FJ-4は、ノースアメリカン社が開発したアメリカ海軍・海兵隊のジェット艦上戦闘機・艦上攻撃機である。FJ-1からFJ-2/3の流れを汲む機種だが、主翼を含めた機体の完全再設計が行われ、以前の形式との共通点はほとんど存在しない。ただし、愛称はFJ-1~3と同じフューリー(Fury)となっている。FJ-3と比べて、FJ-4の主翼は遥かに薄くなり(翼厚比6%)、面積も増加され、翼端に向かって強いテーパーがつけられた。また、低速での飛行特性改善のため、主翼前縁にはわずかにキャンバーがつけられた。主脚は新設計の主翼に収まるよう再設計が必要となり、ホイールベースが広がることとなった。それにしたがって、翼折り畳みのラインはより外側に変更された。また、主脚が重心に近づいた結果、前脚の重量負荷が低下することとなった。全天候迎撃機として使用されることを意図されたため、多くの燃料搭載量を求められた。主翼外板は合金削りだしのインテグラルタンクとされ、また、燃料搭載のために延長された胴体のおかげで、FJ-3よりも50%以上も多くの燃料を搭載することができるようになった。さらに、防弾を省略することと弾丸搭載量を減らすことによる軽量化も行われている。後部胴体上面は独特の"レイザーバック"型に整形されており、FJ-2/3との外見上の判り易い違いとなっている。コクピットも改修され、長時間任務におけるパイロットの負担が軽減された。さらに、尾翼も広範囲に変更され、全体的に薄翼化された。これらの変更により、FJ-3以前とは共通部分がほとんどなくなってしまったが、類似箇所も残っていた。最初の2機の試作機においてはFJ-3と同じ、J65-W-4エンジンを搭載していたが、量産機では強化型のJ65-W-16Aに換装されている。FJ-4は1954年10月28日に初飛行し、1955年2月に配備が始まった。戦闘機型のFJ-4はもっぱら海兵隊(3個スコードロン)で運用されていた。(例外として、FJ-4Bへの転換訓練用の1個スコードロンが海軍に存在した)最初に発注された221機のうち、最後の71機は攻撃機版であるFJ-4Bに変更された。FJ-4Bは、翼下の兵装ステーションの数を4つから6つに増強し、併せて降着装置も増強したものである。後部胴体の下にはエアブレーキが追加され、高推力で安全に着艦することを可能としたほか、急降下爆撃時のダイブブレーキとしても役立った。兵装搭載量も倍増したが、最も重要なのは、LABS(低高度爆撃システム)の搭載による核兵器運用能力である。海軍は空軍への対抗上、核攻撃能力を保持することを熱望していた。そのため、このFJ-4Bは10個スコードロンに配備されることになったのである。さらに、海兵隊においても3個スコードロンにて運用された。1956年4月、海軍は151機のFJ-4Bを追加で発注したため、結果として合計で152機のFJ-4と、222機のFJ-4Bが生産された。海軍は、ロケットエンジンの装備をテストするため、6機のFJ-4をFJ-4Fに改造することを求めた。実際には、2機のみが製作された。FJ-4Fには、ノースアメリカン社のロケットエンジン AR-1が、ジェットエンジンのテールパイプの上のフェアリングに装備されていた。これは過酸化水素とJP-4ジェット燃料で動作し、短時間であるが2,300kgの追加推力をもたらす。結果、この機は速度マッハ1.41、高度21,640mに達することができた。1962年に採択された3軍統一名称において、FJ-4はF-1Eに、FJ-4BはAF-1Eと変更された。AF-1Eは海軍予備役にて、1960年代後半まで使用された。合計で1,115機生産されたフューリーシリーズの全てが、アメリカ海軍・海兵隊でその生涯を過ごした。参考文献:American Military Aircraft
出典:wikipedia
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