京急ストア(けいきゅうストア)は、東京都・神奈川県でスーパーマーケットチェーンを展開する企業である。京浜急行電鉄100%出資の関連会社である。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって老舗百貨店である白木屋は東京・日本橋の本店が壊滅し、その復興が震災後の東京市の復興計画の遅れに伴う区割整理未决定の状態が長期化し、本建築での本格的な復興が遅れることになった。そのため、白木屋は十分な規模での営業を行うことが出来ず、不足分を補うために分店と称する店舗網を展開するようになった。この分店開設の一環として、京浜電気鉄道(現在の京急線)の品川乗入に伴て出来る高架下に品川分店を開設する計画を立てた。しかし、日本百貨店協会が支店などの開設を自粛する自制協定を発表したことに伴い、それに抵触するとしてこの構想は実現できなくなった。そこで、この計画を継承する形で京浜電気鉄道と白木屋の取引問屋が出資して1933年(昭和8年)に資本金10万円で株式会社京浜デパートが設立し、京浜電気鉄道品川駅の地階と地上1階の計約1,000坪の品川店を開設したのが始まりである。白木屋は先に述べた自制協定があったため出資こそしなかったものの支援は惜しまなかったとされており、その運営方式の多くが白木屋のものを継承する形となっていた。1934年(昭和9年)9月に蒲田分店、1935年(昭和10年)3月に鶴見分店、同年5月5日に川崎分店を開店するなど母体企業である京浜電気鉄道の沿線での多店化を推し進めた。ところが、川崎分店の開設の際に旧京浜電気鉄道本社跡という駅前の一等地に進出することは地元商店街にとって死活問題であるとして、地元商店主達が京浜デパート排撃期成同盟会を結成するなどして激しく反対運動を繰り広げたため、川崎分店を1936年(昭和11年)1月末日で閉店し、店舗跡を地場資本の百貨店小美屋に売却して撤退に追い込まれた。また、京浜デパートは母体企業の京浜電気鉄道沿線のみではなく、菊屋デパートの名称で他の鉄道会社のターミナル駅への出店を行っており、池袋駅に木造2階建てで売り場面積2,347㎡の池袋分店を1935年(昭和10年)2月に開設したほか、同年12月に高田馬場分店を開設するなど開業当初から積極的な出店戦略を展開した。しかし、1940年(昭和15年)3月15日に菊屋デパート池袋分店を武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)へ売却して武蔵野デパートとなり、他の店舗も戦災で焼失するなど第2次世界大戦終了時までに、品川と鶴見の2店舗にまで事業規模が縮小する形となった。なお、菊屋デバート池袋分店も武蔵野鉄道へ売却後の1945年(昭和20年)春に戦災で全焼し、戦後の1949年4月27日に西武百貨店へ商号を変更して同年末に営業を再開している。また、1943年(昭和18年)3月には商号を株式会社京浜デパートから株式会社京浜百貨店へ変更している。この商号変更は第2次世界大戦中の外来語規制に伴うものとされている。第2次世界大戦後の東京急行電鉄の分割再編に伴って1948年(昭和23年)6月1日に京浜急行電鉄が発足し、翌年1949年(昭和24年)6月に当社株はその再編の一環として同社に引き継がれ、1954年(昭和29年)8月には同社が株式の過半数を取得して子会社化された。新橋駅高架下に戦後開業した東京デパートを譲受して、1955年(昭和30年)11月3日に第2次世界大戦後初の出店として新橋店を開店し、品川店や鶴見店と共に駅構内にある恵まれた立地条件を武器に良好な業績を上げた。そのため、1959年(昭和34年)11月に横須賀店、1961年(昭和36年)6月に鶴見東店、1963年(昭和38年)4月に上大岡店、同年10月には富岡店を開店するなど多店化が進められた。このうち富岡店は京浜ストアとして開店しており、事業展開をスーパーマーケット事業へシフトする先駆けとなった。また、1957年(昭和32年)10月に京浜川崎駅構内に食堂と理髮店を開業したほか、1968年(昭和43年)2月に株式会社鉄友会を合併して同月に麴町にレストランと喫茶店を開業するなど小売事業以外の店舗展開も行っている。1970年(昭和45年)以降は多店化を加速させた。中でも1978年(昭和53年)5月に開業した葉山店は最初の郊外型スーパーで、京急沿線の駅前以外への出店の先駆けとなった。1990年に会社名、店舗名とも「京急ストア」に改称した。1994年(平成6年)6月に品川店を改装した際に当社で初めて生鮮3品の販売を直営に切り替えると共に、専門店を入居させている店舗でも販促企画などを統一するなど生鮮食料品の販売力の強化に乗り出している。この生鮮食料品の販売直営化にあたっては精肉については完全な直営化ではなく、関連会社の京急フーズが運営する形態で実質的な直営化を図っている。1997年(平成9年)4月に横須賀中央駅に隣接して「魚屋の新鮮ずし」を開店するなど総菜販売の強化も進めている。2006年(平成18年)8月1日には京急グループとして一体的に運営することで意思決定のスピードを上げて経営を効率化させることを目的に、株式交換方式によって京浜急行電鉄が全株式を取得して完全子会社されることになった。2013年(平成25年)4月にユニオネックスを吸収合併した。(この決定は2012年(平成24年)4月に行われた)。ユニオネックスが営業していた食品スーパーの旧「ヨコサン」は「京急ストア」に改名され、高級スーパーの「もとまちユニオン」はそのままのブランド名で存続した。詳細はユニオネックス参照。なお、京急上大岡駅ビルに1996年(平成8年)10月1日に開業した京急百貨店は、当社ではなく1989年(平成元年)12月設立の株式会社京急百貨店が運営している。2014年5月1日現在、東京都・神奈川県の京急線沿線を中心に3業態50店舗を展開する。出店店舗の詳細については、公式サイト「店舗案内」を参照。詳細は公式サイト内のページ「関連会社」および京急ストアの親会社で京急電鉄の会社概要などを参照。
出典:wikipedia
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