ジョニー・ゴンサレス(Jhonny González、男性、1981年9月15日 - )は、メキシコのプロボクサー。イダルゴ州パチューカ出身。第13代WBO世界バンタム級王者。第43代・第46代WBC世界フェザー級王者。長身で、長いリーチから左ジャブを多く繰り出して試合を支配していき、時には打ちつ打たれつの激闘を繰り広げるハードパンチャーであり人気も高い。妻はメキシコの女子プロレスラー、セクシー・スター。2011年4月8日に行われた長谷川穂積との試合の1か月前に東北地方太平洋沖地震が起こったが、3月23日には「スポーツ報知」が、「長谷川と戦って日本の人達を元気づけたい。いつものように試合を行えば『日本は大丈夫』という正しいメッセージが世界に伝わるだろう」というゴンサレスの言葉を伝えていた。この発言は試合をプロモートした本田明彦(帝拳プロモーション)によって公表されたものだが、同じエピソードはESPN.comでも紹介されており、そちらには、「私は豚インフルエンザがメキシコを完全に荒廃させていた時、西岡利晃が防衛戦のためにメキシコを訪れ、私と戦ったことを決して忘れないだろう。私も同じようにモチベーションと誇りをもって戦う」といった言葉も掲載されている。この年のWBC年間賞でゴンサレスは、Exemplary Boxer of the Year(模範的なチャンピオン)として選出された。WBCはこの授賞について、「(ジョニー・ゴンサレスは)リングの内外において模範的なマナーでボクシングを表現する、謙虚で礼儀正しくひたむきな格別のチャンピオン」と説明している。アマチュア戦績164勝14敗を引っ提げ、1999年8月14日にプロデビューするも4回判定負け。続く11月6日の2戦目も4回判定負け。プロ初勝利を収めたのは2000年1月29日の3戦目(4回判定)。その後12連勝を果たしその内11がKO勝利というハードパンチャー振りを発揮した。2001年10月26日、16戦目で自身初タイトルに挑戦、 アブロー・ソワー(ガーナ)とNABF北米バンタム級決定戦に出場し10回TKO勝利によって王座を獲得した。2002年2月8日、リカルド・バルガス(メキシコ)とノンタイトル戦を行い、10回判定負けを喫した。約2ヵ月後の4月7日、NABF王座の初防衛戦の相手としてバルガスと再戦を行うも7回負傷判定負けで同じ相手に2連敗する結果となりNABF王座からも陥落した。2002年12月14日、フランシスコ・マテオス(メキシコ)とWBCアメリカ大陸バンタム級王座決定戦を行い初回KO勝ちで王座獲得に成功した。2003年6月13日、ラモン・レイテとメキシコバンタム級王座決定戦を行い4回TKO勝利で王座奪取に成功すると、同年10月10日に防衛を行い初回KO勝ちで初防衛に成功した。2004年2月27日、モイゼス・サムディオ(メキシコ)を5回TKO勝利で下し、アメリカ大陸王座の初防衛に成功した。2004年3月25日、ロジャー・ゴンザレス(アメリカ)とノンタイトル10回戦を行い、6回TKO勝利した。 2004年5月13日、フェルナンド・モンティエルの兄アレハンドロ・モンティエル(メキシコ)とNABO北米バンタム級王座決定戦を行い、6回TKO勝利で王座を獲得した。2004年11月18日、ガブリエル・エリゾンド(アメリカ)とNABO王座の初防衛戦を行い、2回TKO勝利で初防衛に成功したと同時にエリゾンドに初黒星を付けた。2005年2月17日、元世界2階級制覇王者のアドニス・リバス(ニカラグア)とアメリカ大陸バンタム級王座決定戦とWBC世界バンタム級王座挑戦者決定戦を兼ねた試合で対戦、大差判定で勝利し、アメリカ大陸王座の再獲得と指名挑戦権を手に入れた。 2005年9月1日、ウィリアム・ゴンザレス(ニカラグア)とNABO北米バンタム級タイトルマッチ行い、3回KO勝利で2度目の防衛に成功した。 2005年10月29日、35戦目で世界初挑戦。WBO世界バンタム級王者ラタナチャイ・ソーウォラピン(タイ)に挑み、3回に2度6回に1度の計3度のダウンを奪い7回TKO勝ちで王座獲得に成功した。2006年2月25日、アメリカ・ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターで、元世界2階級制覇王者マーク・ジョンソン(アメリカ)とノンタイトルで対戦し、4回と8回にダウンを奪いKO勝ちを収めジョンソンに引導を渡した。2006年5月27日、WBO世界スーパーフライ級王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)を12回2-1(118-111、116-112、113-115)の判定に降し、初防衛に成功した。2006年9月16日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、WBO王座を保持したままWBC世界スーパーバンタム級王者イスラエル・バスケス(メキシコ)に挑戦。ダウン応酬の大激戦の末、10回TKO負け。2階級制覇とはならなかった。2007年3月30日、元IBF世界フライ級王者イレーネ・パチェコ(コロンビア)を9回TKOに降し、2度目の防衛に成功した。2007年8月11日、3度目の防衛戦。元WBC世界スーパーフライ級王者ジェリー・ペニャロサ(フィリピン)に7回TKO負けを喫し、王座陥落となった。2009年5月23日、2階級制覇再挑戦。メキシコ・モンテレイのモンテレー・アリーナでWBC世界スーパーバンタム級王者西岡利晃(帝拳)に同級2位として挑戦。初回にダウンを奪うも、3回に王者の左ストレートでダウンを奪い返されそのままTKO負け。またしても2階級制覇を阻まれた。その後フェザー級に転向。また、トレーナーに名伯楽イグナシオ・ベリスタインを雇った。2009年12月16日、地元メキシコシティにてマーロン・アギラル(ニカラグア)と対戦し、4回TKO勝ちを収めた。 2010年5月15日、ジャン・ハビエル・ソテロ(コロンビア)を倒しFECARBOXフェザー級王座を獲得した。7月24日にはアリスティデス・ペレス(コロンビア)を2回TKOで倒し初防衛に成功した。2010年9月15日、ジャクソン・アシク(ウガンダ)を6回TKOで降しIBO世界フェザー級王座を獲得した。フェザー級転向後、2010年11月までに7連続KO勝利を収めた。2011年4月8日、神戸・ワールド記念ホールにてWBC世界フェザー級王者長谷川穂積(真正)に同級1位として挑戦。4回に右フックでTKO勝ちを収めて王座獲得に成功し、2階級制覇を果たした。2011年7月9日、アメリカ・アトランティックシティのボードウォーク・ホールで、同級14位トマス・ビジャ(メキシコ)と対戦し、ボディショットで悶絶させ4回49秒TKO勝ちで初防衛に成功した。2011年9月15日、アメリカ・テキサス州エルパソで同級14位ロジャース・ムタグワ(タンザニア)と対戦し、ファン・マヌエル・ロペスをダウン寸前まで苦しめた経験があるムタグワを右ショートフックでぐらつかせ、最後は連打でストップがかかり2回2分15秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。2011年12月3日、メキシコ・メキシコシティで同級10位ロイネット・カバジェロ(パナマ)と対戦し、左ロングフックのボディショットがさく裂し2回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。2012年4月28日、メキシコ・カンクンで行われたWBC世界フェザー級王座統一戦で、休養王者エリオ・ロハス(ドミニカ)と対戦し、12回3-0(117-111、116-110、116-112)の判定勝ちで王座統一、4度目の防衛に成功した。2012年9月15日、MGMグランド・ガーデンアリーナで、同級6位で元WBO世界スーパーバンタム級王者ダニエル・ポンセ・デ・レオン(メキシコ)と対戦し、8回負傷判定負け(74-77、2者が72-79)で5度目の防衛に失敗し王座から陥落した。2013年4月27日、メキシコシティのアレナ・メヒコで片桐秋彦(川崎新田)と対戦し、4回TKO勝ちでWBCインターナショナルフェザー級王座を獲得した。2013年8月24日、カリフォルニア州ロサンゼルス郡カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートでWBC世界フェザー級王者アブネル・マレス(メキシコ)と対戦。かつてはゴンサレスのスパーリングパートナーだったマレスが圧倒的有利との下馬評だったが、それを覆して、1回にいきなり左ロングフックでマレスからキャリア初ダウンを奪い、最後は連打をまとめてダウンを奪い、レフェリーがカウントを途中で止めて1回2分55秒KO勝ちを収め王座返り咲きに成功した。2014年2月15日、ステイプルズ・センターで前王者アブネル・マレスとダイレクトリマッチを行う予定だったがマレスがスパーリング中に肋骨を痛め試合が延期となった。2014年5月24日、アカプルコのコンベンション・センターでWBC世界フェザー級12位のクリブ・アトウェルと対戦。2回にバンティングでゴンザレスが左目をカットし、この傷が原因で10回に試合続行が不可能となり3-0(99-89、96-92、98-90)の10回負傷判定勝ちで王座返り咲き後初防衛に成功した。2014年10月4日、シナロア州ロスモチスにて元世界5階級制覇王者でWBC世界フェザー級10位のホルヘ・アルセと対戦。3回、5回、9回とダウンを奪い圧倒、最後はアルセが距離を取って逃げ回ったところでレフェリーが戦意喪失とみなし試合をストップ、11回TKO勝利で2度目の防衛に成功した。2014年12月17日、2年以上指名戦を回避し続けたことでゴンサレスにWBCは、まず翌年1月26日に行われるロッキー・ファレス対ロビンソン・カステヤノスの勝者と対戦した後、マービン・ソンソナ対ジェイソン・ベレスの勝者と対戦するよう2試合連続の指名戦を義務付けた。2015年3月27日、ゴールデンボーイプロモーションズから契約違反で訴訟を起こされた。2015年3月28日、ラスベガスのパームス内ザ・パールでWBC世界フェザー級7位のゲーリー・ラッセル・ジュニアと対戦するが、3回に1度、4回に2度のダウンを奪われダメージが深刻と判断したレフェリーは試合をストップ。3度目の防衛に失敗し王座から陥落した。なおゴンザレスはプロレスの試合中にリング禍で亡くなったペロ・アグアヨ・ジュニアの追悼試合として臨み、ペロ・アグアヨ・ジュニアの対戦相手だったレイ・ミステリオ・ジュニアを伴って入場した。試合後に、7年間コンビを組んできたトレーナーのイグナシオ・ベリスタインと別れ、デビューから西岡戦までコンビを組んだ父親のミゲル・アンヘル・ゴンザレスとコンビを再結成した。2015年4月4日、WBCは最新ランキングを発表し、上述のラッセル戦に敗れ王座から陥落したゴンサレスはWBC世界フェザー級5位にランクインした。2015年8月1日、モレリアのオーディトリオ・デル・ビセンテナリオにて橋本和樹(真正)と空位のWBC世界スーパーフェザー級シルバー王座を争い、2RTKO勝利を収め王座獲得に成功した。2015年9月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナにてフロイド・メイウェザー・ジュニアVSアンドレ・ベルトの前座でジョナサン・オケンドとスーパーフェザー級契約戦を行い、10回0-2(90-98、93-95、94-94)の判定負けを喫した。
出典:wikipedia
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