サイモン・ライト(Simon Wright、1963年6月19日 - ) は、イギリスのドラマー。有名なハード・ロック・バンドをいくつも渡り歩き、AC/DCやディオなどのメンバーとして活躍した。ドラムは十代初めから演奏し始め、コージー・パウエル、トミー・アルドリッジ()、ジョン・ボーナムから大きな影響を受けた。サイモン・ライトは、地元マンチェスターでトラ・トラというバンドで演奏を始め、やがて、1979年にギターのゲイリー・オ—エンス(Gary Owens)が結成した、マンチェスターを代表するNWOBHMのスパーグループA II Z()に参加した。もともと、A II Zは、結成直後からマンチェスターで評判となり、折からのNWOBHMブームに便乗しようとしていたポリドール・レコードと契約することになった。1980年には、ライブ・アルバム『"The Witch Of Berkley"』が出たが、その後1981年にベースとドラムが解雇され、ライトが代わりのドラマーとして参加することになった。しかし、ライトの参加後はシングル盤「I'm the One Who Loves You」が出ただけで、結局バンドは1982年に解散してしまう。ライトは、ゲイリー・オーエンスとともにオーロラ(Aurora)を経て、に参加した。タイタンは、デビュー・アルバム『"Rough Justice"』(1985年)のレコーディングを行ったが、このデビュー・アルバムがリリースされるのを待たず、1983年にバンドは解散してしまった。1983年、AC/DCはドラムのフィル・ラッドを解雇し、ライトはその後任に採用された。1980年代半ば、ライトが在籍した時期に、AC/DCは3枚のアルバム『フライ・オン・ザ・ウォール』、『フー・メイド・フー』、『ブロウ・アップ・ユア・ヴィデオ』を制作した。ライトは1989年に、ディオに移るためAC/DCを脱退し、クリス・スレイドがその後を埋めた。ライトは、ディオの仕事の合間に、ライアム・ジェイソン(Liam Jason)が離脱したライノ・バケット()に参加し、1994年のサード・アルバム『"』を録音した。2007年にも、再びこのバンドと共演し、アルバム『"』にフィーチャーされた。ライトがディオに参加していた時期は、1990年から1991年と、1998年以降の2つに分かれる。ディオでは、4枚のスタジオ・アルバム『ロック・アップ・ザ・ウルヴス (")』、『マジカ (")』、『キリング・ザ・ドラゴン (")』、『マスター・オブ・ザ・ムーン (")』と、2枚のライブ・アルバム『イーヴィル・オア・ディヴァイン (")』、『情念の炎〜ホーリィ・ダイヴァー (")』に参加している。ライトの演奏は、このほかにも、UFO、マイケル・シェンカー・グループ、ジョン・ノーラムの作品で聴くことができる。2005年、ライトはヘヴィ・メタルを象徴するバンドであるアイアン・メイデンへのトリビュート・アルバム『"NUMBERS from the BEAST: An All-Star Tribute to Iron Maiden"』に参加した。ライトがトリビュート盤に参加するのは、1998年のAC/DCへのトリビュート『"Thunderbolt: A Tribute to AC/DC"』以来、2回目だった。2006年、ライトはビートルズの楽曲をヘヴィ・メタル風に取り上げたトリビュート盤『"Butchering the Beatles: A Headbashing Tribute"』に参加し、「Taxman」にクレジットされた。2008年9月、ライトは、ジョー・リン・ターナー、フィル・スーザン()、カルロス・カヴァーゾ()らとともに、ビッグ・ノイズ(the Big Noize)のプロジェクトとして、イラクとクウェートでのショーを行った。ライトは、dwのコレクターズ・メイプル・シリーズのドラムと、セイビアンのシンバルを使用している。詳細については英語版()を参照。ザ・ストーン・ローゼズのレニ(英XFMラジオが2013年に行ったリスナー投票で「史上最高のロック・ドラマー」で1位に選出された名ドラマー)はAC/DC加入前からのドラム仲間。それまでパブで演奏していたレニはライトのAC/DC加入が本気でバンド活動をするきっかけとなった。AC/DCディオ(以下はライブ盤)ライノ・バケット ()ジョン・ノーラムモグ/ウェイ (Mogg/Way)ティム・オーウェンズ ()
出典:wikipedia
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