車椅子(くるまいす、)とは、身体の機能障害により歩行困難となった者の移動に使われる福祉用具。日本の道路交通法では、そもそも「車両」とは異なり、「身体障害者用の車いす」として扱われ、さらに通行のために供されている物、つまり通行中に限っては歩行者として扱われる。一般的なものは、椅子の両側に自転車に似た車輪が1対、足元にキャスター(自在輪)が1対の、計4輪を備える。筋力などの理由により一般的な車いすの利用が困難な場合、「電動車いす」の利用が検討される。こちらは動力に電動モーターを使用した車いすであるが、いわゆる「セニアカー(シニアカー)」などと呼称されるものとは構造が異なる。そのほかにも、重度な障害者向けにストレッチャーのような形態のものや、各種障害者スポーツに特化した車いすも存在しており、以下、該当項目を参照して欲しい。かつて長期にわたり「椅」(い)が常用漢字外であったこともあり、日本の法令では「椅子」を平仮名にした車いすと表記されているほか、法令以外でも車いすの表記が用いられることも多い。車椅子の歴史は古く、椅子と車輪という発明が存在した地域から、自然発生的に生まれたと考えられている。有名なところでは、障害者ではないが諸葛亮が三国志演義の中で、車輪のついた椅子に乗っている描写がある。三国志演義は明の時代に書かれており、この時代の中国には、車椅子という発想が存在していたことを示している。また、1595年に描かれたとされる、スペイン王フェリペ2世が、召使に押してもらう型の車椅子に乗っている絵画が残されている。1650年、ステファン・ファルファという人物によって自走式タイプが初めて考案された。これらの車椅子は、障害者も利用したが、障害者でない者も利用しており、当時は「車椅子は障害者の乗り物」という現代人の常識とは異なっていたようである。ヨーロッパでは、18世紀のはじめ頃から車椅子が商業的に製造されていたと考えられている。日本では、中世・近世には疾病などで歩行が困難な者が使用する「土車」「いざり車」と呼ばれる車椅子の原型と呼べるものが存在していた。箱もしくは板に四つの車輪(両方とも木製)の付いたもので、使用者はあぐらなどで座り、手に持った棒で地面を突いて、もしくは取り付けた縄や手押し部分で介助者が動かした。これに乗って寺院巡礼などの長期旅行をする者もいて、記録(浄瑠璃作品や浮世絵など)が散見され、また実物が各地の寺院に残っている。明治以降では大正初期からアメリカやイギリスから車椅子が輸入された記録がある。また、日本国内で最初に開発された西洋式の車椅子は、1920年頃につくられた「廻転自動車」と呼ばれた物が原型とされている。ただし、これは文献には残っているものの、正確な製造者や製造年は分かっていない。日本ではっきりと車椅子を製造したと認められるのは、同じく1920年頃、北島藤次郎(北島商会(現、株式会社ケイアイ)創設者)によって作られた籐製の車椅子である。これらは戦傷で障害を負った軍人や入院患者のために、一部の病院で用いられたようである。第二次世界大戦では、多くの軍人や民間人が負傷した。戦後は義肢や車椅子の需要が急激に高まっていたが、当時はあらゆる物資が不足しており、車椅子はこれらの障害者になかなか行き渡らなかった。1951年に制定された身体障害者福祉法により、徐々に普及が進んだ。1964年に行われた東京パラリンピックでは、日本は欧米の優れた車椅子の性能を目の当たりにし、これをきっかけに日本の車椅子の性能は急激に上がることとなる。1990年以降、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(通称「ハートビル法」)などの制定により社会のバリアフリーが推進され、ノーマライゼーションの観点から車いすを用いての利用、移動を考慮して床面のフラット化(段差解消)、ゆるやかなスロープ、車いすの幅を考慮した開口部の広いドアなどを設備した施設が増えている。一般的な車いすは、福祉用具取扱店など専門業者のほか、ホームセンターなどでも販売されている。電動型は障害者個人の特性に合わせ、専門業者からカスタマイズ販売されることが多い。価格は手動車いすで1万円前後~50万円超、電動車いすでは30万円~300万円超と幅広い。なお、福祉機器であるため、本体について消費税は課せられない。主な助成制度としては以下のものがあるが、スポーツなどに特化した車椅子は対象とならない。フレームや車輪には、主に加工性に優れて丈夫な鉄(クロモリ鋼)、軽量で錆びにくいアルミニウムが用途や予算に合わせて使われている。高価なものには軽さと強度を併せ持つチタン、軽量で振動吸収性の高いカーボンを使用している。低帯磁性からステンレスを使ったものはMRIなどの施設内で使用されたり、アルミ以上の耐腐食性により入浴用・シャワー用が製造されている。身体障害者や高齢者が椅子・車いす、又は座位保持装置を適切に活用し自立的生活を築くための支援や、介護者の負担を軽減する技術のこと。1989年に身体障害者福祉法の補装具交付基準の対象品目になった。シーティングシステムは、普通の椅子や車いすでは姿勢を保つことが難しい重度身体障害者や高齢者(円背等の脊椎の変形を伴うなど)に安定した座位姿勢を確保し、また上肢機能へ配慮した適切な作業姿勢や活動姿勢を提供する概念である。ベースとなるフレームは車いすや木製の椅子などさまざまだが、クッションやバックレストを変更して身体バランスの改善、筋緊張の軽減、座圧の減少などによって褥瘡(じょくそう=床ずれ)のような2次障害を防止し、快適さを追求していくことで、長時間の座(=生活の基礎姿勢)を維持する。特徴としては背もたれ部分が頭部まで延長した形になっている。多くは介助型もしくは電動型である。また、背面を大きく後方へ倒すことになるので、バランスを保つため後輪が普通型のものより後方に位置することになりホイルベースが長くなるので、屋内での取り回しなどに苦労する場合がある。これを防止する目的で、通常のホイルベース長のフレームのティッピングバー付近に補助輪をつけたタイプもある。車いす自体も大きくなり、重量も嵩み、特にティルト型はその機構が邪魔をして折り畳めない物もあり、車への積み込みが困難となりうる。見た目の特徴として、介助用ハンドルにレバーが2本(1本は普通の介助型車椅子にもある介助用ブレーキレバー、もう1本が座面もしくは背もたれの傾斜時に握るレバーであり、見分けるために両者は色違いとなっている)存在する。電気モーターによる走行が可能な車いす。最初の動力付車いすは電動ではなく、1912年イギリスでエンジンを取り付けた三輪型が出現した。アメリカでは、サンフランシスコ万国博覧会(1915年開催)の入場者移動用に電動車いすが使われ(病人の移動手段だった模様)、1956年ごろ最初の量産モデルが作られた。日本国内での工業的な国産第一号は1968年八重洲リハビリ(株)(1960~70年代の日本のリハビリ機器最大手)によるものと言われているが、手作りなどにより各地で作られていた模様である(例:有限会社アローワン(後述)など)。1977年に電動車椅子JISが制定(車いす自体のJIS制定は1971年)されるとともに、各メーカーが製造販売に参入することになる。。操作は主にジョイスティックで行い、手動車いす同様、左右の駆動輪の回転数の差によって旋回することが可能。また、前輪キャスターの進行方向を電気モーターによって直接操舵することで旋回できるパワーステアリング装備型もある。また、近年では中輪駆動方式が出てきて、旋回性能を向上させているものもある。この方式は、乗っている人の真下に駆動輪があるので、方向を変えたときに搭乗者を中心に向きを変えられるので、ごく自然に向きを変えることが出来る。障害によってはチンコントロール(あご)や、足部で行うこともある。この他にも、呼気や頭部など、可動部位があれば制御できるオプションも用意されている。なお、日本では道路交通法において、「身体障害者用の車いす」として「身体の障害により歩行が困難な者の移動の用に供するための車いす」を定義し、これを通行させているものは歩行者と同じ扱いを受ける。よって、運転免許証は不要である。なお、車椅子のうち原動機を用いるものにあつては、内閣府令で定める基準に該当するものに限る。「内閣府令で定める基準」とは次の通り(道路交通法施行規則第1条の4)。運転が不慣れな使用者による事故が多発しており、死亡事故も起こっている。高齢者向けに作られた、ハンドルを使って前輪を操舵する電動車いす。2010年12月、大分県の企業によって開発されていた、全体の95%が竹材で設計されている車椅子を構想の基に、空港での金属探知機検査を円滑にするために、非金属製の車椅子が開発された。最晩年の歩行困難になった時期のみの使用者は記載しないものとする。
出典:wikipedia
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