役会長)の持ち分をあわせて約35%の株を保有するが、サンデン交通のグループ扱いにはなっていない。ただし山口県共通バスカードを双方で先行導入するなど、関連は比較的深い。関連企業として、スーパーマーケット・ガソリンスタンドを運営する船鉄商事がある。社名の由来となっている船木(ふなき)は、旧楠町(2004年11月に宇部市に編入)の中心市街である。江戸時代は旧山陽道の宿場町として栄えていたが、1900年に敷設された山陽鉄道は船木を避けて南方を迂回したため、船木は交通拠点としての重要性を失っていった。1911年、船木の有力者により鉄道設立発起人会が結成され、1913年には船木軽便鉄道が設立された。当時の船木周辺には小規模な炭坑が点在し、石炭運搬鉄道としての役割も期待されていた。1916年、約2か月の工事の後、軌間762mmの軽便鉄道として、宇部駅 - 船木町駅間4.9kmが開業した。1919年、社名を船木鉄道へ改称した。この頃、路線延長と輸送力増強(軌間拡大)が計画され、1923年に船木町 - 万倉(まぐら)間4.7kmの延長と1067mmへの全線改軌がなされた。1926年には、万倉 - 吉部(きべ)間8.1kmが延長し(全線17.7km)、これが同鉄道路線の最長延長となった。(ただし、さらに大田(現美祢市美東町)まで路線延長する免許も取得していた)太平洋戦争期の1944年、鉄材供出に伴って万倉 - 吉部間が休止した。昭和30年代に入ると石炭産業の斜陽化、バス交通への転換が一気に進み、1961年10月ついに宇部 - 万倉間も休止となり、全線廃止となった。末期はディーゼル車が宇部 - 万倉間を約25分で結んでいた。最後に運転された車両の一つであるキハニ51(芸備鉄道キハユニ17改造)は、廃線後加悦鉄道に譲渡され、京都府与謝野町(旧加悦町)の加悦SL広場にキハユニ51として保存されている。鉄道廃線跡は各所に見られ、例えば旧船木町駅は船鉄バスのターミナルとして使用され、万倉付近には軌道敷の築堤盛土が残存しており、その他、県道へ転用された部分も多数ある。その後、船木鉄道はバス事業へ転換し、山口県中西部に路線を延ばすとともに、観光バス事業も展開し、現在に至っている。山口県中西部の山陽側一帯に路線を持つ。かつて鉄道路線があった宇部市では、旧楠町地域を含む西部一帯を営業エリアとしている。ほか山陽小野田市・美祢市の全域に路線網を持つ。一般路線車はベージュ色に赤・青・灰色の帯、ノンステップバスは赤色地、貸切車は白地に茶色系濃淡4色の帯の塗装である。日本国内4メーカーを導入しているが8割は日野自動車製である。ノンステップバスが多いがワンステップバスは2台しか導入していない。中型バスを主に導入している。※(停留所名)は一部の便のみ停車。<停留所名/停留所名>はどちらかを経由。西宇部駅 - 有帆駅 - 字中村駅 - 船木町駅 - 裁判所前駅 - 宗方駅 - 伏附駅 - 万倉駅 - 矢矯駅 - 今富駅 - 峠駅 - 大棚駅 - 吉部駅機関車は雨宮製作所製2両、客車2両、貨車6両(有蓋2無蓋4)機関車はすべてタンク式。気動車は日本車輌製造より単端式気動車(カ1・2)を購入し、1929年より宇部-船木町間で運転を開始した。

出典:wikipedia

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