西澤 明訓(にしざわ あきのり、1976年6月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。日本代表として2000年6月にモロッコ国内にて開催されたハッサン2世国王杯でのフランス戦にて挙げたボレーシュートによる同点ゴールをはじめとする多くのゴールや、セレッソ大阪における森島寛晃との名コンビで著名な、日本サッカーを代表するフォワードのひとりであった。現在セレッソ大阪でアンバサダーを務める。静岡県清水市 (現静岡市清水区) に生まれ育ち、清水市立入江小学校在学中に清水フットボールクラブに入団し、センターフォワードとしてプレーした。この時のチームメートのひとりに山西尊裕がいた。この頃「ニッコ」という愛称を「ニコニコしているから」という理由で山西に付けられた。清水市立第八中学校を経て1992年に静岡県立清水東高等学校に入学してサッカー部に入部した。1年時には全国高等学校総合体育大会ベスト4を経験した他、2年時・3年時の2度国民体育大会少年男子静岡県選抜に選出され、大会2連覇を経験。1995年にJリーグ1部 (J1)所属のセレッソ大阪へ入団。同年オランダ・エールステ・ディヴィジ所属のFCフォレンダムにレンタル移籍し、1シーズン在籍した。1996年にセレッソ大阪へ復帰。翌1997年5月21日、国立競技場にて開催された韓国との国際親善試合で日本代表デビューした。2000年には、1stステージで優勝争いを演じた他、年間15得点という成績を修め、森島と共にJリーグベストイレブンに選出された。2000年12月、スペイン・リーガ・エスパニョーラ1部所属のRCDエスパニョールにレンタル移籍。6試合に出場し、シーズン終了後退団した。同年7月にはイングランド・プレミアリーグ1部所属のボルトン・ワンダラーズFCに入団したが、カップ戦に数試合出場したものの、リーグ戦での出場はなかった。在籍中に古巣であるセレッソ大阪のJ2への降格を知り、契約を途中で解除して帰国、セレッソ大阪に復帰した。2002年6月に森島と共に日本代表に選出されて2002 FIFAワールドカップに出場した他、同年度のリーグ戦において8得点を挙げ、クラブのJ1復帰に貢献した。2005年、セレッソ大阪はJ1で優勝争いに加わる。最終節前、西澤は「ここで優勝を逃したらモリシもオレも負け犬になってしまう」との発言を残している。しかし最終節のFC東京との試合で引き分けたことでセレッソ大阪は優勝を逃した。なおこの年はリーグ戦で10得点の成績を修めている。翌2006年、セレッソ大阪が2度目のJ2降格をしたことに伴い、出身地清水のクラブである清水エスパルスに移籍した。移籍初年度にナビスコカップの決勝に進むがここでも敗退し、西澤はタイトルを獲得することなくキャリアを終えることとなる。清水には2008年度までの2シーズン在籍し、通算43試合に出場して5得点を挙げた。2008年シーズン終了後、セレッソ大阪への復帰が発表された。2009年11月13日、同年度限りでの現役引退が発表され、同年11月28日に長居スタジアムで行われたJ2第50節の試合後に引退セレモニーが開催された。2010年2月、セレッソ大阪アンバサダーへの就任が発表された。281||81||60||25||19||8||360||11452||9||colspan="2"|-||1||0||53||96||0||2||0||colspan="2"|-||8||00||0||3||1||||||3||1|-!通算
出典:wikipedia
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