陳仁宗(ちんじんそう、)は、陳朝大越の第3代皇帝。第2代皇帝・聖宗の長男。宝符6年(1278年)に父帝から譲位されて即位した。即位してから4年後の紹宝4年(1282年)、元からの服属要求を退けたため、その大軍による侵攻を受けることになるが、父と共に従伯の名将・陳国峻に軍権を預けて迎撃させた。一時は元軍の圧倒的物量の前に危機的状況に陥ったこともあり、怖気づいた仁宗は元への降伏も考えたが、陳国峻の強硬な反対を受けて翻意し、徹底抗戦に及んだ。その結果、ゲリラ戦に悩まされた元軍は紹宝10年(1288年)に撤退を開始し、その軍を追撃して壊滅させている(白藤江の戦い)。この功績により、紹宝11年(1289年)には陳国峻に興道王号を与えてその後も重用した。重興9年(1293年)、長男の陳に譲位して太上皇となる。程なくして出家して仏門に入り、余生を送った。ただし、出家した後も陳国峻と共に息子の治世に協力していたともいわれる。仏法に関する著書に『僧袈砕事』など多数ある。興隆16年(1308年)、52歳で死去。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。