『兼高かおる世界の旅』(かねたかかおる せかいのたび、英題:"KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World" →"KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US")とは1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10か月の間、TBS系列局で主に毎週日曜日朝に放送された紀行番組である。2007年5月6日からTBSチャンネルで再放送が開始された。ジャーナリストの兼高かおるがディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していた。放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて、1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になる。単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサーが、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。ちなみに、兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で、特に変更は無かった。しかし、途中から落合と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していった。そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が、番組終了まで続いた。「アジアのパリー(サイゴン、現・ホーチミンシティ)」「中東のパリー(ベイルート)」「南米のパリー(ブエノスアイレス)」など、美しい街に「○○のパリー(「パリ」ではなく「パリー」と発音)」と付けて紹介することも多かった。番組開始から20年以上にわたりパンアメリカン航空(PAA)が協賛していた。PAA倒産後、スカンジナビア航空(SAS)に代わっている。番組の第一期(白黒テレビ番組時代、及びカラー化移行直後時代、1977年まで。カラー放映時での番組タイトル・テロップ色は白色)において、テーマ曲には映画『八十日間世界一周』のテーマが使用された。最初期の放送作品のタイトル、例えば「バルセロナの情熱」のOPが差し替えられていることは下記の項目にあるとおりである。制作に参加していた「東京テレビ映画株式会社」は、KRテレビ時代の1955年に設立されている。一方で、東京放送・TBSという称号・略称が用いられるようになった時期は、東証に株式を上場した1960年10月である。よって、差し替えられた部分は、1960年10月以降で、かつ、東京テレビ映画株式会社が1967年に「TBS映画社」に改めるまでの間に使われたモノクロのオープニング映像を、一部差し替えたものとなる。オープニングでは世界各国の映像を流しながら当番組の数々の賞歴をエンドロールの形式で流し、最後の方では飛行機の映像に変わっていたが、のちに協賛会社のナレーションが追加された。当初(PAA)時代は「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」で、のちに「この番組の制作にあたっては世界の翼、パンナムの協力を得ました」となり、(SAS)に交代以降は「この番組の制作にあたってはSASスカンジナビア航空の協力を得ました」と言っていた。オープニングタイトル(「兼高かおる世界の旅」の部分)のフォントは、最初期のころはゴシック体だったが、1971年時点のカラー版では、「兼高かおる」が手書き風、「世界の旅」が楷書体に変わっている。1970年 - 1971年時点でのオープニングは、カラーとモノクロを織り交ぜた映像になっているが、エンディングは、パンナムビル(現メットライフビル)屋上ヘリポートに着陸中のケネディ国際空港パンナム専用ターミナル連絡便大型ヘリコプター(解説HP)やパンナム航空旅客機、並びに所属スチュワーデス(客室乗務員)らを映したものとなっている。番組開始当初はまだ日本人の海外渡航自体に制限があり(海外旅行が自由化されたのは1964年4月1日)、また1ドル=360円時代でかつ外貨持ち出し制限もあるなど数々の困難があった。当初の番組タイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』、英題:"KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World"であったが、2010年8月当時再放送された、1970年放送の番組オープニングでは、邦題『兼高かおる世界の旅』であるにもかかわらず、英題は "Hopping..." が継続して使用されていた。1990年9月30日放送分をもって、『兼高かおる世界飛び歩き』時代の半年間、『兼高かおる世界の旅』時代の30年間の計30年半の放送にピリオドを打った。番組開始当初は当然白黒であったが、1964年1月12日放送の#0194「アラビアの人造り(サウジアラビア)」にて初めてカラー制作・放送が行われ、その後1966年の7月10日〜8月28日放送分(#0311「南へのいざない」〜#0318「秋への序曲」)まで「夏休みカラープレゼント」と題してカラーで制作・放送され、続く9月4日の第15次取材ハイライトも一部の局でカラー放送、更に同年の10月2日放送の#0322「インディ500マイルレース」がカラー放送、1967年4月2日放送分(#0344「山あいの王都」)からはほぼ全作品がカラーとなり、以前にカラーで取材されていたが放送では白黒だった回もカラーで再放送されるようになった。番組では、定期的にハイライトを放送した。これは、今後放送する海外取材のフィルムを、事前に簡単に紹介するものであり、一回分の放送枠を使って紹介するもの(いわゆる「予告編」)であった。以下、下記にある放送リストでは書ききれない各ハイライトの概要を、簡単に記す。洋風のセットで丸テーブルの前に座った兼高と芥川が冒頭で登場し、以降、各種ハイライト映像を解説を交えながら紹介した。番組オープニング後、芥川が兼高の肩に腕を回した恰好で歩道橋を歩くシーンから始まる。その後、赤坂離宮等を見渡せる場所で、海外滞在中は既製品の服を買う程度しか時間がない、といったこぼれ話がでる。また、その赤坂離宮を見通す場所には首都高速が通り視界を遮っているのだが、その首都高速を題材に、番組制作の経緯が話された。いわく、首都高速が出来上がったのは東京オリンピックがきっかけだったが、この番組も、東京でオリンピックが開催されるのを見越して、また、番組開始当時の日本は欧米、特にアメリカのことを海外と考える、といったような、世界観の固定化や貧困化にたいして、別の側面を提供するという意味合いもあった、と兼高自身が説明している。また番組内では、兼高が「和服も美しい」と発言したのに対し、芥川が「そうですね、(兼高かおるが)似合うか似合わないかは別として」と発言したのに対し、「あら、男性も和服が似合いますのよ。(芥川が)似合うか似合わないかは別として」と即座に応酬して見せた。なお、番組内では、兼高自身が芥川の額を示しながら「放送開始時はここまで(と言いながら額を指し示す)だったのが、今はここまで(と、放送当時の生え際を指し示す)変わりました」と、芥川の毛髪量も持ち出して、11年という長い年月を振り返った。冒頭、ニット帽をかぶった芥川が訪れた部屋で、兼高は一人黙々と、ビューアを見ながら、フィルムの編集をしているところから番組が始まる。このアメリカ編では、取材に2万3000フィート(7010.40メートル)の長さになるほどの撮影をしたという。だが、これらの膨大な映像を、わずか7本分、およそ30分未満(CMが含まれるため)の長さに整えなければならず、カットするフィルムが多いため、紹介できないことが大変もったいない、と兼高が話していた。なお、撮影に使われるカメラの種類が不明のため、一概に言えないが、16mm映画用フィルム換算で10時間54分に相当する。『ファミリー劇場』で2010年 - 2011年初頭に放送された特別番組『月光仮面 〜幻の第一話を求めて〜』において、TBS緑山スタジオのフィルム倉庫の様子が映されていた。ここに至るには経緯があり、捨てられてしまった月光仮面第一話の原盤フィルムの代わりに、プリントが保存されているかもしれないということでTBS本社に赴き、データベース登録された作品に同作品が存在するかを検索してもらった。ところが「データベース上では見当たらないが、フィルム倉庫にはあるかもしれない」ということで、先のように緑山スタジオのフィルム倉庫の映像が映し出されるにいたった。倉庫の管理者は、数年前から原盤フィルムの整理をしてほしいと仕事を任されていると語り、その中で、「ザ・ガードマン」とともに「兼高かおる」の名前を挙げて、テレビ創世記の貴重なネガが存在していることを紹介した。番組では、「兼高かおる」というラベルのある棚が映され、「60-1」や「61-10」などと仕切ったうえで、それぞれの中に、さらにネガやポジの違いなどを明記したラベルが付されたフィルム缶が保管されていた。ほとんどのフィルム缶には、「200*年*月VTR変換済」との黄色く目立つラベルが、新たに付されていた。1970年の放送では、当時の番組の受賞歴が、毎回オープニングで紹介されていた。しかし、翌1971年最初の放送(第33次ハイライト(アメリカ編))においては、以下のうち1962年から66年の4項目しか紹介されなかったが、翌週には元の6項目に戻った。余談だが、#0360 の「中東の王国 -サウジアラビア-」の放送回は1967年のため、当然のことながら同様に4項目しか受賞歴が掲載されなかった。TBSが音声多重放送を開始時からこの番組は二ヶ国語放送となり(初めての二ヶ国語放送は1978年11月26日)、副音声で英語によるナレーションを放送していた。また「"KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US"」の英題が付され、英語吹き替えは提供クレジットに至るまで徹底していた(「This program is presented by Sanyo Electric Group.」)。ニュースを除けばソースが外国語ではない「英語吹き替え番組」は珍しい。ちなみに芥川役は若い男性が吹き替えを行った。TBSチャンネルでは一部の外国ドラマや一部のJリーグ中継でモノラルの二重音声放送が行われているためこの番組の再放送でも二ヶ国語放送となっている放送回では行われる可能性があるが、現在のところは不明である。主に日曜日の午前中の時間帯に放送された。※系列はネット終了時点のもの。2007年5月6日から、TBSチャンネルで再放送が開始された。放送時間は2007年12月23日までは毎週日曜11:30 - 12:00(再々放送は、翌週日曜11:00 - 11:30)、2008年1月13日からは毎週日曜8:30 - 9:00(再々放送は、翌週日曜8:00 - 8:30。1987年10月4日から1990年9月の最終回までの地上波初回放送と同じ時間帯である)。1586回の放送の中から529回分を厳選して再放送する。再放送にはオリジナルフィルムを最新技術で修復し、デジタルリマスターしたものを使用するという。2011年1月23日放送分からは、第2回放送「バルセロナの情熱」を筆頭に、当面モノクロ・最初期時代の内容が放送されることが決定している。TBSチャンネルの当番組モノクロ版ページでは、「放送開始初期の頃の作品で、兼高のナレーションのみで番組は進行する。」「モノクロ映像」との但し書きが付されている。2012年10月1日からのTBSチャンネル1(HD放送)、TBSチャンネル2(SD放送)の開設に伴いTBSチャンネル1に移行したが、2012年11月4日から更にTBSチャンネル2に移行したためスカパー!(CS放送)以外のケーブルテレビ局やブロードバンド経由での視聴が出来なくなったが、2013年4月1日より、スカパー!プレミアムサービスおよびスカパー!プレミアムサービス光、一部ケーブルテレビでの放送が開始される。なお、TBSオンデマンドでの配信媒体は以下のとおりTBSチャンネルにおける再放送の際、開始冒頭に断りのテロップを編集時に挿入しているが、これは情勢の変化により国名や地名が変わっていたり、既に存在していない施設などがあることに配慮しているためである。表示されるテロップには、確認できるだけで5種類ある。ビクター・ヤング「八十日間世界一周」のテーマ曲が初め使われたが、のちに久石譲作曲のオリジナルテーマ音楽が使われた。
出典:wikipedia
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