山塚 アイ(やまつか アイ、YAMATSUKA EYE、1964年〈昭和39年〉2月13日 - )は日本の音楽家、ラッパー。兵庫県神戸市三宮出身。小山田圭吾が主宰していたTrattria Recordsでは、"ショックシティー(SHOCK CITY)"を担当し、OOIOOやハナタラシのリリースに関わっていた。1983年にノイズバンド、ハナタラシを結成。以後、大阪を拠点に、ボアダムスをはじめとする様々なバンド、ユニットを結成し活動している。ボアダムスではボーカルを担当しているほか、オープンリール、電子楽器など様々な楽器を感性的に駆使する。ボーカルとしては狂騒的なスキャットを主体とし、常軌を逸した高音の奇声やドスの効いた怒号、ユーモラスなヴォイスパフォーマンスを織り交ぜたハードコア・パンク的なシャウトを多用するが、ボアダムスの音楽性の変遷に伴ってサンプラーやターンテーブルなども扱うようになってからは、以前よりも狂熱的なヴォーカルパートが減少すると共にソフトなアプローチを取り入れた。1989年にはジョン・ゾーンのアルバム『ネイキッド・シティ』にゲスト参加し、その後、同アルバムから発展したユニット「ネイキッド・シティ」にも関わった。1990年代前半からアメリカ合衆国など日本国外でも演奏や音源リリースを行うようになった。また、1992年には大友良英を中心としたユニット「GROUND ZERO」の同名アルバムにも参加している(リリースは1993年)。1993年にはさらに、ソニック・ユースと連名のEP『TV Shit』をリリースした。たびたび名義を変更しており、山塚アイからヤマンタカEYEへ、さらにヤマタカEYEに変更した。また「eYe」や「EYƎ」などの名義も使う。DJの際にはDJ 光光光(DJピカピカピカ)を名乗るなど、変名の数も多い。 ハナタラシを率いていた時期は、ユンボでライヴハウスの壁を壊しながら登場する、ステージ上でガラス板や瓶を投げ壊すなど、過激なパフォーマンスをして多くのライブハウスに出入り禁止にされていた。音楽活動のほかイラストレーターとしても活躍しており、海外での個展の開催、画集の発表など多岐にわたる。大竹伸朗とはヤマンタカEYE名義で『ヤマンタカ日記』(1995年)『ドンケデリコ』(1996年)などのアートブックを出版している。Beckの『』(1999年)のジャケットもアイによるものである。1995年、TV「浅草橋ヤング洋品店」の「ナインティナインの史上最悪最強のバンド計画3」というコーナーに、講師として中原昌也や町田町蔵らとともに出演したこともある。その頃の独特のヘアースタイルは瞬間接着剤を髪の毛に付けたものである。
出典:wikipedia
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